保存処理の概要
埋蔵文化財は長い年月土中に埋もれている間に、多かれ少なかれ何らかの化学的変化を起こしています。その変化の多くは文化財を残す、あるいは調べる上でマイナスに作用するものがほとんどで、いわゆる腐蝕と呼ばれるものです。腐蝕の度合いは、その資料の材質や埋蔵環境など様々な要因に左右されますが、進行すれば消滅してしまうものもある一方で、土がパックとなって腐食の原因を遮断し、天然のタイムカプセルとなる場合もあります。これらが発掘調査によって掘り出されると、長年慣れ親しんだ土中の環境から、地上の外気に触れるという環境の変化によって腐食が急激に進行し、そのまま放置すれば元の形が失われてしまいます。この様な埋蔵文化財を国民共有の財産として
活用しやすい形にする
よりよい形で将来に残す
そのために行われる作業が保存処理です。 簡単に言えば病気やケガをした文化財を治療する病院のような仕事といえます。
保存科学 ・・・・・・・・・・・・ 医療
対象資料 ・・・・・・・・・・・・ 患者
腐食・破損 ・・・・・・・・・・・ 病気・けが
事前調査 ・・・・・・・・・・・・ 診察(注1)
(材質・構造・劣化状態)・・ (症状・血液型等)
保存処理 ・・・・・・・・・・・・ 治療
科学的処置 ・・・・・・・・・・ 内科的治療
修復作業 ・・・・・・・・・・・・ 外科的治療
事後管理 ・・・・・・・・・・・・ アフターケア(注2)
(温湿度管理等) ・・・・・・・(定期検診等)
注1:事前調査(診察)無しに正しい処理(治療)は行えない
注2:処理(治療)が終わったからといって、何をしても良いというわけではなく保管環境の整備などが必要となる。
埋蔵文化財には様々な種類がありますが、その中で土器や石器は化学変化が起こりにくい(病気になりにくい)材質です。これに対して金属や木で作られたものは腐蝕しやすく(病気になりやすく)、保存処理の主な対象(患者)となります。
事前調査
事前調査とは病院の診察に当たる作業です。診察をしなければ治療ができないように、保存処理でも事前調査をしなければ適切な処置ができません。そこでは保存処理のための情報だけではなく、考古学的な情報を得ることも必要です。
主な事前調査の種類
材質調査・・・何でできているのか
劣化状態の調査・・・どこがどのように壊れているのか、腐食しているのか
構造調査・・・どのように作られているのか
付着物の調査・・・資料表面の付着物の有無やその種類
事前調査の方法
事前調査の基本は目で見ること、手で触れること、つまり自分の五感を使い、そして知識や経験で判断することです。しかし人間の能力には限界があります。目で見えない部分や判断の付かないことについては専用の装置を用いてより細かい調査をすることになります。
細かい部分を見る→(
実体顕微鏡
・
電子顕微鏡
)
表からは見えない部分を見る→(
透過X線
〔いわゆるレントゲン〕・
赤外線カメラ
)
何でできているかを調べる→(
蛍光X線分析装置
・
赤外分光光度計
)
木製品(有機物)の保存処理
木製品の腐食と処理の原理
木で作られた製品は放置されると、地上では日光や大気、昆虫や微生物など様々な要因によって腐蝕し形が失われていきますが、地下水が豊富で空気の遮断された地層では腐蝕の進行が遅くなり形が残ります。ただし、かろうじて細胞壁だけが残っている状態で、木材の成分の多くは土あるいは水中に溶け出して、その代わりに水が入り込んでいます。つまりスポンジのような状態で残っているわけです。
出土後、放置すると水が蒸発し、その際、表面張力という力によって弱った細胞壁がつぶれて、縮んだり変形したりしてしまいます。スイカやキュウリなど水気を多く含んだ野菜をそのままにしておくとしなびてしまうようなものです。
この様な木製品の保存には
資料に含まれる水分を、安定した物質(常温では固体、加熱すると液体になり、水に溶ける物質)に置き換える。
資料を変形させることなく乾燥させる。
どちらかの方法が用いられます。 それぞれの方法には特徴があり、木の種類や劣化の状態などによって使い分けています。
A-1.PEG(ポリ・エチレン・グリコール)含浸置換法
PEG(ポリ・エチレン・グリコール)は常温では固体ですが、水によく溶け、加熱すると液体になる性質があります。水に溶ける蝋(ロウ)の様なものです。温水にPEGを溶かし、その中に木製品を漬けて、温度を60℃程度に保ちながら徐々に濃度を上げていきます。1〜2年程の時間をかけて濃度が100%になったら資料を取り出して表面の余分なPEGをお湯で洗い流し乾かすと、染み込んだPEGが固まって形を保持します。
安全で簡単という長所の一方、処理期間が長くかかる、重たくなる、黒ずむといった短所があります。比較的、幅広い劣化状態と大きさの資料に対応していますが、分子構造が大きいため、細胞構造が複雑な広葉樹や漆器は変形する場合があります。また処理後の資料は黒ずむために墨書のある資料には適しません。
A-2.糖アルコール(ラクチトール)含浸置換法
原理はPEG法と同じですが、PEGの代わりに人工甘味料の一種であるラクチトールを使います。ラクチトールは木材から失われた細胞成分と近い性質を持っていることから木に対して優しい材料といえます。また分子構造がPEGより小さいため、水との置き換わりが短期間でスムーズに進みます。
このためPEGに比べ短期間で処理が可能(小型の資料で1〜数週間程度)となり、細胞構造の複雑な広葉樹や漆器にも適用可能です。処理後の色上がりも自然な感じとなりますので、墨書のある資料にも対応できます。ただし劣化の著しい資料にはやや不向きで、処理工程もPEGに比べると若干複雑になります。
B.真空凍結乾燥(フリーズドライ〔FD〕)法
資料に含まれる水分を凍結し、真空にすることで昇華とよばれる作用によって変形することなく乾燥させることができます。カップラーメンの具材などを作る技術を応用したものです。
仕上がりの重量が軽く、色調が明るい、処理期間が短いという長所がありますが、そのままでは強度が不足しますので、通常はPEGを50%程度含浸させてから処理します。
当センターではPEGやラクチトールを100%近く含浸させると重くて取り扱いが困難になるような大型材に対して適用しています。
金属製品(無機物)の保存処理
保存処理の目的
遺跡から出土した金属製品は、そのまま放置しておくとやがてさびが進行して、ついにはボロボロになってしまいます。そのため、今後できるだけさびが進行しないようにさびを防ぐ措置を行います。あわせて、さびぶくれを削ったり破片を接合したりして出土品の本来の姿に近づけます。
「さびる」とはどういうこと?
