西戸崎地区の約8割の区域は、昭和20(1945)年から昭和47(1972)年の27年間、太平洋戦争後アメリカ軍の施設「キャンプ・ハカタ」が置かれていました。街の景観はまるでアメリカそのものだったと言われています。
当時、この施設や区域は、日本政府がアメリカに対して使用を一時的に提供したものでした。そのため、地域を区別する目的で柵やフェンスを建設し、道路上の各所に境界標識や認識標が設置され、現在もその一部を見ることができます。
表示内容は設置者・設置年・場所などによってまちまちですが、「日本国」と示されたものは日本の領域に設置され、「USA」と示されたものはアメリカ軍施設の水道管や電線などの埋設物の注意を促す標識として設置されたといわれています。
現在、敷地は全て返還され、「雁の巣レクリエーションセンター」や「国立海の中道海浜公園」などとして市民に開放されています。
西戸崎の商店街では平成29(2017)年から、志賀商工会が中心となりシャッターアートなどによる町おこしを行っています。皆さんも絵を楽しみながら、当時のアメリカを感じ、この標識を探してみませんか。