今宿五郎江遺跡は西区今宿に所在する遺跡です。平成14年度からの土地区画整理事業に伴い発掘調査が行われました。弥生時代後期には大規模な環濠集落が形成され,楽浪郡の土器、朝鮮半島南部の瓦質土器をはじめ、山陰・瀬戸内・近畿・東海地域の土器などが出土するなど、海を介して他地域と活発に交流していたことがうかがえます。
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本調査区では、弥生時代後期につくられた環濠の西側部分とみられる谷部を中心に多量の木製品が発見されました。これらの中には、鍬・鋤などの農具のほか、ヤスや網枠などの漁労具、紡錘車とよばれる車輪状の製糸具などが含まれており、当時の人々の生活のようすが分かります。
写真1・2は鍬(くわ)の刃です。四角いほぞ穴に柄(え)を差し込んで使います。弥生時代にはまだ鉄が貴重品だったため,刃も木でつくり,場合によっては鉄製の刃先を組み合わせて使っていました。3は横杵(よこぎね)です。臼とセットにして穀物の脱穀や製粉のために用いる道具です。木槌のような頭と柄がL字形に曲がっています。柄は途中で折れています。これらは主に農作業に使う道具です。4はヤスです。先端がとがっていて,魚を刺してつかまえる道具です。5は横槌(よこづち)です。ワラや豆,綿,布などをこれで叩いたのでしょう。6は鳥形木製品です。
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博多遺跡群第217次調査は,聖福寺正門前の細い路地に面した敷地で行われました。金属の鋳造に関連する鉄滓(てっさい)や羽口,坩堝が出土しました。1800年頃作成の古地図によると,この周辺は「金屋小路町(かなやしょうじまち)」と呼ばれていたようです。また,この付近に博多鋳物師(いもじ)とよばれる職人が店を構えていたという文献記録も残っています。
坩堝とは,金属を溶かす際に用いる容器です。坩堝の内面に青緑色のさび(=銅のさび)が付着したものが多く,これは青銅を溶かしたことの証拠になります。今回紹介する坩堝は,内面が赤っぽい色をしており,青銅の坩堝とはちがっていました。X線写真を撮影したところ,写真上方に小さな黒い点がいくつか写りました。黒い点はここに何らかの金属の粒が付着していることを示しています。次に,蛍光X線分析装置という機械を使って分析したところ,この黒い点の場所からだけ銀が検出されました。化学分析によって,あまり類例がなく貴重な,銀を溶かした坩堝であることがわかりました。
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銀粒子が付着した坩堝 |
坩堝のエックス線写真 |
幅3.8pの扇形の金具に立体的な獅子と花の模様が飾り付けられています。上の坩堝と同じ発掘調査地点で出土しました。
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直径1pたらずの淡い青色の小さなガラス小玉です。ガラスの色は,主成分のシリカ(透明)に混ぜ物をすることで付けます。例えば,鉛を混ぜると緑色,コバルトを混ぜると濃い青色になります。弥生時代・古墳時代の人も知っていたようで,古くからいろんな色のガラス製品があります。このガラス小玉は,分析の結果,カリウムとカルシウムが同程度検出され,江戸時代頃に広く作られていたカリ石灰ガラスだとわかりました。室町時代の溝から出土しました。
顕微鏡で観察すると,ガラス玉の作り方がわかることもあります。この小玉は,中央の穴に対して孤を描くような気泡が見えますね。このことから,熱したガラスを何らかの芯に巻き付けて作ったものだとわかります。
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