金属は自然界では酸化物、つまりさびた状態で安定しています(=鉱石)。人間が道具として使う場合には酸化物では加工できないため、精錬によって還元し金属を取り出します。これが使われなくなって放置されると、元の安定した状態に帰ろうとしてさびていきます。これが金属の腐食です。
保存処理の原理
さびの原因物質として、水、酸素があります。さらに塩化物イオン・硫化物イオンなどが同時に存在すると、さびるスピードが速くなったり、自己増殖型のたちの悪いさびが生じたりします。金属製品の保存処理では、これら腐食の原因物質から資料を遠ざけることが必要となります。
水・酸素と塩化物イオンが同時に存在すると,さびが急速に進行する。
保存処理の方法
鉄製品と青銅・銅製品とで方法を使い分けています。
鉄製品の場合、セスキ炭酸ナトリウム水溶液に漬け込むなどして,内部の塩素を溶出させて取り除きます(=脱塩処理)。青銅製品の場合、遺物の表面を化学的に安定な膜で覆うことでさびの進行を防ぎます(=BTA(ベンゾ・トリ・アゾール)処理)。以上の処理をおこなった後,資料にアクリル樹脂を浸み込ませて補強します。
脱塩処理
BTA処理
また,資料表面の余分な土やさびをグラインダーやエアブラシを使って削り落とし、できるだけ本来の形に近づけます(=クリーニング作業)。資料がばらばらの破片になっている場合は破片を接合します。
グラインダーによるさび落とし
エアブラシ
庚寅銘大刀の銘文表出作業
削り出した金象嵌の文字
処理後の保管
たとえ保存処理をおこなったとしても,さびの進行を100%とめることはできません。保存処理後も注意が必要です。湿気や急激な温湿度変化を避けるために、金属器は一年中温度・湿度を一定に保った特別収蔵庫で保管しています。さらに重要な遺物は、高性能の脱水・脱酸素剤といっしょに空気・水を通さない特殊な袋に入れて密封して保管しています(三菱ガス化学・RPシステム)。
特別収蔵庫
RPパック
保存処理に関連したその他の作業
−発掘現場での作業−
保存処理の仕事は室内での作業だけではありません。発掘現場での出土品や遺構の保存なども行っています。
1)脆弱遺物の取り上げ
土中から掘り出されたものの、腐蝕によって強度が失われ取り上げることができない場合もあります。その様なときには様々な手段を用いて形を壊さずに取り上げます。
土ごと取り上げる:低湿地等で土壌が適当な強度と弾力を持っている場合は、そのまま資料を含んだ部分の土壌ごと切り取って取り上げる。
凍結させて固める:湿った場所で水分が多く含まれている場合に、液体窒素(-196℃)を使って一気に土ごと凍結させる。硬化後、即切り取って安定した場所に運ぶ。
発泡ウレタンで保護する:取り上げたい部分を柱状に残し、上面、側面を発泡ウレタンで囲み崩壊を防いだ上で、下から板を入れて地面から切り離して取り上げる。(下図参照)
資料そのものを補強する:特に乾燥した現場で金属器を取り上げる場合に、資料に再溶解性のアクリル樹脂を塗布して強化した上で、更にガーゼ等を貼り付けて裏打ちし、崩壊を防止して取り上げる。
2)遺構の移築
重要な遺構や変わった遺構が検出された場合に、遺構そのものを遺跡から切り離して持ち帰り、展示資料とすることがあります。(遺構は本来、遺跡内に存在してこそ最も価値を発揮するものですが、その遺跡が壊されてしまうような場合にはせめて遺構だけでも残して有効利用を図る方法もあります。) 方法は脆弱遺物の取り上げとほぼ同じものです。一般的には発泡ウレタンで保護した上で切り取られます。
3)遺構や遺物出土状況の複製
2)の方法では、遺物は常に遺構とセットでしか活用できず、遺物のみを単独で観察したり研究に供することができないという欠点があります。これを補う方法として、遺物も含めた遺構そのものの型取りを行いレプリカを作ることで、出土状況はレプリカを使って観察し、遺物は別に単独で利用することが可能となります。
4)土層の剥ぎ取り
考古学では土の埋まった状況(土層あるいは層位)が基本となります。遺跡における土層の堆積状況を記録する方法として、図面や写真以外に土層そのものを剥ぎ取って標本とすることもあります。
方法は極めて単純で、検出した土層に専用の薬品(樹脂)を塗布し、布等で裏打ち補強をして剥がし取るものです。
※:剥ぎ取られるのはネガ、つまり見えている面の反対面ということになる。このため、左右が厳密に規定される遺構の場合には注意が必要となります。