早良区の街道


早良区には歴史的な街道が存在します。
江戸時代には主要街道として唐津街道、三瀬街道の二つの街道が整備され、近世から近代へかけても多くの人々が現在の早良区内を往来していました。
また、豊臣秀吉が通ったとされる太閤道や,旧脇山往還(板屋道)と呼ばれた道もあります。
これらは今尚使われている道もあれば、宅地化や道路整備によって本来の道程も定かでないものや、既に人影の往来もなく廃道に近い箇所もあります。
ここではこの中から唐津街道、三瀬街道、脇山往還(板屋道)をご紹介します。
沿線には、往時の豊かな歴史や文化を偲ばせるたくさんの史跡や風物が残っています。


画像:早良区マップ

旧唐津街道


小倉(豊前)と唐津(肥前)を結ぶ江戸時代に整備された主要街道のひとつで、早良区内では樋井川と室見川間を東西に結んでいます。
沿線には、紅葉八幡宮や高取焼、元寇防塁などがあり、豊かな歴史・文化を探訪することができます。
また、藤崎付近には伊佐邸などの古い町家が散見され、古くからの商業地域だったことを感じさせます。
現在、この唐津街道沿いに位置するオレンジ通り商店街、西新中央商店街、中西商店街、高取商店街、藤崎商店街は「サザエさん商店街通り」の愛称で親しまれて、地域に新たな賑わいを創出しています。



旧三瀬街道


福岡(筑前)と佐賀(肥前)を結ぶ江戸時代に整備された主要街道のひとつ。
現在の藤崎2丁目付近から南下して原往還沿いへと進み、次郎丸、金武を経て西山を越えた飯場から三瀬峠、佐賀へと至ります。
藤崎から三瀬までの間に、金武宿(西区)、飯場宿(早良区)の二宿があり、福岡と佐賀の人々の往来で賑わっていました。
次郎丸付近の「次郎丸の白壁通り」や金武の町並みが当時の街道の面影を偲ばせます。
現在の地図では金武から飯場は県道562号線と記載されていますが、山間部は通行には危険な廃道の状態です。
また、紅葉八幡宮から新開橋の灰色のラインの間は宅地化が進んでしまい、当時の街道のルートは確認できません。



旧脇山往還(板屋道)


西新3丁目の路地に残る「菊池霊社道」の碑から、荒江、野芥、東入部と進み、脇山に着きます。
この先は脊振山麓の板屋地区へと至り、佐賀へと繋がります。
残念ながら、現在は街道を想起させる町並みは殆ど見受けられませんが、南下すると、菅原道真公に所縁のある老松神社、松ケ根の井などを探訪できます。
板屋道は旧肥前筑前街道に繋がります。
脇山以南のルートは未確認のため、板屋までは県道136号線をご利用ください。