令和5年度第2回推進会議 意見シート 吉住寛之 2023年6月29日木曜日 1 第6条への新規追加について  差別解消のためには、幼少期からの正しい人権の考え方の普及・啓発・教育が必要だと思います。特に障害者差別においては、「障害の社会モデル」の理解の促進は必要不可欠です。そのため、6条の理念規定に友廣委員の案のような教育・保育・療育に関しての新規追加規定は必要だと考えます。  事務局の調整案や文科省の考え方には、昨年9月の国連の障害者権利委員会の強い勧告について十分な理解ができていないと思います。  残念ながら日本の「特別支援教育」の実態が「分離教育」そのものであり、日本は2009年度以降インクルーシブ教育への推進を目指したにも関わらず、ほとんど制度変革できていないのが悲しい現状です。 各国それぞれの事情を踏まえて日本も前進しているとありますが、実際には、欧米に比較して40〜50年遅れており、韓国や台湾、シンガポール、中国などの他のアジアの国々にも今では制度的に劣後しており、むしろ周回遅れでどんどん差が開いています。  そのような謙虚で冷徹な現状認識を欠いたまま文科省の方針に追随するだけでは、障害者権利条約の精神を否定することになりかねません。理念規定ですら福岡市独自の未来を自分たちの言葉で描けないようでは何のための条令なのかその存在意義も疑われます。むしろ、文科省の方針と異なり独自のビジョンを描くことに価値があると考えます。  また、「教育」や「保育」と「療育」を別扱いすることは、「障害の医学モデル」の考えによるものであり、明らかに障害者権利条約や法律・条令の精神に反します。障害のある子もない子も平等な環境が整備されなければなりませんし、その理念を掲げないと差別の再生産につながります。社会的障壁を取り除くのは私達社会の責任であるというのが「障害の社会モデル」です。現状追認では、社会的障壁を残し、差別を助長しているのと同じことになります。  おそらく事務局や多くの委員が、健常者と同じ場でなくても、障害のある人にはその人のための特別な支援や配慮を提供できれば差別ではないとお考えだと思います。それが分離教育の結果として国際的な人権感覚とずれた日本人の意識です。残念ながら日本人のほとんどが分離教育で過ごし慣れ育ってきているので、いったい何が差別なのかが本当の意味で分からないのだと思います。  お尋ねしますが、事務局や委員の皆さんの中でどれだけ障害のある人と実際に関わった人がいるでしょうか。幼稚園や保育園、学校生活を通じて障害のあるクラスメイトや友人がどれだけいるでしょうか。また職場に障害のある同僚や上司や部下がいる人がどれだけいるでしょうか。そして今あなたに障害のある友人はいるでしょうか。  障害のある人は決して少なく無く、むしろ数で言えばマジョリティです。身体・知的・精神の3障害だけでも約1千万人の数に上り、約12人に一人は障害者手帳等の所持者です。さらにその他の障害を合わせて考えれば、その数はもっと多く、皆さんの人生のどこかの時点で障害のある人と必ず深く関わっていないとおかしいはずなのです。その意味で実は多様性を欠いているのは健常者と呼ばれてきた皆さんの方なのです。今なお行われている分離教育のために、本来であれば社会の様々な場面で出会うべき多様な障害のある人と触れ合う機会を奪われてきたのです。  アメリカで1990年に障害者差別禁止法であるADAが成立して以来、多くの国では幼少期から様々な多様な人と触れ合う、学びあう環境が法的にも制度的にも整えられ、国際的にはダイバーシティとインクルージョンの社会がメインストリームになって久しいです。私は1996年にカナダ・バンクーバーのブリティッシュ・コロンビア大学に短期語学研修とホームステイをしましたが、既にダイバーシティとインクルージョンは社会生活や大学の授業の中でも実践されており、大学もまちもUDでした。  何度も言っていますが、超高齢社会では誰もが障害を有します。事務局や委員の皆さんが障害を有した時、本当にこれまでどおりの生活や仕事ができるでしょうか。障害を有しても、家族や友人、職場の同僚や上司、部下が変わらず接してくれるでしょうか。障害を有してもあなたの人生はHappyでしょうか。私は障害当事者として様々な差別を受け、多くのことを諦めざるをえなかったからこそ、を障害を理由に何かを諦めるまちにこの福岡市をしたくないのです。  真に、障がいを理由にした差別をなくし、障がいのある人もない人も共に生きるまちづくりのために、福岡市民の負託を受けてこの会議に臨んでいる皆さんに今一度、他人事ではなく、真剣に自分事として考えていただきたいと思います。     2 第3章に「何人も障がいを理由とする差別を行ってはならない」規定を       追加することについて   向井委員、友廣委員、國府院の意見に賛成です。少なくとも市民について福岡県条令のような実態規定が必要だと考えます。  これまで論点となっていた私人間の差別(ハラスメント等も含む)の問題について、なくす会は市民への啓発の意味合いを込めて条文改正を提案していますが、事務局の調整案ではそれを否定して「啓発」による対応に終始しています。ですが、そもそもこの3年間の啓発がうまくいっていないので、私人間の差別の問題が起きており、事務局の調整案では何らの問題解決案となりません。もし啓発を解決案とするなら、事務局はこれまでと違った大胆で効果的な啓発案の中身を提案しないとこれまでの議論が不毛で無意味になってしまいます。私人間の差別の問題はただ「啓発」で対応すると抽象的に言っているだけでは、福岡市は私人間の差別の問題を認識しながらただ放置しているということを事実上消極的に認めていることになりかねません。  また向井委員や國府委員が指摘したように、条文の構造上、総則・理念規定にある「市民」について、第3章の実体規定で言及しないのは明らかに法的な齟齬があるように思います。これでは、あえて「市民」を除外しており、反対解釈として、向井委員が言われるように、福岡市は「市民は障害を理由にさべつしてよい。」ということを容認していると理解できてしまいます。宣言的効果であれ、表現を変えて、市民についても規定するのが自然であるように思います。     3 意思表示が明確でない障がい者への合理的配慮の提供について  基本方針を踏まえ、障害や社会的障壁ゆえに意思表示ができないあるいは困難な人について、「医師の表明」項目を設けて逐条解説で詳しく解説していただきたいと思います。  また昨年度の会議で松尾医院からの指摘で、脳性麻痺やALS、聴覚障害などの言語による意思の表明が困難な場合、表情やしぐさ、身振り、手振りも「意思の表明」に当たるこ とも併せて丁寧に逐条解説で分かりやすく解説していただきたいと思います。