現在位置:福岡市ホームの中の早良区の中の早良区 彩食健美の玉手箱の中のさわらの観光の中のよかとこ情報探検隊の中のよかとこ情報探検隊(歴史(神社仏閣・遺跡))から祖原公園(麁原元寇古戦場跡)(2024)

祖原公園(麁原元寇古戦場跡)(2024)

 (よかとこ情報探検隊のやっちゃんによる取材記事 取材日:令和6年4月17日)





今年は元寇(文永の役)から750年目となります。
早良区には元寇にまつわる遺構が多数ありますので、今回と次回の二回に分けて元寇の遺構を報告します。


祖原公園案内板

地下鉄西新駅より南方向へ約10分、閑静な住宅街の中に祖原山という小高い山(標高33m)があります。
山全体は祖原公園として整備されています。


元寇開設

祖原公園の歩道(スロープ)を上がって行くと、元寇遺跡の記念碑と案内板があります。
案内板によると、「鎌倉時代の中頃、1274年(文永11年)10月、当時大陸を支配していたモンゴル帝国(元)とそれに服属した高麗王国の連合軍は、日本を侵攻するため、朝鮮半島を出航しました(文永の役)。
対馬、壱岐、平戸島、鷹島、能古島に襲来した元軍は、博多湾に現れ、今津、百道原に上陸します。
これを迎え撃った日本軍は赤坂、鳥飼一帯で元軍と交戦し、元軍は麁原(現在の祖原)に陣を構えました。
その後、元軍は侵攻を断念しての日本から撤退します。この文永の役後、鎌倉幕府は再度の元の来襲に備えて石築地(元寇防塁)の築造をすすめ、1281(弘安4)年5月、再び日本に来襲した元軍を退けました(弘安の役)。
ここ祖原山は元寇の記憶を今に伝える大切な役割を担っています。」とあります。


石碑

さらに、スロープを上がって行くと、祖原山の頂上近くに元寇麁原戦跡の碑があります。元軍が陣を敷いた場所となるのでしょうか?


高台景色

元寇麁原戦跡の碑より百道原方面を望む。
元軍はこの方向から上陸してきたと思われます。


鳥居

祖原山より元寇の激戦地鳥飼方面を望む。










 ※「よかとこ情報探検隊」は、ボランティア隊員が地域の名所・旧跡やイベントなどの取材活動を行っています。