日時 平成30年3月12日(月曜日)午後6時30分から午後8時30分
場所 天神ツインビル4階 福岡市研修室402,403研修室
宮崎県日南市にある「油津商店街の再生」は、日南市が「中心市街地活性化事業」として国の認定を受けて、平成24年度から約4年間取り組んだ事業である。いわゆる「シャッター商店街」を生まれ変わらせ、新しくお店を入れて行くということが主眼であるが、その次に市民のこの街や事業への応援がいかにして広がって行くのか、といった応援の連鎖を大切にして進められた。この事業を実施するため、専門家が全国から公募され、300人以上の応募があった中で最終的に私が選ばれた。
事業が始まった2013年4月、日南市は九州で一番若い33歳の市長が誕生し、大きく変わった時だった。当時38歳の私はその3ヶ月後、もう1人の若いマーケティング専門官と日南に住み、まちづくりに関わり始めた。
この事業の実施時は、個人事業主として「テナントミックスサポートマネージャー」という肩書で日南市と契約し仕事をしていた。新聞に月90万円の契約金ということで掲載されたのだが、日南の方からは「90万円の人」と呼ばれることもあった。この金額にはすべての事業経費も含まれているのだが、市民の皆さんが納めた税金から一人の人間が月90万円もらうというのは刺激的な数字である。例えば、油津でお酒を飲んでいると「誰のお金で飲んでいるんだ」と言われ、他のまちに行けば「なぜ油津にお金を落とさないのか」と怒られたこともあった。
だが、この言葉にはメリットもあった。油津商店街には90万円の人間がいて、新しいことをやっているという強いインパクトがあり、メディアでも発信される。その結果、徐々に市民の皆さんにこの事業のことを知ってもらえるようになっていった。
また、私と日南市との契約書には,「4年間で20店舗誘致する」という数値目標が設定されていたが、この目標は市民の皆さんにとっても分かりやすく、この事業に関心を持ってもらえたきっかけのひとつだと思っている。
日南市の人口は5万3千人。年間で約700〜800人減少していて、死亡による自然減や、大学がないことから高校生が卒業後市外県外に出て行くことが主な原因である。
また、地鶏、マンゴー、焼酎が名産で、美しい日南海岸や鵜戸神宮、飫肥藩の城下町があり、飫肥杉というブランド杉がある。油津は港町で飫肥杉を運び出す港として栄え、一時期はマグロ漁港としても栄えた。その港と駅を結ぶ場所にできたのが、油津商店街であった。
アーケードのある商店街は長さ約30mで、昭和40年頃は沢山の人が見られた。しかし、木材需要の減少や漁業の疲弊により港の需要が減り、反対側にあるJR日南線の駅もモータリゼーションで利用者が減少していった。そのような状況で、私が日南市に行った4年前は商店街のシャッターがほとんど閉まっており、老朽化で建物が壊され,空き地が多くある状況であった。
1つ目のキーワードは「覚悟」。油津商店街に、まずコーヒー屋さんができて、飲食店、物販、サービス業と店舗数が増え、最終的に企業誘致が進んでいった。目標値に対し、昨年3月時点で29の新店舗ができたというのがこの事業の実績である。
「油津コーヒー」は、もともと商店街西側入口にあった小さな喫茶店の空き店舗を利用して作った。商店街や街の方に「昔どのような商店街だったんですか?」とヒアリングを行うと、以前ここにあった「麦わら帽子」という喫茶店の話が必ず出てくる。思い出が詰まっている場所だということで、商店街再生の第一歩として再生しようということになり、地元の飫肥杉を使用して作った。
また、それと平行して「油津応援団」という株式会社の設立にも取り組んだ。今は施設管理等、まちづくり会社のようなことをしているが、「油津コーヒー」を作ろうという時、再生1例目として失敗できないことや、私も一緒になってお店を経営することで商店街の皆さんと同じ立場で話ができるのではと考え、2人の日南の方と一緒に会社を立ち上げた。立ち上げの際は、日南市から補助金をいただくことができたが、足りない分は銀行から借入した。
他の場所の整備や運営のために借入して膨らんだ借金は、市民の皆さんに「覚悟」が伝わるものとして、良い方向に向かっていった。民間人がリスクを負い自発的にまちづくりを進めて行く姿は少し珍しく映ったのか、覚悟を感じてくださった市民の皆さんからも出資が集まり始めた。現在までで47名、1人当たり30万円程度の出資があり、事業を進めるために活用させていただいている。
2つ目のキーワードは「現象」。この3、4年の間にできた店舗は基本的に30~40代前半の若い世代の方の独立起業的なお店が多い。東京からサーフィン好きが高じて移住してきた人のお店や、日頃からフィリピン料理をふるまっていた人のお店、福岡で居酒屋をやっていたが実家のある日南市に戻ってきた人など、彼らがお店をオープンする際のサポートをしている。
