第1回差別解消推進会議 議 事 1 委員紹介等 交代があった委員の紹介を行った。 2 条例改正について (1) 今後の条例見直しスケジュールについて 資料1に基づき今後の条例見直しスケジュールについて事務局より説明。 特に質問はなった。 (2) 第6条第7号について 資料2に基づき、事務局より説明。 以下の協議があった。 委員:昨年度の第8回の会議のあとに、会議を踏まえた意見をまとめている。資料3「委員意見」の11ページで、コミュニケーション手段の具体的列挙については、第2条の「用語の意義」に設けてはどうかという形で提案している。コミュニケーション手段ということで、「全ての障害者は、障害者でない者と等しく、情報(高度情報通信ネットワークの利用及び情報通信技術の活用によって得られる情報を含む。以下この条及び第7条において同じ。)の取得及び利用並びに意思疎通において、自ら望む障害特性に応じたコミュニケーション手段を保障され」、そのあとに「情報を十分に取得し、及び利用し、並びに円滑に意思疎通を図ることができる権利を有する。」と、自分なりになるべくまとめたつもりである。 前回の障害者権利条約第21条には、さまざまな障害の特性に応じたコミュニケーション手段について具体的に列挙されていること、それから昨年度施行された障害者情報アクセシビリティ・コミュニケーション施策推進法での趣旨を踏まえて、その中からコミュニケーション手段が保障されること、それから法律では地域にかかわらず平等に情報の取得ができること、障害者と障害者でない者が情報の同一内容、同一時点での取得、利活用ができること、そしてデジタル情報についてのことを加えて、このようにしている。調整案では障害者情報アクセシビリティ・コミュニケーション施策推進法の趣旨や私の案も含めてくみ取っていただいて感謝申し上げる。 そこで1つ事務局にお聞きしたいが、調整案の前段の一文目は「手段を選択する機会が保障される権利」とあるが、そのまま「手段を保障される権利」とせずにあえて「機会」を入れていることについてお聞きしたいのが1点目。 そして、前段2文目の「並びに」の後が私の提案を踏まえて、権利の主体性ということで入れていただいたところだが、1文目の「手段の機会を保障すること」と「権利を有する」ということの関係性を調整案ではどのように考えているのかということが2点目である。 さらに後段の「障害者に対しては、情報の取得、利用、コミュニケーション及び意思決定の支援並びにこれらの選択の機会を保障する必要があること。」という規定は、恐らく意思決定支援が必要な障害者を想定して規定していると思うが、私の場合では「コミュニケーション手段」という中に意思の疎通の仲介や意思決定支援を入れてまとめた形で、広くコミュニケーション手段と捉えている。そのため、「コミュニケーション手段が保障され、情報の取得および利用、円滑な意思疎通ができる権利を有する」としたほうがすっきりして分かりやすいのではないかと考えている。 この調整案での前段の1文、2文の関係、それから後段の具体的に想定しているイメージを教えていただければと思う。 事務局:「手段を選択する機会が保障される権利」という意図は何かと、選択する機会ではなく、手段が保障されるということとの関連でのお尋ねかと思う。 こちらは現行条例の条文をそのまま持ってきている。ここに関しては、逐条解説では「障害者は、情報の送受信の場面で不利な立場になることがあることから、意思を伝達したりコミュニケーションをとったりする場面で不利な立場に置かれることがあってはならないという理念を規定した」となっており、その趣旨を踏まえ、われわれとしては「手段を選択する機会が保障される権利」という規定はそのままでもいいのではないかということで、基本的には現行条例と同じ形で規定している。 もう1点目は後段の「障害者に対しては情報の取得、利用、コミュニケーションおよび意思決定の支援ならびにこれらの選択の機会を保障する必要があること」という規定で、委員は、コミュニケーション手段がコミュニケーションや意思決定支援なども含まれているのではないかということでのお話だったのかと思う。 コミュニケーション手段に関しては、前段の「全ての障害者は言語(手話を含む。)その他の意思疎通のための手段」という規定が委員ご指摘のコミュニケーション手段のことかと思っており、その手段に加え、情報の取得又は利用のための手段を選択する機会も保障されるということ、情報の取得、利用やコミュニケーションそのものに関しては、後段の「並びに情報を取得し、利用し円滑に意思疎通を図ることができる権利」という規定で新たに案としてお示しをしているかと考えている。 委員:これまでの議論だと、事務局は「意思疎通」の中に「様々なコミュニケーション手段」が含まれるという意味合いで捉えていると私は理解している。今の説明だと、コミュニケーションそのものと、後段での「コミュニケーションおよび意思決定の支援、ならびにそれらの選択の機会」ということは、具体的にはどう違ってくるのか。私が、条文が想定しているイメージを少し勘違いしていたところもあるかもしれない。前段で具体的にはどういったことを保障して、後段では具体的にどういったところを想定して規定しているのか、具体例を交えて教えていただきたい。 事務局:この条文自体は大きく3つの要素がある。まず1つは、「すべての障害者は、言語(手話を含む。)その他の意思疎通のための手段及び情報(略)の取得または利用のための手段を選択する機会が保障される権利」があるということが1つ。 それから、今回追加をしている「並びに」以降の「情報を取得し、利用し、円滑に意思疎通を図ることができる権利を有する」ということが1つ。 まずすべての障害者は、「情報の取得利用または手段を選択する機会が保障される権利」と、実際に「情報を取得し、利用し、円滑に意思疎通を図ることができる権利」を有するという2つになっている。現行条例やたたき台は、もともと手段を選択する機会しかなかったところを、情報取得、利用、円滑に意思疎通を行うことができる権利を有する。という規定を2点目として追加した。 最後は、「障害者に対しては」という書き出しで始まっている。 2点目までは全ての障害者は権利を有するということを理念として謳っているのに対して、3点目は「障害者に対しては」という書き出しで始まっている。前回でも主語は何かという議論があったと思うが、ここで資料に書いているのは、障害のある方も、障害のない方も、障害のある方に対して情報の取得・利用やコミュニケーション、それから意思決定の支援、あるいはこれらの選択の機会を保障する必要があるということを謳っているものと考えている。 この規定は、現行条例では、「情報の取得、意思疎通のための手段や情報の取得・利用の手段を選択する機会を保障される権利を有する」という点と、「障害者に対しては、コミュニケーション及び意思決定の支援、並びにこれらの選択の機会を保障する必要がある」という点の2つを規定していたところを、現行条例になかったすべての障害者は、情報の取得、利用や円滑に意思疎通できる権利を有するということを追加して謳っており、さらに、障害のある方に対して、もともとコミュニケーションと意思決定の支援だけだったところを、「情報の取得・利用」という言葉を追加し、情報アクセシビリティ・コミュニケーション施策推進法の趣旨を踏まえた内容となっていると考えている。 委員:第6条第7号について、「すべての障害者は」と書いてあるが、参考資料2のチラシを見ると「障害のある人」という言葉になっている。その言葉をどちらかに統一したほうがいいのではないかと思う。 