中央区人権啓発連絡会議だより こうろ 第32号 おもて面 発行/中央区人権啓発連絡会議 事務局/中央区総務部生涯学習推進課 電話 718-1068 STOP!(ストップ)コロナ差別 NO!(ノー)ワクチン差別  「ワクチンを接種しないなら退職と言われた」  「打たないなら別居を考えると告げられた」  「職場で接種の有無が公開されている」  「もし、感染したらあなたのせいだと言われた」  これらは、日本弁護士連合会に寄せられたワクチンを接種していない人たちからの声です。  新型コロナウイルスワクチンの接種は全国で進められ、国民の約8割が2回の接種を終え、3回目の接種も進められています。  しかし、持病や体質などの身体的理由を含め、さまざまな理由で接種することができない方や接種を望まない方、接種に慎重な方もいます。  ワクチン接種は強制ではなく、個人の意思が尊重されるべきであり、接種していない方に対して、非難や差別、いじめ、不利益な取り扱いをするべきではありません。  一方で、SNS上ではワクチンに関する不確かな情報や噂が飛び交い、一時は接種の妨害を呼びかける投稿もありました。  ワクチンを接種する、しないを決めるのはいったい誰でしょう?  それは、他の誰でもない自分自身であり、接種を強制されることも、接種の機会を妨げられることもあってはなりません。  感染者や医療従事者、その家族などに対する「コロナ差別」も、ワクチンを接種していない人への「ワクチン差別」も、また接種を心配、懸念する声や意見も、根底にあるのは「不安」ではないでしょうか。  「感染したらどうなるのだろう」という不安。  「ワクチンを接種しなければ感染するかもしれない」という不安。  あるいは「ワクチンの体への影響」という不安。  人は未知のものや経験のない状況に対して不安を感じ、警戒して距離を置こうとします。  不安はやがて恐怖に、そして排除に転じ、他者への差別や攻撃につながっていきます。   先がなかなか見通せない状況に不安を覚えるのは自然なことですが、果たして差別や攻撃で不安が解消されるでしょうか。  大切なのは、日常の感染予防対策をしっかりと行い、不正確な情報や噂に惑わされず、国などの情報を基に冷静に判断・行動することだと思います。  「大切な人を守りたい」という思いで発した悪意のない言葉や行動が、気づかないうちに差別につながることもあります。  誰にでも感染のリスクがあるなか、今日、自分が誰かに向けた眼差しや振る舞いは、明日には自分に向けられるかもしれません。  コロナ差別もワクチン差別も、「自分のこと」として考えることが大切ではないでしょうか。   第50回福岡市人権を尊重する市民の集い  令和3年12月6日月曜日に中央市民センターにおいて、福岡市人権尊重行事推進委員会が主催する「第50回福岡市人権を尊重する市民の集い」が開催され、NPO法人抱樸理事長の奥田知志さんが講演されました。  新型コロナウイルスの影響で定員を減らしての開催となりましたが、申し込み締め切り前の段階で定員に達し、当日は約200名という多数の参加のもと、大盛況の講演会となりました。 「ひとりにしない」という支援 NPO法人抱樸 理事長 奥田 知志 さん  長年にわたり生活困窮者の支援に取り組んでいるNPO法人抱樸の奥田知志さん。  講演では「利他の精神」や「伴走型の支援」の重要性について語っていただきました。  奥田さんは、まず「世界中でコロナが流行していますが、日本も世界も自分病というもうひとつ別の病にかかっています」と投げかけました。  一時期、供給に問題がないはずなのに不足したトイレットペーパー。あの時に無くなったのはトイレットペーパーではなく、私たちの心の中にある「他者」。「あの人はどうしているだろうか、大丈夫だろうか」という他者への気持ちが消えて、「自分だけよければいい」という気持ちが心を支配してしまった。  ワクチンの接種状況が国に よって大きな差が生じているのも、感染を恐れて医療従事 者やその家族などを遠ざけようとするのも、「自分だけ・自国だけ」という「自分病」が原因ではないか。  こう話したうえで、奥田さんは「自分病は自分を守っているように見えますが、本当にそうなのでしょうか」と問いかけました。  奥田さんの友人で脳科学者の茂木健一郎さんは「自分のことしか考えていない人は一人分のエネルギーしか出ない。しかし、自分の心の中にたくさんの人たちが住んでいれば、無限の力が出る」とおっしゃるそうです。  つまり「自分病」は自分を守っているようで、実はエネルギーを出せずに日々不安な気持ちになり、元気や意欲が出ないというわけです。  奥田さんは、「自分病」がはびこると世界は滅びてしまうかもしれない、と警鐘を鳴らし、この病を治すには自分の中に何人の人が住んでいるだろうかと考える「利他性」が必要だと訴えます。  そして、他者のことを考え悩むのは辛く苦しいことですが、自分本位を脱して「利他の精神」を持ちましょう、と語りかけました。  条件をクリアしないと、できない、入れない、認めない、ということばかりの世の中。