「歩(さ)・歩(ん)・歩(ぽ)・会」
奥永 茂晴(73歳)
筥崎宮の本殿近くの一の鳥居をくぐると右手に、鎌倉時代、二度にわたって日本が元(モンゴル)に襲来を受けた元寇ゆかりの史跡「碇石」があります。
元の軍船に使用されていたと伝えられているもので、県の指定有形文化財です。
この碇石は、昭和15(1940)年、博多湾沖から出土しました。長さ172センチ、推定重量250キロの凝灰質砂岩(ぎょうかいしつさがん)製で、中央部が最も広く、両端がやや狭くなっています。船を静止するための木製の碇を海底に沈める重しの役目を果たしていました。
この碇石の後方に、元の侵略から日本を守るため築かれた元寇防塁を再現した石垣があります。
<碇石(手前)と元寇防塁の再現(奥)>
<碇と碇石の模式図>
これは、元寇防塁の石で造られていますが、西南学院高校(早良区百道浜一丁目)裏に築かれていたものです。
同校裏の元寇防塁は、平成元年のアジア太平洋博覧会福岡(よかトピア)のパビリオン建設のため、取り払われましたが、後日、同校出身の筥崎宮宮司が「貴重な歴史を留めたい」と譲り受けました。
近くに寄られた際には、碇石や防塁を見ながら、当時に思いをはせてみませんか。