| 明治も中期になると、福岡市に周辺の町や村から多くの人が集まってきました。人口の増加と生活の近代化は、水需要の増加だけでなく、市民の日常生活に欠かせない井戸水に悪い影響を及ぼすようになりました。 福岡市の上水道は、市制を施行した1889(明治22)年の英国人技師ウィリアム.K.バルトンによる調査報告から20年を経過した1909(明治42)年、創設計画の第一歩を踏み出しました。以来、幾多の紆余曲折を経て1923(大正12)年3月1日、着工から7年もの歳月を要した曲渕ダム、平尾浄水場をはじめとする一連の施設(計画給水人口12万人、施設能力一日最大15,000m3の規模)が完成し、本市の水道事業がスタートしました。
 | 荷車で売り歩かれた松原水
1896(明治29)年水道事業のはしりともいえる市設の井戸を東公園(福岡市博多区)の松原に掘り、飲料とし市の許可を得たひとが荷車を引いて松原水を売りました。
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 | 曲渕ダム
御影石の切石で覆われ、そのたたずまいと格調の高さが、時代の重みを感じさせ、昔日の苦労のあとをしのばせます。また、緑に囲まれた景色は美しいものです。1985(昭和60)年には、厚生省(現、厚生労働省)の記念事業である「近代水道百選」の一つに歴史的、技術的に価値ある水道施設として選ばれました。 また、2009(平成21)年3月に福岡市有形文化財(建造物)に指定されました。
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