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この破片は、須恵器の大甕の口の部分です。口縁部にそって文字が刻まれています。上から解読してみましょう。まず1番目は上が少し欠けていますが「可」の字のようです。2番目と3番目はわかりやすく、「郡」と「乎」で間違いないでしょう。最後の字は難しいですが、上の「乎」字からの続きも考えて、「佐」と読みました。「乎」とあわせて「乎佐(おさ)」という地名ではないかと考えたわけです。乎左とは現在の南区日佐と考えられます。日佐は古代には那珂郡に属していました。そうすると最初の字は那珂の珂と読め、全体で「(那)珂郡乎佐」という地名を刻んだと考えられます。しかし、出土した都地泉水遺跡は早良郡、なぜ那珂郡の地名を刻んだ甕があるのでしょうか? 遺跡の周辺では、奈良時代の官衙建物や製鉄炉が多く見つかっています。これらの遺跡と関連があると考えています。 |