事務局:何ページに記載があるか教えていたきたい。 委員:参考資料2の「合理的配慮の提供義務化」というチラシには「障害のある人、ない人」という言葉が使われてある。障害者という言葉にちょっと抵抗があるというか、どの資料も言葉は統一したものを使ったほうがいいのではないか。 事務局:条例では障害のある方については、第2条第1号で「障害者」という定義が規定されている。 ご指摘のとおり、パンフレットなどで啓発する場合に、われわれも基本的には「障害のある方」などという表現を使って啓発しているが、あくまでも条例として規定をするということを考えた時には、法律などと同じように障害者という形で規定している。 障害者という定義は、条例第2条第1号に、「身体障害、知的障害、精神障害、発達障害、難病その他の心身の機能に障害がある者であって、障害及び社会的障壁により継続的、断続的又は周期的に日常生活又は社会生活に相当な制限を受ける状態にあるものをいう」と規定しており、条例には、具体的に規定させていただく必要があり、条例とチラシの表現は使い分けをさせていただいている。 委員:調整案には3つの要素があるということで理解した。調整案だと、前段1文目では選択する機会が保障されるということで、例えば手話で意思疎通や情報の取得を利用したいと言った時に、まず手話という選択をすることができる。その後、前段2文目で、手話で実際に情報の取得、利用、意思疎通ができることを規定している。 そして後段は、これに対してコミュニケーションや意思決定の機会が保障される必要があることとして、同じ内容を重ねて規定しているということは、例えば手話というコミュニケーション手段を相手側にもしっかり保障しなさいと言っていると捉えていいのか。 私が思っていたのは、後段は例えば重度の知的障害や精神障害、発達障害などによって、なかなか本人自身がコミュニケーションをうまく取れない方がアドボカシー、権利擁護的に仲介者を介してコミュニケーションするような場面である。例えば、一般的な意思疎通は難しいが、常に接している家族だとその人の表情などちょっとしたしぐさから情報を読み取って、代わってコミュニケーションを取ったり、契約の場面など最もその人の権利を代弁できる家族や専門家が意思決定支援を行ったりする。そのためにこの条文が用意されているのかと思っていた。 私の案では、行為の目的を情報の取得や利用、意思疎通として定め、それに用いるあらゆる行為を、全てコミュニケーション手段として一括して規定している。そしてそれらの権利を有するという主体的な形で示すことで理解をすっきりさせている。よって法律の文言の構造上市民に分かりやすいのではないかと思う。 事務局の説明ではやはり分かりにくい。最後に、後段のコミュニケーションや意思決定支援というのは、前段の「意思疎通」とはまた違う意味を込められて用いられているのか。具体的には前段と後段とでは意味合いや用いられる場面が異なるのかを教えていただきたい。 事務局:まず3つの要素のうち、最初と2つ目は、「すべての障害者は」ということで、障害者が権利を有するということを理念として規定をしている。 一方、3番目に関しては「障害者に対しては」とあり、障害のある方が権利を有するということとはまた別の話となっている。現行条例からこういった書きぶりになっているのでそのままにしているということを、前回の推進会議でご説明差し上げたところだが、この「障害者に対しては」という規定は、誰が障害者に対して選択の機会を保障する必要があるかということになると、これは障害のある方も障害のない方も全ての方が、障害のある方に対して情報の取得・利用、コミュニケーション、意思決定の支援、これらの選択の機会を保障する必要があるということである。 構成上、初めの2つが、障害のある方には権利があるということを規定しているのに対して、3番目は障害のある方もない方も、障害のある方に対して権利を保障する必要があるということを謳っている。 委員:事務局の説明だと、前段は障害者からの権利性を謳って、後段は障害者を含めて全ての人が、障害者に対してコミュニケーションの選択の機会を保障しなければならないことを規定し、同じ内容をある意味表と裏から書いていると理解をした。 この後にも議論の項目がひかえているので、時間の関係上、この項目での私の発言は最後にするが、事務局の調整案は趣旨や内容としては私の案とほぼ同じであると理解した。ただ、これは非常に分かりにくいので、できる限り分かりやすい書き方や表現に文言を調整していただきたい。また逐条解説で必ず様々なコミュニケーション手段について具体的な例示列挙をしていただきたい。 ※協議の結果、調整案の通りとなった。 (3) 第6条への新規追加について 事務局より、関係局照会中につき、次回会議に継続審議とする旨説明があった。 (4) 第3章に「何人も障害を理由とする差別を行ってはならない」規定を追加することについて 資料2に基づき、事務局より説明。 以下の協議があった。 委員:今回4人の委員から、資料3に具体的な案が出ている。 「何人も」という規定を第7条に追加することについて、今の調整案の考え方の中のどこで読み取ればいいのか。委員の意見としては、例えば、資料3の1ページの委員案を例に取ると、第7条に「何人も障害を理由とする不当な差別的取扱いにより障害者の権利・利益を侵害してはならない」という提案がある。この部分について、調整案に反映されてないのは、今のご説明の中のどこで読み取ればいいのか。 事務局:これまで推進会議でも、具体的に実体規定に規定するということであれば、どういった効果があるのかというのを議論していただいていたと考えている。 今回、ご提案いただいた内容について、実体規定に追加することの効果はどういったのがあるのかということで考えている。 資料2の3ページ、Aの「規定の重複について」にも書いているように、基本理念と実体規定で何が違うのかという話になった時に、基本的に違いはないと思っている。 委員の案では、「一般私人間について調整・あっせんを行う」というところが基本理念とは違う、実体規定に追加することの具体的な効果とお考えになっていたであろうと考えている。 現行条例では第14条第2項第2号に「調整・あっせん」という規定があり、行政指導を行う前段階として、事業者と相談者の間に入って様々な調整を行う旨の規定だが、ここについて今回、委員案としてお示しをいただいた内容では除外規定がない。 一般私人間の事案について、今まで現行条例の下では、逐条解説において調整・あっせんを行っていないと整理をしていたが、今回、実体規定に追加することで、一般私人間の事案も第14条第2項第2号に規定する「調整・あっせんを行うべき」と整理をされて、ご提案いただいたと考えている。 なぜなら、委員案において、一般私人間の規定に除外規定が存在するのは、第15条になっているからである。 第15条は、個別相談をした障害者及びその家族その他の関係者が、個別相談を行っても解決が図られない事案について、市長に対し、行政指導を求めるために申出をすることができる規定となっており、第15条に除外規定を置いているということは、第14条に規定する相談は一般私人間でも調整・あっせんを行うとお考えになられているからと思っている。 そうなってくると、今回の委員案で実体規定に追加することの効果は、一般私人間の事案についての調整・あっせんを市が行えば、基本理念とは違って具体的な効果があるとお考えになられたのかなと考えた。 しかしながら、市としては、先ほどご説明したように、一般私人間の事案について調整・あっせんを行うことはできないと考えている。