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福神の信仰「名島弁財天」


神功(じんぐう)皇后は、三韓に遠征する際、名島海岸から宗像三女神(さんじょしん)へ遠征の無事平穏を祈願しました。

その後、無事に帰還したため、お礼としてその地に名島神社を建立し、宗像三女神を祭りました。
名島城址公園や名島神社、名島弁財天周辺の地図
宗像三女神の1人、市杵島姫命(いちきしまひめ)は弁財天と同一視されています。

弁財天は、七福神の中で唯一の女神で、財宝などの徳がある神として信仰されていました。
写真:琵琶を弾ずる弁財天の像
名島神社に弁財天が祭られた経緯は諸説あります。

『名島旧跡記』には、市杵島姫命が、安芸国(現広島県)厳島神社に弁財天として祭られたことに倣ったと記されています。
宋栄寺境内には弁財天の使いとされる蛇が多く祭られている
また、天台宗慈覚大師(じかくだいし)円仁(えんにん)が、唐から帰国する際、弁財天に祈願し無事帰国できたとして、名島神社に祭ったという説もあります。

中世には、七福神の信仰が盛んになり、名島神社は仏名に変えて「名島弁財天社」と称しました。

その後、明治元(1868)年の神仏分離令により、名島弁財天は名島神社横の宋栄寺(そうえいじ)に移され、現在も蓄財の神として広く信仰されています。


「歩・歩・歩(さんぽ)・会」
安部 光征(78)






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