LastUpDate: July 14, 2016

博多小知识 113


美丽的松林中遗留着元寇防垒

美丽的松林中遗留着元寇防垒 图片

从福冈市西区穿过唐津市,沿着旧唐津街道,您会发现一片广阔的松林展现在眼前,苍翠葱郁,美丽多姿。这片松林位于玄海国定公园内,在当地被称为“生之松原”,深受人们的喜爱。自古以来就作为风景名胜而广为人知。往昔,曾有众多的人士谱写诗篇歌颂松林之美。现在,作为驾车兜风的路线,可观赏海边美景,大有人气。并且,此地距市中心较近,交通方便,因此,夏天作为海水浴场迎接众多的人士光临。

在福冈各地留下了许多关于神功皇后的传说,“生之松原”也是其中之一。据传神功皇后在远征新罗时,一边倒栽松树的小枝,一边诵念“若能如愿则扎根生长吧”。据说那颗松树平安无事地活下来了,因此被命名为“生之松原”。在和歌等当中,可以表达“行”和“生”(在日语中,行和生同音)两种意思。

在松林中,引人注目的是在海岸线上筑起的石垒,这是复原后的元寇防垒。镰仓时代的文永11年(1274年),受到蒙古(元寇)的袭击,在博多湾一带修筑了元寇防垒。弘安4年(1281年),再次受到蒙古军的袭击,这一带是弘安战争的激战之地。在《蒙古袭来绘图》中,描绘了在生之松原与入侵的14万蒙古大军交战的情景。

在日本各地的海岸线都可看到白沙青松的美景,但实际上这些美丽的松林并不是自然形成的。为了防止海上吹来的风沙和海潮造成的影响,保护农田,自古以来,人们就一棵一棵地用手栽种松树,并精心培育。随着城市化的建设,海岸的松林在福冈也逐渐消失了。但是,另一方面,也有的团体为了使博多湾的松林恢复原状而继续植树。在任何时代,松林都是靠人们的双手保护、培育起来的。


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美しい松原に残る元寇防塁


 福岡市西区から唐津市へ抜ける旧唐津街道沿いに美しい松林が広がっています。地元では「生(いき)の松原」として親しまれているこの松林は、玄海国定公園内にあり、古くから景勝地として知られてきました。昔から多くの人がその美しさを歌に詠んでいます。現在でも海沿いの景観が楽しめるドライブルートとして人気の場所で、また都心から近い便利な立地のため夏には海水浴場として多くの人が訪れます。

 福岡各地には神功皇后にゆかりのある伝説が数多く残されていますが、この生の松原もそのひとつです。神功皇后が新羅遠征の際に、松の小枝を逆さに植えながら「願いが叶うなら生きよ」と唱えたという伝承が残ります。その松が無事に生きたことから「生の松原」という名称がつけられたそうです。和歌などでは「行き」「生き」にかけて歌われています。

 松林で目を引くのが海岸線に築かれた石組み。鎌倉時代の文永11(1274)年に蒙古(元寇)の襲来を受け、博多湾一帯に築かれた元寇防塁を復元したものです。この辺り一帯は弘安4(1281)年に再度、蒙古軍が襲来した弘安の役における激戦地。14万の大軍で押し寄せた蒙古軍と生の松原で戦った様子が「蒙古襲来絵図」に描かれています。

 日本各地の海岸線に見られる白砂青松の美しい松林ですが、実は自然にできたものではありません。海から吹く風や砂、潮の影響から田畑を守るため、古くから人々が一本一本手で植え、大切に育ててきたものです。海岸沿いの松林は都市化とともに福岡でも姿を消してきましたが、その一方で、博多湾に松林を復元しようと植樹を続けている団体もあります。いつ時代も松林は人の手で守り、育てられてきたのです。