空想のふくおか【第6回】幻の袖の湊 室町時代の空想


 この連載では、かつて構想された、さまざまな都市計画などを紹介していきます。
 福岡市にかつてあった歴史的な港というと、「袖の湊(みなと)」を思い浮かべる人も多いのではないでしょうか。袖の湊は、平安時代末期に平清盛が建造した、日本初の人工の港と伝えらえています。しかし、袖の湊について書かれている当時の史料は、実は全く見つかっていません。
 平安時代の歌物語である『伊勢物語』第二十六段に「思ほえず 袖にみなとの さはぐ哉 もろこし舟の 寄りし許に」という和歌がありますが、ここでは「袖の湊」ではなく「袖にみなと」と詠まれています。これは、涙で濡れた袖が港のようだという表現であって、現実の港を示す言葉ではありませんでした。
 鎌倉時代になると、藤原定家をはじめとした歌人たちによって、袖の湊が多くの和歌に詠まれるようになりました。これらの和歌は、本来博多とは無関係のものばかりです。しかし、「もろこし舟」や「湊」という対外交流を連想させる語句が含まれていたために海外との貿易港であった博多をイメージさせたのか、室町時代には、歌人たちの間で袖の湊は博多に実在していた港であると考えられるようになっていきました。
 江戸時代には、「袖の湊は和歌の世界にしか存在しない」と指摘する賀茂真淵や伊藤常足といった知識人もいましたが、空想で描かれた絵図や地誌によって、「袖の湊は実在していた」という認識が、多くの人に徐々に定着していきました。
 袖の湊は現在の博多区呉服町周辺にあったと推測されていましたが、近年の発掘調査によって、清盛の時代にはすでに陸地であったことが明らかになっています。袖の湊は現実の港湾施設ではなく、長年にわたる人々の空想によって生み出された「幻の港」といえるのかもしれません。
 (市博物館市史編さん室 古賀俊祐)

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