そうすると実体規定に追加する効果として他にどういったものがあるかと考えた時に、啓発も議論していただいたとは思うが、市としては、基本理念に基づいての啓発を行っている。そのため、基本理念に規定する第6条第2号と、今回ご提案いただいている案は重複していると考えている。 今回のご提案では、それ以外にどういった効果があるのかは読み取れなかったので、市としては実体規定に仮に入れたとしても私人間の調整・あっせんはできない、これまでどおりということを考えており、実体規定に入れることの効果は理念的なもの、あるいは宣言的なものしかないのではないと考えている。 そうなってくると、基本理念は、宣言的な規定であり、そことの変わりがないので規定はしていない。 委員:私どもが具体的に第3章に規定してほしいと申し上げたのは、令和2年度の福岡市の調査では市民の7割以上の方が条例の存在を知らなかったというびっくりするような事実がある。例えば、市民に勧告や公表を課すということは会としては全然考えていないが、実体規定の対象に市民を入れることで、少なくとも障害者を差別することはいけないことだという趣旨で、基本理念だけでは足りないのではないかという考えである。 資料2の3ページの調整案の考え方の中に内閣府のQ&A集との記載がある。括弧で「事業者でない一般私人の行為や個人の思想、言論については、法により規制することは対象としていない」と書いてある。 これは「本法においては」という主語があり、本法とは障害者差別解消法であるので、法律ではこうしないという趣旨である。全てにおいて対象としないという意味ではないので、「本法においては」という文言が入ることと入らないことでは意味合いが違ってくると思う。 それから、その後ろにある憲法第19条の箇所について、書いてある内容は全くそのとおりであり、大臣が発言されてある内容で、異論はない。ただ、国会の参議院の内閣委員会の議事録を見たら、この部分は私人間の差別について大臣が発言されたものではなく、社会的障壁の中の観念について発言されたものである。だからここで引用するのは、大臣答弁の趣旨とは違うと思った。 当然、内心の自由はそうされなければならないが、なくす会としても条例の中に差別はいけないという規定を入れてもらいたいというのは、あくまでも内心の自由、内心のことを問題としているのではなくて、あくまでも行為として出てきたことに対して差別はいけないという規定をお願いしたいと言っているので、ここに書いてある趣旨と違うという感じを受けた。 それともう1つ、この条例ができる時に設置されていた条例検討会議、8回ほど開催したが、その条例検討会議で平成28年の時に福岡市からご説明いただいた資料を読み直したところ、こういうことが書いてあった。「法の規定の上乗せ等によりユニバーサル都市福岡にふさわしい効果的な施策を推進していく」と。法の規定の上乗せ等により施策を推進していくということが、条例検討会議の第1回で福岡市から説明があった。 要は、確かに今、事務局から説明があったところとすれ違っているかも分からないが、言われている横出し条例という考え方で、第3章に規定できないのか。確かに内閣府のQ&Aの中には、一般私人については、法律上では規定しないけれども、啓発活動を通じ趣旨の周知を図っていくとあるが、同様に地方公共団体、福岡市などに対する条例の制定に何らかの拘束が生じるのかという問いに対しては、結論としては条例を拘束するものではないとなっている。また、衆参両院の上乗せ横出し条例を認めるという付帯決議などを考えた時に、市民についても第3章に差別をしてはいけないという条項を入れられないかと考えている。 例えば、知的障害者福祉の父親と言われる糸賀一雄さん、近江学園をつくられた、本で知っているだけだが、その滋賀県の条例の中には、条例ができた時点から、市民に対しても差別は駄目という規定をはっきり条文の中に謳い込んである。これは令和元年に条例が施行されたので、もう5年前から「市民も差別してはいけない」とはっきり県条例の中で謳い込んである。 それからこれはケースが違うが、東京都の場合も事業者の合理的配慮の提供の義務について、平成30年から、もう5年、6年前に、既に法的義務にしてある。 要は、法律のQ&Aの中に、地方の条例については法律からの拘束を受けないということが1つ、地方独自で考えていいということを考えて、一方で障害者に対する差別、例えば家族からの差別とか近隣からの差別という事例が、私どもの令和3年の調査で1割以上挙がっているという実態を考えると、そこに何らかの規定を入れていただけないかという趣旨である。 事務局:条例は、法律の上乗せ横出しができるという趣旨でご意見を頂いているが、この実体規定について、というより法律と条例の関係性として、条例は国の基本方針にも書いてあるように、法律の上乗せ横出しができ得ることは認識している。 ただし、これまでも何度か申し上げてきたところではあるが、この実体規定に追加する効果とは何なのかということについてお尋ねしてきたし、実際のところの効果は何なのかということについてご提案いただいた案を基に考えるしかないというところがあり、今回、実体規定に規定する効果とは啓発になられるかと思うが、基本理念の第6条第2号に「何人も障害を理由とした差別により障害者の権利利益を侵害してはならないこと。」と規定しており、この規定を基に啓発をしてきている。 そういったことを考えた時に、実体規定に規定している市や事業者は具体的な効果として行政指導であったり勧告・公表といったことが規定されているが、市民に関しては、ご提案では勧告・公表はしない、行政指導もしないとなっている。調整・あっせんについては、市としてはこれまでの経緯や逐条解説にも書いてあるように、一般私人間の事案については一般私人間で解決することが望ましいと考えており、調整・あっせんをしないということになった時の効果は何なのかと。 効果が啓発ということであれば、基本理念に市としても規定をしているため、基本理念を基に啓発をしていくことになる。 どのような啓発をしていくべきかということについては、当然、推進会議などでご議論いただきながら啓発するところではあると思う。そういった実体規定を追加することの効果というところで、基本理念に規定をしている内容と効果は変わらないのであれば、調整案では規定はしないという形で整理している。 委員:私も今回、第7条に「何人も障害を理由とする差別を行わない」ということと連動して、現行第7条に「不当な差別的取扱いについて市民に対してもしてはならない」という文言を追記する提案を行いたい。 理由は、条例が発効して5年以上経過したが、条例の発効前に差別をなくす会でアンケートを取った段階においても、条例発効後においても、一般私人からエレベーターに乗車を拒否されたと、バスから知的障害児を降りろということで泣く泣く降ろされた、あるいは地域の隣人から出て行けと再三に渡って言われて、結局泣く泣くそういった形になった。あるいは親族から親族の葬儀に出ることを反対されて出られなくなった。こういった一般私人から、事業者の方からの差別以上に深刻な事例があっていることは事実である。 これに対して何もしないでいいのかというのが当事者団体の差別をなくす会の主張で、最低限、勧告・公表といった罰則的なことはなくても相談として取り扱ってあっせん・調整をしていただきたいという趣旨である。再三にわたって障害者差別解消法の制定時の私人間の内心の自由、あるいは行為規制できないということだろうが、実際問題、内心の自由に対しては、当然、障害者を差別するということを思っている方を規制できないし、それは内心の自由である。