これを店舗誘致ではなくて「起業支援型のお店づくり」と言っていて、種を探してきて水や栄養を与えるといった感じでサポートしている。非常に厳しい状況からお店を作っていくので、お店ができてからも継続した支援が必要で、良い距離感を保てるよう商店街の真ん中に拠点を置いて皆さんとコミュニケーションをとっている。
商店街の中心部には中庭がある。以前スーパーマーケットだったところの壁を取り払い、2つに空間を分けた。左側は若い人達がやっている屋台村の飲食店が並び、右側は市民が自由に使えるスペースとして開かれている。隣には我々が経営しているスペースがあり、こども会や同窓会、新年会などのパーティルームとして使ってもらっていて、向かいの屋台村に料理を注文するというシステムだ。
もうひとつ「ヨッテン」という子どもたちの習い事などで活用してもらっている場所があり、ダンスや書道教室が行われている。「ちょっとおしゃれな公民館みたいな場所」ができたことで人が集まり、いつの間にか交流や繋がりが生まれている。
よく市民参加と言うが、これは誰でも参加できる色々なメニューを作るということである。お店を作ること以外にも、例えば出資することもまちづくりへの参加になるし、短期出店できるコンテナを利用しての出店など、金額の設定で色々なかたちで関われる。
「油津コーヒー」はコーヒー1杯400円で販売しているが、それは「油津応援団」の売上げになり、我々がまちづくりに投下していく。そうするとコーヒー1杯でまちづくりへの参加できるというメッセージを込めて販売することになる。こういった地域との繋がりを作ることはとても大事なことだと思っている。
3つめのキーワードは「活用」。商店街に人を集める必要があるが、商店街の中だけで考えるのではなく周りにあるものを活かそうということだ。
油津には海外からのクルーズ船が寄港する。年間約30隻で博多港の10分の1程度ではあるが、約4000人の人を乗せている。その内、フリー時間のある乗客や乗組員が商店街に流れてくる。
乗組員は約1000人ほどで、休憩時間に「油津食堂」でご飯を食べたりしている様子をよく見かける。また、何度も来ている乗組員もいて、商店街のお店のスタッフと仲良くなっていたりするなどリピーターになっている。
もうひとつは、毎年2月に広島カープが日南市キャンプをしていることである。油津商店街から少しはなれた場所に天福球場という球場があり、広島カープが約1ヶ月間滞在しているが、キャンプ中の選手を見に約5万人のカープファンが訪れる。2、3年前からランチマップを作ってキャンプに来ている人たちに配布するようにしたが、商店街へ少しづつ人が流れ始めた。
次に商店街の中の空間を使って「油津カープ館」という資料館を作った。しかし、これだけでは商店街のお店を利用してもらえないので、カフェで飲み物に「C」という文字を入れたり、プリン屋さんが赤いプリンを作ってカープリンと名付けて、販売したりした。
2年前、25年ぶりにカープが優勝した際には、パブリックビューイングを開催し、優勝決定試合を商店街の中で何百人もの人たちと観戦して盛上がった。また、翌年のキャンプにはさらに多くの人が訪れてくれるのではないかと球場と商店街を結ぶ道を赤く塗った。さらに、昨年はセリーグ2連覇したがなかなか日本一になれず、応援が足りないんじゃないかと、クラウドファウンディングで300万円集めてJR油津駅を赤く塗った。「カープ油津駅」と名付け、2月には約1000人が集まってセレモニーを行った。JR九州も広島カープも民間企業であるが、民間企業が我々の地域活動とコラボしたという点が良かったと思っている。駅舎の利用はJR九州の許可を得ており、広島カープのロゴも球団の方の配慮で無償で使わせていただいている。このような動きができたのは大きかった。
4つめのキーワードは「自走」。これら特需の他に普段どうやって街を賑わせているかというと、まだまだ発展途上でチャレンジ中だ。
以前ブティックだった空き店舗には、東京から進出してきたIT企業のオフィスが入っている。これは市が誘致した企業だ。日南からなぜ若者が離れて行く理由として一般的に言われるのは、「仕事がない」ということである。しかし、有効求人倍率は1を超えており、仕事はあるが若い人たちが働きたくなるような事務系の仕事が少ないことがわかった。
そこで現代版の事務職として、地域を元気にするようなプロジェクトに関わりたいという想いを持つIT企業を誘致することにした。油津の若い人たちが歯を食いしばって頑張って変わろうとしていることに共感してくれたその企業は、僕らがオフィスをかまえることでまちづくりのひとつのパーツになれるのであれば、と商店街の中に参入してくださった。現在までに商店街の中の空き店舗やビルの一角に8つの会社が入っている。
