歴史
歩・歩・歩(さんぽ)
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多々良川河畔遊歩道の歴史旧跡巡り



「歩・歩・歩(さんぽ)・会」

平山 勲(83歳)

多々良川に架かる名島橋近くに「渡場道(わたしばみち)」の看板があります。

昭和初期頃まで、箱崎と名島の間を渡し舟が通っており、名島橋のたもとが「渡場(わたしば)」となっていました。

渡場があった辺りから遊歩道を上流へ歩いていくと、左に高台が見えてきます。この地には戦時中、高射砲陣地があり、敵の戦闘機から名島橋、名島火力発電所等を守ったといわれています。

さらに歩いていくと、「いにしへは ここに鋳物師の 跡とめて 今もふみみる たたら潟かな」と刻まれた歌碑があります。この歌は、戦国時代の知識人であり、豊臣秀吉の家臣でもあった細川幽斉が詠んだ歌です。秀吉の九州遠征の陣中見舞いに、多々良潟を訪れた際、川沿いにある渡来人の鉄器工房や、京都の名寺の鐘がこの辺りで作られたことなどに思いを寄せて詠んだといわれています。

歌碑写真


さらに上流に向かうと、左に松崎の配水タンクが見えてきます。この場所は「陣の越(じんのこし)」といわれています。南北朝の
時代に、足利尊氏がここに陣を敷き、多々良浜の戦いで劣勢を跳ね返し勝利しました。この勝利をきっかけに、京都に進軍し、室町幕府を開いたといわれています。

遊歩道を散歩しながら、郷土の歴史に思いをはせてみませんか。

地図








 




 
















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