それを実行されたという場合に、じゃあどうなのかということである。深刻な場合に何もしないでいいのかということで、やはり最低限、一般市民に対してもあっせん・調整、そういったことをしてはいけませんというレベルで行政から介入はしてほしい。 実際、障害者差別解消法、虐待防止法、DV防止法、ヘイトスピーチ解消法、さまざまなマイノリティーの方々の権利を擁護する法律、あるいはそれに準じる条例については一般私人間についても全く何もしないという事例はないわけだし、私も弁護士、法律家でないが、やはりヘイトスピーチ解消法についても最高裁の判例では公共の福祉に反するような表現の自由は認められないといった判例があったということを聞いた。 そういった意味では、一般私人の方々に対しても、差別がなくならない以上は最低限の、罰則はないが、行政から丁寧に、相談を通して、啓発プラスアルファ、深刻な事案については、あっせん・調整をしてくれればということで提案している。 もちろん市はしないということでおっしゃっているのは当然だが、市がこれまでされてないからこそ、あっせん・調整のための第7条に規定しないとできないため、だから第7条で市民について規定して、あっせん・調整していただきたい。しないということを踏襲するかどうかは、ぜひ委員の方々からもご発言いただきたい。 委員:この第7条の規定が要るかどうかという話、非常に内容的には重要なところである。私人間の差別は許されないというのは大前提ではあるが、具体的に考えてみると一般私人間の差別的な事例がもしあった場合に、この規定を入れることによって一般私人間に行政が介入して、例えば隣の人との間に差別的な行為、あるいは発言があったことに市が介入してくるということが、現実的にどのくらいできるのかというところが、まず問題なのかと思う。 この条文の法的な効果というのは、まさに行政指導や勧告や公表ということを行わないということであればこの1点にあるかと思うので、市が調整・あっせんをするということになると、膨大な数のケースを持ち込まれるのではないかということも予想される。人的・予算的な実現可能性というところについて、非常に懸念があるというところはある。 もし仮にこれが今の状態のとおり調整・あっせんを市ができないということであれば、事務局の説明と重なるが、やはり法的効果が実質上特にないということになってしまうので、第6条第2号の文言と重複して置かれる意味というところが問われてくるということになってしまうため、まさにこの調整・あっせんを行えるのかどうかというところについて検討をしていただくことが必須になってくるかと思う。なので、もしそれができないということであれば、この条文は入れられないということになってしまうのではないかと思うので、今のスタンスだと難しいのかなというのが私の結論である。 会長:今、効果という言葉に加えて、実効性の確保ということも出てきたと思う。キーワードに私はなると思うが、ほかの委員の皆さんはいかがか。協議なのでご意見をぜひ頂きたい。 委員:ここは非常に重要と思っている。基本的にはおっしゃられることは非常によく分かるというところだが、調整・あっせんを行うという時に、内心の自由に踏み込まずに行うことができるのか。行政機関がそこに入ることについての一般市民の思いというか、受け取りを含めて、そこは本当に大丈夫なのかなというのも私は気になるところである。 実際にたくさんの事例が持ち込まれた時にできるかということについては、これはかなり厳しいなとは思う。やはり持ち込まれたからには、何らかの手当てをしないといけない。取捨選択はなかなか難しいということを考えると、実際にそこができるのかというのは非常に厳しい。 それとやはり本当に踏み込んでいいのかなという、調整・あっせんのところはぎりぎりのところになってくるかなと思うが、これは差別に当たるというような情報提供をしてというところまではいいが、例えばさっきの葬儀の場面で「これはしたら駄目ですよ」「してください」「しなさい」ということを市という行政機関が言う、その重さというのはどんなものなのかなと。私は法律家ではないので分からない部分はあるが、その辺はどうなのか。 間違いなくそこは行政がやってもいいところであるということであればいいが、そこに疑問があるということになると、私たちは一方で憲法や法律を守らないといけない、あるいは守るというよりも擁護しないといけない立場になってきて、本当に大丈夫なのかなということも気になるところなので、教えていただけたらお願いしたい。 委員:福岡市の「調整・あっせん」が「内心の自由」にかかわる議論がされているが、私人間では既に差別らしき行為は行われているので、これは「内心の自由」というよりも既に外に行為として表出されているので「表現の自由」の問題ではないかと思う。障害者に対して差別的な思想を持っている人が、刑法や民法には触れないがハラスメント行為を行っても市としては憲法第21条によって表現の自由があるので、公共の福祉に反しない限りは差別表現であっても表現の自由の一部として容認しなければならない。そのため、憲法尊重用語義務を遵守しなければならない公務員として行政としてはその意味で関われないということだと理解した。 また、「調整・斡旋」の実効性の確保という観点からも福岡市のマンパワーやその他組織力では無理だと言うご意見もあった。私人間で、差別で困っている実態があっても、市としてはかかわれない。残された手段としては、私人間の差別事例は残念ながら一般的な啓発か情報提供という形でしか、福岡市はできない。市長は「みんながやさしい、みんなにやさしいユニバーサル都市福岡」と広く喧伝しているが、残念ながら障害者への差別については、福岡市は啓発以外は何もしない、そのような現状と理解していいということか。 それとも本当に、「障害のある人もない人もともに生きていくまちづくり」ということを掲げてやっていくのであれば、非常に難しいことは分かるが、何かそこにできること、工夫すること、関わることというのがないものなのか。ぜひ他の委員の皆さんの意見を確認したいと思う。 委員:私どもは事業所の団体であり、定例会とか様々なところで話を聞くと、やはり地域の方から様々な苦情が来ることもある。でも、そこは地域の民生委員さんなどにもつないで、解決の糸口を見つけるようにしている。みんな障害者に対して差別をしようと思ってされているわけではない。ただ、病気について、障害について理解をしていただきたいという思いがあるので、そういう時こそ自分たちで地域に入って、障害者110番につなぐこともあるが、そういう時に自分たちが努力して障害について分かっていただこうということをみんなで、各事業所頑張ってその時はやっている。 一市民というのは、地域の中で、障害者も入っていると思う。だから何人もというのは、障害がある人もない人も、障害者同士でも差別をすることがある。だから当事者の方、利用者の方にも、いろんなそういうことでもめ事があった時は事業所として解決策を見つけながら、みんなで本当に仲良くやっていけるように、できるように努力している。みんなが努力をすれば、そんなに条例の中にこれを加えなきゃいけないって、そんなにしなくてもいいのではないかなと思う。あとは啓発のところを、さっきおっしゃっているように啓発をとにかくどういうふうに皆さんに分かっていただけるか、具体的に進んでいくことのほうがいいのではないかと、会議に出ながらいつも思っている。 会長:とても大切な視点だと思う。