現在位置:福岡市ホームの中の早良区の中の区役所と関連施設の中の公民館から原西校区に月城通りが誕生しました
更新日: 2018年1月5日

原西校区に月城(げつじょう)通りが誕生しました

医師であり、著名な漢詩家で、南画、書道など多彩な才能で多くの人々に愛された松口 月城(本名:栄太、1887~1981)の功績を讃えて、有田まちおこし活性化委員会(委員長:永野 守基)は、有田2,3丁目地内の南北600mの市道と県道の一部を「月城通り」と命名しました。
明治時代初頭からこの道沿いに松口医院(松口月城居住跡)がありました。
14歳の月城は、朝は薬局生として働き、昼からこの道を通り、西公園まで歩いて英語の塾に通い、帰りに漢学の塾で漢文の勉強を始めました。
夜は独学で基礎医学を学び、18歳で当時の日本最若年記録で医師の資格を取得し、養父の跡を継ぎ当地を無医村にしないため、19歳で開業医になりました。
昼夜を分かたぬ多忙な診療の傍ら、地域活動にも貢献し、西福岡中学校や早良高等女学院(現在の講倫館高校)の設立にも貢献されています。35歳から数多くの吟詠漢詩を作り、昭和53年に西日本文化賞を授与されています。
14歳の月城を奮い立たせた西郷 南洲(隆盛)の漢詩「雪に耐えて梅花麗しく霜を経て楓葉丹し」に因んで、同委員会では月城通りの命名後、梅ともみじの植樹を計画されています。


月城通り南側市道の写真

月城通り南側市道


北側市道と南側市道の交差部の県道の写真

北側市道と南側市道の交差部の県道


月城通り北側市道の写真

月城通り北側市道


有田宝満神社境内に仮設置されている案内板

有田宝満神社境内に仮設置されている案内板で県道の拡幅工事後、講倫館高校北側に移設予定。



松口月城記念館ホームページ