こうやって会社まで入ってくると色々なものが勝手に動き出して行くという自走フェーズに入る。働く人は女性が多かったので、保育園を作りたいと手を挙げてくださった方がいて、空き地だったところに市の認可を受けた民間保育園ができ、IT企業の向かいに保育園が建っているという一見すると商店街ではないような風景が広がりつつある。
5つめのキーワードは「理由」。何のためのまちづくりかということである。かつての商店街というのは、八百屋、魚屋、金物屋、肉屋、布団屋等と、当時のライフスタイルに必要なものが並び人が集まって賑わいが生まれていたが、時代が変わり生活スタイルとニーズも変化し、人の流れが変化していった。
人口が減っている中では商店街の人通りが増えないが、商店街の課題としてばかり捉えていると、商店街の周りで暮らす人たちは商店街に興味がないので誰も参加してくれない。しかし、一歩引いて視点をずらし地域の課題として捉えると、地域の人たちは応援したくなっていく。地域の課題を解決しようという時に、商店街に何ができるのかと改めて考えるということである。人通りを増やすことではなく、このまちで暮らす楽しさを感じて集まることを大事にしたり、頑張っている若者のチャレンジを応援するかたちをとると商店街の利用も進む。面白いことやっているまちなんだというブランディングをしていくと、最終的に自慢できる商店街になっていくのではないだろうか。
少し遠回りではあるけれど、地域の人を巻き込みながら、最終的に商店街の課題も解決していくという考えが必要なのかなということが、この事業の面白いところだと思っている。
「花みずき通り商店会」は城南区の中村学園大学と福岡大学の間に位置する昭和30年頃から発展してきた地域の商店街である。最も元気のあった頃は福大までの渋滞が名物で、賑わいがあり各店舗は潤っていた。
だが、今から2年前、地下鉄七隈線全線開通で事態は一変した。商店街を通っている道が地下鉄七隈線の通る道になり、片側1車線の道路が片側2車線の広い道路に変わって歩道も広くなり街並みが一気に整備された。住民の方には良かったが、商売人にとっては大事件である。天神まで13分で行けるようになり、商店会に加盟している店舗の半分くらいがこれを機に廃業や撤退という状況になった。
また、商店街のある金山駅の乗降者数は1日に3000人程度であり、福岡市の中でも高齢化が進んでいる地域である。高齢化率は30%を超え40%も目前と言われている。城南区ができて30年、当初から住んでいた人たちが高齢化し、若い人がそれほど入っていないという状況である。売上げ拡大が難しい中、商店街の維持はとりあえず置いておいて、ちょっとおしゃれな地域として印象づけるブランド化を目指していこうと10年前から色々なことに取り組み始めた
当時「ハナミズキ」という歌がヒットしてたこともあり、私たちの親世代は、商店街の名前を「花みずき通り商店会」に変えた。約1㎞の街路樹にハナミズキを植えるため、自分たちでお金を出すので好きな木を植えさせてもらえるよう市と協定を結び、自費で約60本のハナミズキを植えた。当時1本8万円で合計480万円かかった。
次に、新たな名所を作ろうと、旧郵政省と交渉し黄色いポストを通りの中に設置した。旧型の黄色いポストは日本に3つしか無く、幸せを送る黄色いポストとした。
さらに、高齢者が多いことから通りにベンチを積極的に設置していった。1基30万円で予算は200万円程度。マスコミに精力的に働きかけ、面白いことやっている商店街として、市政だよりに掲載されたりメディアでも紹介されるようになった。その他にもブランド化を実践しており、地域を花で埋め尽くそうと自治会やボランティア団体と協力して、年2、3回程度花を植えている。
また、今までの事業をPRするために情報誌を発行している。私は酒屋の3代目だがIT企業に転身し、自社で広報等を行っていて、年2万冊程度の情報誌を近隣に配布している。マスコミやメディアが取材してくれて仲良くなると商店街の人をフォーカスしてくれるようになり、商店街に面白い人がいると紹介してくれるようになった。今年度は城南区で初めてとなる城南区全体を巻き込んだウォークラリーイベントを行い、城南区長から感謝状をいただいている。
花みずき通り商店会には一定の成功法則があり、補助金等を活用し、インフラを整備して情報発信し、マスコミの取材を呼び込む。その後テレビやラジオが取材に訪れ商店街のPRをするといったことを繰り返している。会長になってから6年程度になるが、約月1回のペースで取材等に来ていただいて地域のPRができているという点では、一定の成果が出ていると思っている。