障害者差別解消法自体、共生社会の実現という枠組みがあるので、今の委員の意見を聞きながら、全てを条例に盛り込むことではなくて、できることはそれぞれが努力されているということを私自身学ばせていただいた。 事業者や事業主のお話もご意見を頂きたいと思うが、ほかの事業所の方等でも何かご意見があれば、協議なのでいただきたい。 委員:事業者ではないが、人権啓発センターでは、いろいろな差別解消であるとか人権侵害について、啓発を中心に行っている。その中で、いろんな人権啓発の中で障害者の問題というのは大抵よく取り扱うようになっている。町中で見ているところで、皆さんの意識は少しずつ変わってきているかと正直感じている。例えば、杖を付いて来た人に対しての声掛けをしたりとか、車いすの方についてちょっと段差があるところで手伝ってあげたり、そういうのは意識しているかどうかというのはあるかもしれないが、そういうことが目に付いてきたかなと思って、少しずつ意識は変わってきているのかなと。 罰則という話ではなくて、こういった障害ということに対して合理的配慮といったことを啓発していくことは人権啓発センターでもやっているが、効果というのは少しずつ出てきているかなと。もちろんできてないところ、当然それがちゃんと障害者の権利が守られていない部分はまだまだあるかと思うので、これからも取り組んでいく必要があるかなと思った。 それで、この障害者差別解消条例は、事業者としてサービスや行為をする中で障害者に対しての配慮をしていきましょうということなのかなと思っている。さらにそれを拡大して個人間の問題に取り組むというのは、私は行政でもあるので、難しいとこがあるかなと思う。一方的な差別的取扱いではなくて、お互いの相互の言い争いの場合もあるし、一方が障害者だけではなくて、双方が、障害のある方の争いというのもあり、そこはどちらが差別なのかという問題を取り扱うのは非常に難しいと思う。 ただ、個人として、「この人は嫌だ」「この人では相手をしない」という判断では個人としては基本的には何らかの権利侵害がある場合を除いて、そこは自由に判断されるものかというところではあるので、そういった部分に行政としてそこを深く入っていくのは正直難しいだろうなと思っている。 委員:個人について、情報提供などの対応は行っているけれども、調整・あっせんは行っていないと断言してあるが、どういうところが調整・あっせんになることなのか、内容をお聞かせ願いたい。 事務局:逐条解説などでは調整・あっせんのことを、行政指導に至らない程度のものとし、事業者や行政機関と当事者間との間に入ってうまくいく方法を調整するなど、そういった趣旨で調整・あっせんとしている。 いわゆる行政指導ではないということだが、例えば、私人間での事案ということなので、仮に葬儀に出たら駄目だということを身内の中でお話があった時に、調整・あっせんを行うとすると、お互いの間に入って、「障害を理由に葬儀に出てはいけないと制限するのは良くない」というお話をわれわれのほうからするということになってくると思う。それをどう判断されるか、強制力は基本的にはないと思っている。 事業所が障害を理由に入店を拒否したということであれば、調整・あっせんとしてわれわれが何をするかというと、法律や条例に定めがあり「障害を理由に制限しており、条例に違反している」という話をし、そこでその趣旨を理解していただいて利用につながればいいが、障害を理由として、それでも入店を拒否するという話になった場合には、条例に違反しているので是正しませんかと行政指導を行い、それでも是正されなければ、勧告や公表を行うといったことになってくる。 今ご提案いただいているのは、私人間の事案に関して調整・あっせんは行うが、それ以降の行政指導をするようにという申し出は除外すると言われているので、お互いの間に入って考え方などを説明して、制限をしているということであれば、「その制限は良くない。やめないといけない」といった趣旨を説明するが、そこで先ほどからお話をしている様々なご本人の考え、制限をした方のお考えがどうかなどを考えると、市としては私人間の事案に関しては私人間の話し合いで解決することが望ましいということを従来からずっと申し上げてきた。 委員:説明は分かったが、じゃあ解決にはいかないということか。事業者の場合は解決に結びつくかもしれないが、さっきのお話があったように、障害を持っている家族のことは、そこの家族間で解決する道しかないと理解してもいいか。 事務局:今の考えはそうである。間に入ったからといって解決するかもしれないが、解決しないかもしれないし。間に入ったから解決するかどうかというのは、それは分からない。 委員:そこに介入されないのであれば、そこの家族の人たちはどこに相談に行けばいいのか。 事務局:お互いに話をしていただくしかないと思う。本当に重大な行為があったなどであれば、一般的には民法などに基づいて対応されることがあるとは思う。 委員:法律に関することだったら、法律で決まっているからと言うが、条例になれば私たち一般市民としては、条例を頼るしかないような気がする。 事務局:法律的な事項や効果などを考えて条例に規定するかしないかというのは、基本的にはそれぞれの自治体で考えることではあると考える。 ただ、これまでに申し上げてきているのは、法律上でも一般私人の行為は規制していない。それは憲法上認められた自由との関連があって国でもやっていないと思う。そこを越えて市がそういったところまでやるのかやらないのかという話になるのかと思うが、なかなか難しいと思う。 委員:解決策に結びつくような地域づくり、近所付き合いじゃないけど、そういうことを願いたい。 事務局:当然われわれとしては啓発など、国もそうだと思うが、具体的な調整・あっせんという行為はしないけれども、そういった行為は良くないという啓発などは絶対的に必要なことだと思う。何もわれわれは一般私人間の争い事を黙認するということを言っているわけではない。ただ、条例に書くことの効果、条例に書いて具体的に誰かに何かをお願いするといった時に、条例でも何かをお願いする時にはそれなりの拘束力がある。 絶対的に啓発は必要だと思っているが、今ご提案があっているのは調整・あっせんをすべきということだと思う。現行条例の時から整理をしていたが、一般私人間で争いがあった場合はそれぞれでお話をいただくということになるかなと。 繰り返しになるが、啓発は絶対に必要だと思っている。 委員:啓発を一生懸命頑張ってもらいたいなと思う。私も一生懸命学んでいかなければいけないと思った。 ※この項目について引き続き協議することとなった。 (5) 第7条第6号の規定について 資料2に基づき、事務局より説明。 以下の協議があった。 委員:基本方針案には、差別の定義としては、何度も言うが障害者権利条約ではあらゆる区別を差別として認定しているが、日本の障害者差別解消法はそうではない。間接差別についても定義していないということは、十分承知している。 ただ、基本方針案にもあったように、やはりこういった事例が枚挙にいとまがないということなので、条例の条文上難しいということであれば、逐条解説で基本方針案と同じような形で、障害を理由とした差別というのは単に障害だけでなくて、ここに書いてあるような社会的障壁を解決する手段も含めて広く含まれるのだという趣旨・内容が、多くの市民に伝わるような書き方でぜひ書いていただければと思う。 それから第7条第6号のア、イに、客観的、合理的な理由がある場合の例示として挙げられている「他の者の権利利益を侵害するおそれがあると認められるとき」や「選択した意思疎通の方法によっては当該意思を確認することに著しい支障があるとき」については、何を具体的に想定しているのか分からないし、逆に委縮効果を生むので削除してほしいということで意見を提出した。 