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半裁型礎板 |
組み合わせ式礎板 |
鼻繰のある柱根 |
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籌木 |
火付け木 |
木簡を転用した籌木 |
2004年九州大学伊都キャンパスの建設予定地の発掘現場から、黒字に赤い細線が入った美しいワイングラス形の漆器が出土しました。赤い線が一定の太さでまっすぐに引かれており、ろくろなどの回転を利用して書かれたようです。同様の細線赤漆の漆器はこれまで西区の今宿五郎江遺跡や博多区の雀居遺跡、下月隈C遺跡でも見つかっています。近年韓国釜山の古村遺跡でも類似した漆器の出土が報告されており、土器や石器だけではなく、木製品でも技術の交流・製品の流通などが朝鮮半島との間で行われていた事が伺えます。 | ![]() |
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蓋の腕木 |
遺跡名:羽根戸古墳群N群
資料名:馬具類
時 代:古墳時代後期
埋蔵文化財センターには、センター開館以前の古い時期に調査された遺物も収蔵されています。それらの中には、サビ取りや保存処理が行われないままのものが相当数あり、急ぎの仕事がないときは、20年以上前に出土したそれら収蔵品の保存処理も進めています。
1985年に発掘調査された羽根戸古墳群N群から出土した馬具です。羽根戸古墳群は、背振山系から派生し長垂山に至る丘陵上に所在する後期群集墳です。付近には金武古墳群、野方古墳群もあり、福岡市屈指の古墳密集地域を形成しています。
8号墳から、図のような轡と鞍金具が出土しました。鞍金具は花弁形の座金具と革紐をかける円環、さらに背後には鯱鉾の尾みたいに天に向かってそそり立つ長方形の鋲留のある板がつくという、大変手の込んだ一品です。しかし、よくよく考えると何かおかしい。
保存処理をしつつ調べた結果、轡は左右の部分に分かれていて、作図する際にくっつけ方を誤って想定したようです。また、鞍金具のほうは、2つの違う部位の部品を組み合わせて作図されていました。手前側は鞍のしおで金具、背後の部品は、壺鐙の吊金具であることがわかりました。
![]() ▲報告書の実測図 |
![]() ▲しおで金具 |
![]() ▲くつわ |
![]() ▲壺鐙の吊金具 |
1.はじめに
博多遺跡群では、これまでに約90の調査地点から、古墳時代〜近代以降の資料を含む約1100点のガラス関連資料が出土しています。これらのガラス関連資料には、共伴遺物や坩堝として使用されている中国製無釉陶器の年代観から、12〜13世紀代と比定されるものが含まれており、それらの材質については分析の結果、カリウム鉛ガラスが多く含まれていることが判明しています〔比佐2008、比佐2009〕。
博多遺跡群から出土したガラス関連資料には、製品だけでなく、未製品やガラスの付着した坩堝と考えられるものも多く、当地でガラスの溶融と製品加工がおこなわれたことが指摘されています〔比佐2008〕。
2007年に発掘調査がおこなわれた博多区冷泉町に位置する博多遺跡群第172次調査地点では、近年の博多遺跡群発掘調査の中では調査面積が広域であったこともあってか、ガラス製品やガラス製作関連遺物の出土が多い点が特徴としてあげられます。ガラス素材の製作に関連するような遺構は発見されませんでしたが、ガラス製品や未製品、坩堝、ガラスの滓などは300点以上出土しており、そのうちの118点については図化され、福岡市埋蔵文化財センターで蛍光X線分析装置を使用した材質調査がおこなわれ、報告されました〔池崎・本田編2010〕。
本次調査での多量のガラス製品・ガラス製作関連遺物の出土から、調査地点周辺でガラスの生産がおこなわれた可能性が強く指摘でき、中世の博多遺跡群でのガラス生産を考えるにあたって、今後重要な役割を果たすものと考えられます。
本稿では、博多遺跡群におけるガラス関連資料の蓄積を目的に、未図化資料の材質分析も含めて、再度博多遺跡群第172次調査出土のガラス製品・ガラス製作関連資料の調査をおこない、遺物の概要と材質調査の結果をまとめました。なお、既に報告書に掲載された図化資料についても、再度その調査成果を掲載しています。また、資料中には、鉄滓なども一部に含まれていましたが、それらについても、表に掲載しています。
2.資料の分析
