歴史
歩・歩・歩(さんぽ)

名島の丘に眠る古墳

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名島小学校から南に約80メートルにあり、現在は住宅が立ち並ぶ丘陵地(名島四丁目)には、かつて「名島古墳」がありました。

今から約40年前の1978年、宅地造成中に墳丘全長約30メートルの古墳が発見され、調査の結果、古墳時代前期の纏向型(まきむくがた)前方後円墳であることが分かりました。

古墳時代、この辺りを含む粕屋平野一帯は北部九州の政治・文化・生産の重要な地域の一つで、大陸や半島とのつながりがありました。

古墳からは、埋葬のための木棺(もっかん)や、副葬品として土器や鏡、鉄剣の破片なども発見され、鏡は、修復の結果、縁の断面が三角形で鏡の背に神や仙人をモチーフとするデザインから「三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)」であると判明しました。

同類の鏡が奈良県山辺郡都祁村(つげむら)(現在は奈良市)と愛媛県今治市桜井でも確認されています。

この鏡は卑弥呼が魏の国から贈られた鏡で、卑弥呼の没後に、各地の有力者に配布されたのではないかといわれています。

このことから、名島古墳に埋葬されたのは、対外交渉に関与した有力者だったのではないかと推定されています。

現在、鏡は市博物館(早良区百道浜三丁目)の常設展示室に展示されています。
現物を見て、古代に思いをはせてみませんか。


「歩(さ)・歩(ん)・歩(ぽ)・会」
西郷 玲子(59)

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