事務局の説明では、「他の者の権利利益を侵害するおそれがあると認められるとき」についての意味合いは、障害者権利条約の合理的配慮の条文の中で、「他の者との平等を基礎として」と同じであるとの説明ではよく分からない。そもそもこの条例は障害者権利条約を受けて障害のある人がない人と同じように等しくするための法律や条令なので、趣旨としては分かるが、障害のある人が情報の取得をする時に他の者と平等を基礎にするのであったら、障害がない人も何か情報を取得する時に他の者の利益を侵害することの具体例を教えていただければと思う。 また、イの「選択した意思疎通の方法によっては当該意思を確認することに著しい支障があるとき」といったら、恐らく私が素直に読むと、例えば盲ろう者であれば触手話や指点字など、一般の方にはまだまだ知られていない障害特性に応じたコミュニケーション手段があるので、それらのコミュニケーション手段が「客観的合理的な理由がある場合」になってしまい、不当な差別を助長してしまう。これでは障害がある人と障害のない人が等しくというふうにはならないと思う。前回の会議でもお話ししたように、その障害とコミュニケーション手段は一体不可分であり、ここでは差別というのは、その障害特性に応じたコミュニケーション手段を拒否することなので、区別していい、ほかの人と違う取扱いをしていいということにも広げるような例示は、なるべく避けて削除していただければと思う。 事務局:ここについては、今回調整案としてお示しをしているのは、「障害者が情報の取得及び利用を行う場合において、当該情報の取得及び利用により他の者の権利利益を侵害する恐れがあると認められる時」という形の規定になっている。情報の取得利用をする際に他の者の権利利益を侵害する恐れがあるというのは、その方の個人情報を無理やり取得するといったことかもしれないが、少なくとも、情報取得・利用をする際に他の人の権利利益を侵害するとなっているので、ほかの人との均衡上、障害のある方が不当に情報取得・利用ができないということにはならないと思う。 他の人の権利利益を侵害するような形であれば、先ほど申しあげた個人情報の取得などになるかもしれず、除外されるかとは思うが、そういった趣旨でこの規定は他の者との平等を基礎としているという趣旨かと考えている。 委員のご提案というか、ご意見と私の説明で異なるところがあるとすれば、ここは限定的に規定をしているというところかと理解をしている。 委員:障害者じゃない人も、情報の利用・取得をする時に他者の利益を侵害しないということは当たり前なことで、言わずもがなのことをあえて規定するのはおかしいのではないか。逐条解説でも客観的・合理的な理由の1つとして例示をされているだけでも、具体的に書かれていないので、これは障害者があたかも何か情報を取得する時に他者の権利を侵害するケースを想起させ、誤解を与えかねない。当たり前で不必要なことは、文言として書くべきではないということで削除をお願いしている。客観的・合理的な理由の中にこういうことが含まれるということはあるし、当然、情報の利用・取得で多くの場合に安全上の危険とか生命の危険ということがすごく想定されるのであれば、ほかの第7条第1号や第2号のような書き方をすることは理解できるが、一般の方でもなかなか想定できないことをあえてここに書く必要はないのかなということで削除を申し上げている。 もし、等しくという趣旨であれば、「等しく」というふうに書いてもらったほうが単純で分かりやすいと思う。 委員:今の委員のご発言に関してだが、法学の分野で文言的に考えると、情報の取得及び利用について他の者の権利利益を侵害する恐れがない時には、最大限利用や取得ができるという解釈になろうかと思う。客観的に合理的な理由は除くというところについては、客観的・合理的な理由が明らかにない場合には、最大限障害者の方が情報の取得・利用ができるので、例外的に障害にかかわる方が情報を取得する時にそういったことがあるのではないかというよりは、そこの範囲まではぎりぎりまで取得ができるということを表していると私は解釈している。そのため、調整案のとおりでいいのではないかと思った。 ※協議の結果、調整案の通りとなった。 (6) 意思表示が明確でない障害者への合理的配慮の提供について 資料2に基づき、事務局より説明。 以下の協議があった。 委員:この件については私から意見シートで、「障害のある人が社会的障壁の除去を必要としている場合であって、意思の表明がない場合においても、そのことを認識し得る場合においては、建設的対話を働きかけ、合理的配慮の提供を行わなければならない」といった意見を提出した。今説明があった内容について、確かに内閣府のQ&Aの中に資料2に書いてあるとおり表現がある。 ただ、内閣府のQ&Aの中に「障害者からの意思の表明がない場合にも、法的な義務は発生しないものの、行政機関等や事業者が自主的に適切な配慮を行うことは本法の趣旨に照らし望ましいことと考えている」という表現がある。内閣府のQ&Aの中にも、やはり意思の表明がない場合にも、「望ましい」という表現ではあるが書いてある。それで、ここのQ&Aの3番目の「自主的に適切な配慮を行うことが望ましい」という趣旨を、この条例の中に何らか入れることはできないか。 事務局:今頂いたご意見に関してQ&Aにも、基本方針にも同じようなことが書いてあったと記憶している。ただし、これは合理的配慮という用語を使っていない。 それは法律の建て付けとして、合理的配慮が意思の表明を前提としているからということだとは思うが、合理的配慮という用語を使わずに適切な配慮が具体的に何を指すのかということを整理する必要があるのではないかと考えている。 条例に規定をする場合には、相手方にとってもどういう状況の時に何をしないといけないのかということが具体的に分かる必要があるかと思っており、そういった意味で合理的配慮という言葉を使わずにどこまでその趣旨を条例に書き込むことができるのかというのは、われわれとしてもなかなか結論が出ないと思っている。そこがまさに参考資料1の条例検討会議の報告書に、「障害者やその家族などから意思の表明がない場合にこれを義務付けることは、現実の場面での必要性はあるにしても、条例で規定することは困難との考えもあり規定していません」とあるのは、恐らく合理的配慮という言葉を使わずにどうやったら条例に書けるのかといったところで、当時の議論がなされているのではないかと考えている。 なお、逐条解説には今、委員から説明があった文言と同じような内容の記載があったかと思う。「障害者等からの意思の表明がない場合でも、障害者の様子などから社会的障壁の除去が必要と考えられる場合には自主的に適切な配慮を行うことが望ましいと考えられます」となっている。どういった場面で適切な配慮を行うようにするのかというのは啓発の部分にもなるのかと考えている。 委員:先ほどの意思表示が明確でない障害者への合理的配慮の提供について、事業所の立場では、前からも申し上げているがどういったレベルが合理的配慮を必要な段階なのかというのが、やはり個人個人で恐らく違うと思う。そこを統一見解でこの場合はこうしてくださいという条例というのは難しいのではないかと思うし、その条例を皆さんに知っていただきたいという商工会議所としての立場としても、こういう場合はこういうふうにしてくださいという説明が難しいのではないかと思う。 