これまで福岡市埋蔵文化財センターでは、ガラス製品や金属製品などを中心に、エネルギー分散型蛍光X線分析装置を使用した材質調査をおこなっており、成果をあげています〔比佐ほか2003など〕。博多172次調査出土のガラス関連資料についても、この装置を使用した図化資料の材質を分析しており、今回の追加調査についても同じ装置を使用しておこないました(1。(1)ガラス製品・未製品
博多遺跡群第172次調査では、玉・棒状・璧状・おはじき状・容器状・塊状など多様な形態のガラスが出土しています。その中で特に玉類の出土が多いです。玉類は、径5o〜10o未満の小玉、10o以上〜15o程度の大型の丸玉のほか、平玉や蜜柑玉、大型の玉に小型の玉を融着させたものなどが出土しています。小玉や丸玉は側面観が真球に近いもののほか、扁球形、潰れた滴下状を呈するものがあり、扁球形と潰れた滴下状のものが多いです。潰れた滴下状の玉は厚みが一定でなく台形様で、孔を中心に渦巻くような段差または気泡筋が入り、孔部周辺にバリや突起がのこっています。連玉状の資料も同様の特徴を持つものが見られる点から、芯に連続して熔けたガラスを巻きつけて連玉をつくり、分割して小玉を製作していた可能性が考えられます。台形様の潰れた滴下状の玉や表面の段差は、連玉製作時の巻きつけをおこなった際の痕跡であると思われます。本次調査では2連〜7連の連玉が出土しています。(2)坩堝・その他のガラス製作関連遺物
博多遺跡群出土のガラス坩堝は、壺型のものが使用されており、その中で中国製陶器の水注を転用したT類と、器壁が厚く粗製の把手や注口のないU類に大きく分類でき、両者は同時期に混在して使用されたと考えられています〔比佐2008〕。博多遺跡群第172次調査では、坩堝片が約160点含まれており、部位ごとに口縁部片16点、頸部片17点、胴部片76点、底部片15点、分類不能の小片37点に分類でき、底部片の点数から10点以上の完形の坩堝が存在していたものと想定できます。坩堝片を観察すると、薄手のものが主体で、全体像が復元できる資料については把手や注口があり、大部分が中国製無釉盤口水注と呼ばれるT-a型式で占められることが判明しており、未図化資料についても図化資料と同様に中国製無釉盤口水柱を転用している状況です〔池崎・本田編2010〕。今回、未図化資料を観察する中で、黒色の釉薬が施された陶器の口縁部片や土師皿片に緑色ガラスが厚く付着した資料も発見でき、中国製無釉盤口水注以外の器種についても坩堝や取瓶などとして使用された可能性も指摘できます。3.まとめ
博多遺跡群第172次調査から出土したガラス・ガラス製作関連遺物について未図化資料を中心に再度、資料の概要についてまとめをおこないました。![]() 小玉 |
![]() 連玉状 |
![]() 特殊な形態の玉類 |
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![]() 円盤状(左:璧状、右:おはじき状) |
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![]() 小型容器蓋 |
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![]() ガラスの付着する陶磁器(坩堝?取瓶か?) |
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![]() ガラスが付着する焦土塊(1) |
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遺跡名:元岡・桑原遺跡群第18次調査
資料名:木製居木(鞍)
時 代:古墳時代末(7世紀中頃)
考古資料の中には、実は大変すごい物なのに、そのすごさがうまく伝わりにくい。そういったシブい逸品があります。今回紹介する居木が、まさにそれ。日本で唯一、福岡市から出土している第一級の重要資料で、国内外から多くの研究者が資料調査に来られます。 この遺物の難点はただひとつ。はたしてこれは何に使う道具なのか、専門家でなければおそらく分からないということです。考古資料のもつ真価を皆さんにもっと伝えたい。そのためには、わかりやすい展示。ここでも私たちの出番です。居木とは何なのか、ひと目でわかるよう、レプリカの製作を行いました。 居木は元岡・桑原遺跡群第18次調査で出土しました。調査地点は丘陵に挟まれた幅約100m、奥行き300m程の谷です。古代に大規模な造成を行い、倉庫群が造られ、木簡、権、墨書土器などが出土しました。何らかの公的施設が置かれていたものと考えられます。