そんな社会で、どんな人もそのまま受け入れるという意味で名付けた「抱樸」を33年前に立ち上げ、ホームレスの人たちを支援してきた奥田さん。  活動のひとつである炊き出しについて、「なぜやるのですか?」と聞かれるそうです。  それは、週一回の炊き出しでも、食事を通して「あなたを心配している人がいる、あなたは独りではないことを伝える」、「友達と呼び合える関係を作る」ためだそうです。  人間は「他者とつながり合えている」という思いを持つことで、生きることに前向きになれるのです。  奥田さんによると、支援にはふたつの形があるそうです。  ひとつは「解決型の支援」で、起きた問題を直接解決するための支援です。  もうひとつが「伴走型の支援」。人とのつながりを無くした人への支援で、その内容は「一緒にいる」ことです。  「解決型の支援」は、専門家によって解決していくしかありません。  しかし、問題を直接的に解決することはできなくても、問題を抱えている人と一緒に右往左往し、一緒に悩み、一緒に喜び、一緒に苦しむということはできるのではないか。  「一人にしない」ということなら、みんなでできるのではないか。  「解決型の支援」のもっと手前の日常で一緒にいることで、「解決型の支援」につなぐことができるのではないか。  こういった思いで、一緒に動く「伴走型の支援」を進めているそうです。  これは、日常的な人と人との接し方、人のあり方、生き方、地域づくりに通じるものではないでしょうか。  最後に、奥田さんは「物語」という言葉に触れました。  人とのつながりがなくなると人は言葉を失い、言葉を失うと、その人の「物語」がなくなってしまう、というのです。  「お金」や「物」の支援は必要だが、それらが単に支援を受ける人に渡るだけでは駄目で、ここに人が関わり、人とつながることで言葉が生まれ、そうすることで「物語」が始まる。  日本では支援と言えば現金や現物の支給などが中心ですが、かつては家族があり、地域があり、長期雇用の会社があり、それらが関わることで「物語」が生まれていました。  しかし、今では家族の形も雇用形態も大きく変わり、「物語」が生まれません。  その意味で、これからは「地域社会」がどう変わっていくか、その役割がとても重要であり、地域で人のつながりをどんどん増やしていくことこそが大切です、と優しく語り、講演を結びました。 中央区人権啓発連絡会議だより こうろ 第32号 うら面 人権尊重作品入選作品  12月4日から10日の人権尊重週間に向けて、中央区内から応募された人権尊重作品から、入選作品をご紹介します。(順不同) (ポスターの部) 上段右から  ・草ヶ江小学校4年  森山明澄さん  ・赤坂小学校3年  松尾昂さん  ・筑紫女学園中学校1年 武部彩花さん 中段右から  ・草ヶ江小学校6年  川口千尋さん  ・舞鶴小学校1年  国本 莉菜 さん (標語の部) 下段右から  ・ちがっても 一緒に歩もう  支えあおう  草ヶ江小学校5年 由比牧瀬さん  ・ありがとう 心をつなげる  感謝の言葉  草ヶ江小学校6年 藤山未来 さん  ・「ありがとう」  みんなが繋がる 愛言葉  南当仁小学校6年 馬渕礼妃 さん  ・気づこうよ 聞こえぬ叫び 見えぬ傷  警固中学校3年 下登照之助 さん 中央区人権啓発連絡会議 構成機関・団体(順不同)  中央区人権啓発連絡会議は、部落差別をはじめとするあらゆる差別の解消を目指し、「中央区人権を考えるつどい」の開催や街頭啓発の実施、広報紙「こうろ」の発行など、人権を尊重し人の多様性を認め合う明るく住みよいまちづくりの実現に向けて活動しています。  ・中央区校区自治協議会等代表者会  ・中央区人権啓発地域推進組織(校区・地区人権尊重推進協議会14団体)  ・中央区体育振興連絡会  ・中央区交通安全推進協議会  ・中央区青少年育成連絡会  ・中央区民生委員児童委員協議会  ・中央区老人クラブ連合会  ・中央区公民館長会  ・中央区小学校長会  ・中央区小学校PTA連合会  ・中央区中学校長会  ・中央区中学校PTA連合会  ・中央区子ども会育成連合会  ・福岡市身体障害者福祉協会中央区支部  ・中央保護区保護司会  ・中央区男女共同参画連絡会  ・中央区役所 編集後記  小学生の息子と一緒に、近くに住みながら、コロナ禍でなかなか会えずにいた両親の元を訪れた時の話です。ふたりの姿を見て驚きました。  なんと、母上様の髪が真っ白に。恐い思いをしたわけではなく、コロナで人と会う機会も減り、髪を染めるのが面倒になったとのこと。  「なんでも不精になるのはよくないよ」と小言が口から出かかりましたが、晴れやかな顔で「楽になったー。人に会うのも平気!」と言う母を見ていると、これも外見にとらわれず自分らしく生きることのひとつなのかな、と母から教えられた気がしました。  一方の親父殿はというと、マスクの下の口元にチョビ髭が。  二人の大きな変化に、次に会うのが恐いような、楽しみのような、そんな里帰りでした。