LastUpDate: May 10, 2009

博多小知识 7

福冈之名原本是冈山县的地名

福冈之名原本是冈山县的地名画像

福冈市有两个惯称∶“福冈”和“博多”,这对许多住在福冈的人来说似乎是理所当然的,而且对这两个称呼没有明确的区分。可是对于住在福冈以外的人,特别是九州以外地区的人来说,比起“福冈”来,“博多”似乎要更出名些。这是因为“福冈”被取做地名是在江户时代以后的事,决定福冈市这个名称也是从明治时代才开始的。而称作“博多”这个名字的时间相比之下绝对要长得多。
第一代福冈藩主黑田长政从1601年开始花了7年时间筑起了福冈城,也就是在现在被福冈市民们所喜爱的舞鹤公园处。黑田如水和黑田长政父子因在关之原战役中建立功勋,被德川家康授予了筑前52万3000石的领地。黑田家原本住在备前国(现在的冈山县)的福冈,因此将所筑的城取名为福冈城,周围一带也就因此被称做为福冈。从博多湾眺望,福冈城犹如一只在空中飞舞着的白鹤一般,因而又被称为“舞鹤城”。
当时的福冈城是一座宏伟的建筑物,围绕城边的护城河一直延续到大海,城内有10多座城门和47个箭楼。参加建造大阪城的砌石能手砌起的石墙坚实美观,因此这座城还被叫做“石城”。现在从保持了原貌的南丸多闻橹以及雄伟的石墙上还能看见昔日的容颜。
正如您所知,舞鹤公园一带是福冈市著名的赏樱胜地,不仅如此,在这座市中心的公园里,牡丹花、紫藤花、芍药花、菖蒲、绣球花,还有到了夏天盛开在护城河里的莲花,一年四季鲜花盛开,吸引了许多市民们来此赏花、休憩。也许对黑田藩、福冈城等有关福冈的历史熟悉的人还不是很多。因此请一定来此参观、了解福冈的历史。
有关舞鹤公园的详细信息,请参考
(财)福冈市建设森林和绿色城市协会

 广告科长 佐佐木喜美代

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福岡の名前、もともとは岡山県の地名です

 福岡に住んでいると当たり前のように思ってしまいますが、福岡市には二つの呼び名があります。「福岡」と「博多」、明確な呼び方の差はないような気がしますが、福岡以外の人、特に九州以外の人には「博多」の名前が有名です。というのも、福岡と地名が付いたのは江戸時代以降だし、福岡市と決定したのは明治時代からなので、博多と呼ばれた時代の方が圧倒的に長いのです。

 現在は舞鶴公園として市民には親しまれていますが、ここに初代福岡藩主・黒田長政が1601年(慶長6)年から7年がかりで福岡城を築城しました。黒田如水じょすい・長政親子は関ヶ原の戦いの功績によって筑前52万3000石を徳川家康より与えられました。黒田の殿様がもともと住んでいたのが、備前びぜん国(現在の岡山県)の福岡だったことから、自分たちが住み始めた城を福岡城と名付け、そのあたり一帯を福岡と呼ぶようにしたのです。博多湾から眺めると、大空に舞う鳥のような姿の城であるため、別名・舞鶴城とも呼ばれました。

 当時は海から続く堀をめぐらし、城内に10あまりの城門と47の櫓やぐらを配した壮大な城だったようです。また大阪城の築城にも参加した石積みの名人が造り上げた石垣が素晴らしかったため、石城とも呼ばれたとか。当時のまま残されている南丸多聞たもん櫓やぐらや立派な石垣に面影を見ることができます。

 都心の公園・舞鶴公園として整備された一帯は、ご存じのように桜の名所として有名なのはもちろん、ボタンや藤、シャクヤク、花菖蒲しようぶ、アジサイ、そして夏になると堀には一斉にハスの花が咲き、四季を通じて美しい花々が咲き乱れる公園として市民の皆さんに今でも愛されています。黒田藩のこと、福岡城のことなど、福岡の方の歴史はまだ知られていないようです。ぜひ訪れて、勉強したいものですね。

舞鶴公園の詳しいことは
(財)福岡市森と緑のまちづくり協会ホームページ


  福岡市広報課長 佐々木 喜美代