居木とは、鞍の前輪と後輪の間にわたす部材で、騎乗者が腰を下ろすところ。奈良時代以降の鞍は、正倉院御物をはじめとして今日まで伝世しているものがあり、居木の実物もあります。しかし、古墳時代の木製鞍については前輪・後輪が20点ほど出土していますが、居木は全く出土例がなく、その構造は不明でした。この居木の出土は、古墳時代末〜飛鳥時代(7世紀中頃)の鞍の構造を知る貴重な手がかりとなります。 | ![]() ▲元岡出土居木の実測図 |
![]() ▲鞍の構造(宮代1996) |
▼目的
居木が何であるか、理解の助けとする。
実物は触れないが、レプリカは触ることも出来る。実際に、触れることで考古学への
関心が深まるのでは。
▼気を使ったところ
居木から鞍全体を復元するとなると、どうしても空想が入らざるを得ない。
居木と組み合う前輪・後輪の形は?色は?できるだけ他の考古資料などを
参考にして、事実に近い形に復元しようと試みました。
![]() 1.この居木から鞍を復元する |
![]() 2.九州国立博物館のX線CTで立体復元 |
![]() 3.左右ペアの石膏レプリカができた |
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![]() 5.シリコーン樹脂を塗る |
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![]() 7.裏面も同様に仕上げる |
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![]() 9.シリコーンを慎重に遺物から剥いでいく |
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![]() 11.次は型にエポキシ樹脂を注入する |
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![]() 13.シリコーン樹脂をはがす |
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![]() 15.発泡ウレタンで鞍の土台作り |
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![]() 17.これから前輪と後輪を作っていく |
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![]() 19.前輪の形を整える |
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![]() 21.革紐で居木と前輪・後輪を組合わせる |
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遺跡名:箱崎遺跡
資料名:銅銭・和ばさみ・毛抜・キセルなど
時 代:江戸時代
福岡市ではあまり事例が多くありませんが、江戸時代を対象にした発掘調査もあります。発掘調査によって、文献史料に書かれていることを裏付けることもありますし、文字には残されなかった一般庶民の生活習慣などを明らかに出来ることもその魅力でしょう。
箱崎遺跡第62次調査では、江戸時代の墓地跡が調査されました。墓からは、銅銭、和ばさみ、毛抜、櫛、キセル、手鏡などの副葬品が出土しています。
銅銭は、6枚セットの場合が多く、俗に「三途の川の渡し賃」と言われる六道銭を副葬する風習が江戸時代には広く行われていることがわかります。もっと古い中世段階の銅銭が出土した土坑(おそらく墓)もありますが、この時期は銅銭1、2枚で六道銭の風習はまだ見られません。
また、和ばさみや毛抜、銭、櫛などが錆によってお互いくっついてしまった状態で出土した事例が多いです。その表面を顕微鏡で観察すると、繊維の布目痕跡が確認できました。これらの品をいわゆる頭陀袋に入れて埋葬したのでしょう。和ばさみ・毛抜・櫛はセットになっている場合が多く、キセルはそれらとはセットにならず、大概キセル+銅銭だけの組合わせで出土しています。男性と女性で副葬する品が違っていた可能性もあります。
![]() ▲銅銭に残る布目痕跡 |
![]() ▲和鏡のX線写真 |
![]() ▲和ばさみと銅銭 |