それでなかなか条例には難しいのではないかと思うが、具体的にどういった場合だったら合理的配慮、建設的対話というふうに考えていらっしゃるか、その辺の判断があったらお伺いしたい。 委員:ある団体の逐条解説に挙がった例としては、例えば足が不自由な方が車いすでお店に見えた時に棚の上の物を見たいという素振りというか、そういうのを見せてあるけれども本人が言い出せない、それを店員さんが見て手に取って見せてあげるという例がある。 委員:私も時々電動車いすの脳性まひの方とご一緒する場合に、いろんな団体とお店などに行く場合があるが、言葉で発せないけれども誘導された場所のテーブルの高さが違ったり、席に座れない場所に案内されたり、スクリーンが身近にあってまぶしい場合、あまりに遠すぎてスクリーンが見えない場合など、個々の状況は違うが、誰が見ても周りが見たら「あの人困っているな」と認識できる場合がある。 ここで問うているのは個別具体的に条例で律することでなくて、そういった意思表示ができない方が障害者におられる。合理的配慮は、意思表示が前提になっているけれども、そうじゃない場合も個別具体的には一律に律したいけれども、そういった場合には建設的に働きかけて合理的配慮をするのが望ましいという趣旨で、内閣府の指針にも示されていると思う。決してそれは合理的配慮ではないというふうに、限定的には捉えていないというふうに内閣府の基本方針も認識している。そういったあえて意思表示がない場合の指針というのも、しなさいということは言ってないけれども、自主的な努力義務をするのが望ましいという意味で書いてある。 そういった意味で、そういう人がいるということを条例に書き込むことの意味付けがあると思う。私も、委員が言われたが、義務付けじゃなくても最低限そういった建設的対話をとおして個別具体的にそういった事案があった場合には、意思表示のない方々にもできることをやりましょうという趣旨で、最低限、合理的配慮の努力義務に努めるのが望ましいという記載をしていただきたいというのが希望である。 それからもう1つ、なくす会では、全て条例で一律に律したいとか規制するとかではなく、あくまでも共生社会の一環であり、啓発や対話が前提である。垣根がない対話がないと、絶対に啓発も進まない。それを前提として、そういったレアなケースがあった場合には条例としてもお目こぼしがなく取り上げていただきたいということで、言っている次第である。そういった意味で重複するが、そういった事例でぜひ合理的配慮を意思表示がない方々にも努めるという配慮は頂きたいと思う。 事務局:法律や基本方針では、合理的配慮は意思の表明があった場合と明確に記載があり、意思の表明がない場合は合理的配慮ではなく、先ほど委員が言われた「適切と思われる配慮を提案するために建設的対話を働きかけるなど、自主的な取組みに努めることが望ましい」とある。意思の表明がない場合は合理的配慮をするとは基本方針上、規定されているわけではない。従って、資料にもまとめているように条例に規定をするということは誰かに何かをお願いするということなので、お願いされる側にも何が良くて何が良くないのかというのをきちんと分かるようにする必要があると考える。 特に、合理的配慮の提供を努力義務であったとしても、規定に反したら違反になるとなるのであれば、相手方にとって何が違反になるのかというのをきちんと明確にしておく必要があるところ、国の法律のQ&Aでもあるように、その人が障害者なのかどうかというところが分からない、あるいは配慮を必要としているのが分からない場合に具体的に配慮を義務付けることが困難といった考え方でいくと、条例に規定するということに関しては難しい部分があると考えている。 ただし、先ほど委員が言われたように、啓発が必要ではないといったことを申し上げているわけではなく、そこについては必要な啓発活動は行っていかないといけない部分であることは間違いないことだと思っている。 条例に規定をするといった時の法的な効果などを考えると、1つの事例が委員からもご説明があったかもしれないが、意思表示がない人に対してこういう時に合理的配慮をしないといけないという例示を逐条解説などに網羅的に記載ができればいいが、現状ではなかなか難しいというのが正直なところである。 意思の表明がある場合は当然、合理的配慮の要件になっており、法改正により義務になるので、これはしないといけない。障害のある方から、「社会的障壁を取り除いてほしい」という意思の表明があった場合にはこれは義務になるので、過重な負担ではない場合は合理的配慮の提供をお願いすることになる。けれども、委員の案で、意思の表明がない場合に合理的配慮が義務や努力義務になった場合、誰かに何かをお願いするといったことを考えた時には難しい部分がある。啓発は必要だと思っている。 委員:多数意見ならそれに従うが、私は委員が言われたとおり、意思表示が困難な方がいるということを、やはり条例のどこかで確認するという意味でも、この合理的配慮のところで、合理的配慮では努力義務まで求めないが、内閣府の指針に書いてあるように、「意思表示のない方で社会的障壁の除去が必要としていることが明白な場合は、何らかの自主的に取り組むことが望ましい」というような趣旨の文言を追記していただくよう要望する。 (7) 第9条第1項への規定の追加について 資料2に基づき、事務局より説明。 以下の協議があった。 委員:繰り返しになるが、なくす会のアンケート、それから条例をつくる会の時のアンケートから含めて、やはり子どもの学校の場面や地域など、子ども自体でのいろんな無意識の差別的発言、言動、それからその家族の方々の言動、そういったのがかなり散見された話が多い。もちろん教育委員会でも直にやっておられると思うが、それでも不十分だからこそ子どもの時から、そういったことを植え付けられる前に、普通に適切な学習、教育を図ることの重要性ということを、条例に「努めるべき」というレベルで書くことは何ら問題ないと思う。それを、やっているからいいじゃないかと。やっているけど、それが差別の解決につながってないからこそ、この条例に書き込む意義があると思う。 このレベルは啓発で縛るものではないので、啓発レベルで教育の重要性を書き込むことについては、地域、家庭、学校等でこういったことを差別の解消を図ること、書くことは何ら問題はないと私は思っている。記載をお願いする。 委員:来年4月1日から「改正障害者差別解消法」が施行されることによって、事業者の合理的配慮が法的義務となった。この会議の中でも残念ながら福岡市内の企業が「合理的配慮」の言葉はおろか、この法律や条例すら知らない実態がある。そういう意味で、事業者、大企業だけではなくてむしろ多くを占める中小企業の人、あるいは個人商店なども含めてもっと理解の促進のための啓発が必要だと思う。 そこで、意見では、啓発以外の支援ということで、「必要的な支援」という文言があったほうがいいかなということで付け加えさせていただいた。 経済界の代表の方がいらっしゃったら、啓発以外の必要な支援として、何かお考えやご意見があればぜひこの場でお聞きしたい。 委員:啓発に必要となってくると研修なのかなとは思う。あとは、教育が中心だと思うので、講師の派遣や、あとは例えば補助金などそういったものがあると事業者としては使いやすいのかなとは思っている。だからといって、そこが啓発で広く広がるかと言われると、両方両輪であるとよろしいのかなと思う。 事務局:研修については、第9条はそもそも「市は」から始まっており、「事業者および市民が多様な障害のある人の状況を理解し」と続いているように、条文上、事業者に対して必要な啓発活動を行うとなっている。