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志賀島香音寺(こうおんじ)別院「御瀧不動堂(おたきふどうどう)」


806(大同元)年、唐で2年間の仏道修行を終えた弘法大師空海は、遣唐使の帰船に便乗し、帰国の途に就きました。

船が大海に出て程なくして、徐々に空が暗くなり風は吹き荒れ、波が頭上を越えるほど海が荒れ始めました。
船は木の葉のように揺れ、前に進むことも困難な状況でした。

そこで、弘法大師は、船中で不動明王(ふどうみょうおう)を一心に念じました。
すると、徐々に暴風が収まって海も穏やかになり、船は無事に志賀島にたどり着くことができました。

弘法大師は、弘(ひろ)の不動ケ浦(ふどうがうら)に上陸すると、残田(ざんた)川の上流にある瀧渕で、航海でのご加護に感謝し、灯(あか)りを付け祈願する、奉燭(ほうしょく)を執り行いました。


以後、この地は、弘法大師空海「奉燭の地」として長く語り継がれています。

弘にある香音寺の古文書記録によると、別院御瀧不動堂に関して、「明治37年御堂を建立、通夜堂を増築して、一般参拝場となす」とあり、その後大正時代にも修復した記録があります。

残田川の砂防ダム建設のため、平成16年に移転を余儀なくされ、平成21年、旧地に隣接する現在地に、「御瀧不動堂」が新築されました。


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