北は博多湾に接し、斜張橋の「荒津大橋」があります。かつては、遠洋漁業基地として栄えました。現在は、マンション建設も盛んで、快適至便な住宅地である一方、漁業と商業に支えられた地域でもあります。 簀子の町名由来は、この町の北の海中に「簀子石」と呼ばれる大きな岩があったことによるといいます。この岩と地中で続いている簀子石が昭和の初期まで現在の家庭裁判所付近にあり、潮の干満が分かる神秘の石と言われましたが、その後姿を消してしまいました。 現在の福岡船溜は、江戸時代に荒津山(西公園)下の入り江を浚渫(しゅんせつ)して作られ、波奈(はな)の港と呼ばれる福岡藩の船溜でありました。平安時代末期に築かれた博多の袖の湊も那珂川の河口も、次第に土砂に埋もれて港としての機能を失っていたので、江戸時代は重要な役割を担いました。しかし、明治になり次第に荒廃して、この船溜が漁港として復活するのは昭和に入ってのことでした。
平成26年12月末現在の住民基本台帳人口による 【簀子公民館】
【簀子小学校】
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