また、商店街の店舗が34店舗が55店舗と約20店舗増え、数字的には大成功であるが、一方で売上げは上がっていないとも言われていて、課題も見えてきている。
花みずき通り商店会がこの10年やっているのは、まちづくり・都市計画・公共事業に近いもので、経済的基盤が脆弱な商店街組織がやるのは正直に言うと厳しい。組織の中でも二極化しており、1枚岩ではなくなってきている。現在は私が会長として仲間と事業をしているが、補助金の事務処理も負担になってきている。まちづくりのような抽象的な事業の内容を理解できる会員も減っており、総論では賛成してくれるが、いざ個人的に負担をしてくださいという話になった時にはトーンが下がる。賛成する、応援すると言ってくれるけれど、具体的に何かするとなると、「そこまではできない」と言われることが多い。実動部隊は私を含めて数名で6年間やってきて、手伝いたいという人もいたが、引き継ぐことができる人材を育てることができなかったというのが自分の反省点である。
このような厳しい状況の中、商店街を存続させる意味があるのか、と言う人も増え、それに対する明確な返答が見当たらないというのが現状だ。個人的には商店街組織として、このようなまちづくりをするということに限界を感じていて、ここに新しいブレイクスルーが必要なのではないかと考えているところである。
「清川サンロード商店街」は渡辺通り、薬院駅、天神駅、博多駅に近く、アーケードの長さは90m程度だが空き店舗はない。飲食や物販等業種は様々で、かつては衣料品店等の物販業がメインだったが、現在は飲食店や八百屋さんが多い。
また、近隣に九州電力やFBS、FM福岡などがあってオフィス街の側面も持ちつつ、清川の方は1LDKのマンションやホテル等もあり、色々なジャンルの方がたくさんいらっしゃって恵まれた立地だと思っている。
我が商店街としては、商店街の通行人数を増やすとそれ自体が賑わいとなり、その賑わいが続けば、テナントにも入っていただけるという循環ができるのではないかと考えている。
アーケードはあるが、道路は市道である。車両の通行規制をさせていただき、昼12時~20時までの時間帯は車両が入らないようにお願いしている。厳密には自転車も車両で押し歩きをお願いしているが、実際には沢山の方が自転車に乗って通行しているのが問題となっている。
商店街は中央区の春吉校区で、自転車事故の割合が残念ながら中央区で第1位である。天神にも博多にも近い立地上、相当数の自転車の方がいらっしゃって、普段の生活や通勤に自転車を使っておられる。高齢者の方が歩いている時に危ないと言った苦情が商店街や行政に寄せられている。
それを受けて、春吉校区の自治協議会の方々が毎月1回、交通安全推進委員会を中心として自転車マナーアップキャンペーンをずっと実施されている。区役所の方や中央署の方などにもご協力をいただき、商店街の東側、城南線側付近を通行する方々に自転車の安全運転の呼びかけを行っている。
それに伴い商店街でも、自転車マナーアップキャンペーンとして、商店街での「押しチャリ」など、地域全体の自転車マナーアップを目指す事業を始めている。
商店街内の館内放送で30分に一度、自転車の安全利用を啓発するアナウンスを流している。ホテルも多く海外の方の通行量もかなり増えており、レンタサイクル等が増えるだろうと4カ国語のアナウンスをつくった。
それと同時に校区の方と一緒に実施している月1回のマナーアップキャンペーンの中で、自転車の押し歩き啓発のために商店街のロゴマークを書いたエコバックを配布させていただき、マナーアップと商店街のPRを兼ねる取り組みを行っている。活動時には押し歩きに協力していただけるが、それ以外はアナウンスを放送している時でも自転車に乗って走っていく方がまだまだ多く、継続してマナーアップに取り組んでいこうと考えている。
店舗の方が自転車に乗っている方に、「こうやって放送しているでしょ、危ないですよ」と声かけできるようになってきたのはいい変化かなと思っている。
もう1つ問題になっているのは違法駐輪で、自転車を乗り捨てていく人が多く、取りに来ない人も多くいる。地下鉄の駅に近いので、通勤の際、商店街に駐輪して地下鉄に乗って会社に行って、夕方に乗って帰るという方もおり、年配の方などが歩く時の妨げになるなど交通上の障害になっている。
我が商店街はこれらのことを次の課題として、地域の安全に向けて取り組みながら快適な買い物空間と賑わいを創出していきたいと考えている。通行量イコール賑わいだと思っており、誰もが安全に安心して通行できるようにすることで、商店街の活性化を図っていきたい。
最後に名刺交換、交流会を行いました。
油津商店街で今も活躍されている木藤氏に直接質問をされる方や、同じ悩みを持っていらっしゃる商店街の方々の積極的なやりとりが見られました。