▲金武青木A遺跡遠景 |
▲金武青木A遺跡の位置 |
▲金武青木A遺跡出土木簡 実測図と赤外線写真(1/2) |
岸田遺跡(早良区早良4丁目所在)は早良平野が最も狭まる最奥部の、平野が一望できる丘陵地にあります。発掘調査で弥生時代中期の甕棺墓78基、土坑墓・木棺墓8基が確認されました。そのなかの木棺墓1基と甕棺墓5基から、銅剣5本・銅矛3本・鉄戈(てっか)1本・青銅製把頭飾(はとうかざり)1点・勾玉や管玉などの副葬品が出土しました。大量の青銅器が出土した早良平野の遺跡としては、これまで国史跡・吉武高木遺跡と吉武大石遺跡が知られています。
銅矛には、刃部に布目痕跡が付着することから布を巻いて副葬したとわかるもの、筒部内部に木質が残るものがあります。鉄戈はほぞ穴には紐の痕跡が確認でき、また柄の木質が一部付着することから、柄に着装した状態で甕棺内に副葬されたことがわかります。青銅製把頭飾は高さ6.2cmを測り国内最大かつ国内最古のものです。
▲把頭飾等が出土した0473甕棺墓 |
▲鉄戈が出土した0443甕棺墓 |
大塚遺跡は西区今宿町にあります。第14次調査地点は、古墳時代中期初頭の前方後円墳である大塚古墳(全長64m)の西側に隣接しており、弥生時代終末期から古墳時代中期にかけての集落跡が発見されました。
弥生時代終末期の竪穴住居から鍛冶関連遺物とかまどが見つかりました。かまどをもつ住居としては国内でも最も古い段階のものになります。また、鉄製品を製作する際に生じる大量の小さな鉄片や、鍛冶具と見られる石器がセットで出土しました。鉄片は小さな三角形や棒状の形をしています。三角形鉄片は、薄く延ばした四角形の鉄板の四隅をタガネで切断して鉄鏃や鉄鎌を製作した際に生じた残滓だと考えられています。
▲鍛冶鉄片が出土した竪穴住居 |
▲「三角形鉄片」が生じる過程 |
元岡古墳群G-1号墳は西区元岡の九州大学移転地内にあります。古墳の形態は一辺約18m の方墳と考えられ、この時期の古墳では最大級の大きさです。造られた時期は出土遺物から7世紀初頭と考えられます。石室の天井部などが破壊されていたにも関わらず、豪華な副葬品が残されていました。装飾付圭頭(けいとう)大刀(たち)など大刀4本、銅鏡1面、胡?(ころく)・馬具・耳環のほか、銀製空玉(うつろだま)・琥珀製ナツメ玉・水晶製切子玉(きりこだま)・ヒスイ製勾玉など多種多様な玉類が出土しました。
出土した大刀の1本は圭頭大刀とよばれる装飾大刀です。大刀を握る柄(つか)の先端(=柄頭(つかがしら))に山形の金銅製飾りがつき、その形が将棋の駒の頭部に似ることから圭頭柄頭と呼ばれます。製作には高度な金工技術が必要です。また柄には銀線を巻いており、長さは約90cmです。
西区元岡の九州大学移転地内にある桑原古墳群A‐10号墳から3点の耳環が出土しました。耳環は色調と太さから2種類にわかれます。耳環開口部の顕微鏡観察と蛍光エックス線による材質調査の結果、A.は開口部にしわがあり、金・銅が検出され水銀は検出されない、B.は開口部にしわがなく、金・銅・水銀が検出される、という特徴がありました。このことから両者は異なる方法で製作されていることがわかります。Aは銅芯に薄く延ばした金板を巻きつけた銅芯金板張耳環、Bは銅芯に金メッキをほどこした銅芯金鍍金耳環とよばれるものです。
▲A. 銅芯に薄く延ばした金板を巻きつけた
銅芯金板張耳環 |
▲B.銅芯に金メッキをほどこした銅芯金鍍金耳環
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