従って、その中で研修や啓発などは現行の規定でも十分に対応が可能と考えている。 また、補助金などのお話もあった。当然、施策の効果なども踏まえてということにはなるが、前回の推進会議でもご説明したように、別に財政上の措置という条文があるで、必要であれば当該条文により財政上の措置を講じるとなると考えており、それ以外に何か必要な支援というのが考えられるのかといったところでの、今回のご質問と考えている。 教育について、こちらも今の条例の条文では前回もお伝えしたところだが、「市は」で書き出しが始まっているところに「教育」という文言を入れると、事業者に対して教育というのが条文の構成上なじみにくいかなと思っている。特に委員からの教育というご提案の趣旨から外れていくことになるので、そういった意味で規定していないということもある。 委員: この条例に「教育」という文言を入れたほうがいいのかという判断は難しくて、どちらがいいのかは分からないが、資料2に書いていただいているとおり、学校では学習指導要領に基づき、また市の方針等も受けて学校で人権教育の大きな取組みの1つとして、障害者への差別解消については取り組んでいる。本校では主に4年生を中心にしているが、その前後でも学習内容に含めて学習をしている。 また、大体、市内の小学校はどこにも特別支援学級があるので、その子どもたちと同じ学年の通常の学級の子どもたちと交流する場面というのも、非常に大事な場面として取り組んでいる。先ほど、それが不十分であるという厳しいご意見も頂いたので、その点についてはどのようにまた効果を上げるような教育をしていくか、検討しなければならないと反省している。 委員:私がうれしかったことで、お店でお会いした時に、私は聞こえないということを言っていないにもかかわらず、相手の方が身振りとか手話みたいな感じで表してくださった。「どうして手話が少し分かるの?」とお聞きしたら、「学校教育の時に習った」という答えが返ってきた。やはり教育というのは必要だな、重要だなと思った。福岡市から教育委員会に、差別をなくす教育は必要じゃないかなと本当に思っている。 そしてもう1つ、コンビニでうれしかったことをお話ししたが、「お箸要りますか」とか「ビニール袋要りますか」、「温めますか」などを聞かれる時に、それを見て分かるようにちゃんとカードのようなものが準備してある。それは本当に合理的配慮だなと思っている。業者もきちんと教育を受けないといけないなというのは私も感じる。 そして3つ目。この会議で話し合う時に、私は聞こえない。聞こえない私がいる。色々な障害者がいらっしゃる。聞こえないから手話が必要。皆さんもこの会議に参加している以上は、覚えて表現してほしいというところも、そうするととてもうれしい。それも合理的配慮ではないかと思っている。 やはりあいさつぐらい、手話ができるというのではなくてもいいから、あいさつだけでも皆さんがやってくだされば、私も親しみが湧いてとてもうれしく思う。それも差別をなくすということの1つだと思う。私の心も、そうされることによってとてもここに参加するのが楽になる。やっぱりあいさつぐらいは覚えていただけたらうれしいなと思う。 委員:自分としては、事務局が言うような整合性から考えると、「教育」と「必要な支援」という言葉を除いたとしても、何度も言うが、義務ではないので、この後段の「家庭や学校、地域をはじめとする社会のあらゆる場面で障害者との交流を深めていく」文言は残していただきたいということを要望する。これはかぶっても何も問題はないと思う。 事務局:交流については、先ほどもご説明したように第10条で交流についての規定があるので、啓発活動の条文の中にさらに交流というのはなかなか厳しいかなと考えている。 委員:交流のほうに入れてもらったらいいが。 ※協議の結果、調整案の通りとなった。 (8) 第17条への規定の追加について 資料2に基づき、事務局より説明。 以下の協議があった。 委員:「(3) 調整案の考え方」の2番目の・「福岡市内であっても(略)」とある。これはこの条例がいわゆる属人主義という立場に立つということの理解でいいのか。福岡市民であれば、例えば東京に行って差別を受けた。その時には福岡市が東京で対応をしていただけるということなのか。 事務局:資料にまとめているのは、福岡市民が東京に行った時ではなく、福岡市が例えば東京都でイベントを開いた時に、福岡市が主催者として障害のある方との対応が必要な時は、当然福岡市として対応すべきと考えているということを申し上げている。福岡市が市外に行った時は、当然福岡市が対応するということからすると、単に福岡市域内にあるから、福岡市でも諮問の訴えができるということではなく、やはりそれぞれの相手方である県、それから国が対応すべきではないかと申し上げている。 委員:例えば福岡市民が、福岡市外で福岡市民でない民間事業者から差別を受けた場合、例えば観光地に行って観光バス、福岡市内以外の観光地に行って、福岡市の会社でない会社のバスに乗って差別を受けたという場合は、福岡市が対応されるということになるのか。 事務局:逐条解説では第14条の「相談の規定」の解説として、「相談とは福岡市内で発生した差別に関する相談をいいます」とある。基本的には私が先ほど申し上げたのは、国や地方公共団体が相手方の事案について、そもそも誰が対応すべきかといった時には、それぞれ相手方となっている自治体なり国の機関ではないかということを申し上げている。相談については逐条解説にあるように、「福岡市内で発生した差別に関する相談をいう」となっているので、福岡市民が他都道府県などで事業者などから差別に遭ったということであれば、当然是正をするのは当該市町村なり、当該都道府県になるのではないかと考えている。 ※協議の結果、調整案の通りとなった。 意見交換 委員:前回の後、意見シートを出したが、今回の協議事項ではなかった。しかし、今日の会議を通しても必要なことだと思ったので申し上げたい。 条例附則の「検討」が、「この条例の施行後3年を経過した場合は」ということで、今回検討していると思う。しかし、今回の会議を通しても、まだまだ条例のことについて話し合う時間も必要じゃないかなと感じている。現状では難しいと事務局の方もおっしゃったで、「この条例の施行後3年ごと」という言葉に変更していただけるのはどうかという意見を今回出したいと思う。 3年後の経過した場合は今回でおしまいで、状況がある時はということになると思うが、3年ごとということで、今後、状況に応じて改正の必要があると思うので、ぜひ「3年ごと」という文言を入れていただきたいと思っている。 事務局: 3年後の見直しの規定については、条例が制定された当時、特に合理的配慮の提供などが努力義務だったことなどもあり、国も同じであるかと思うが、そういった具体的な課題があって3年後というような形で、一般的には新規の法律ができた場合なども3年後に見直すとか、何年後に見直すといった規定があるかなと考えている。それにならって条例も規定をしているものと考えているが、今般、障害者差別解消法が改正されたが、改正された法律にはそういった見直しの規定がないということが1点ある。 前回もお尋ねいただいた時には説明したが、改正をしないということを申し上げているつもりではない。当然、国の法律改正や、何か変化があった時などに改正することは必要と思っているが、単純に3年たったから見直すという規定は、今のところ、国の法改正の際の取扱いを考えると、規定をする予定はない。 委員:冒頭のスケジュールについて、その時に質問すればよかったが、来月の推進会議で報告の内容を取りまとめて議会にというスケジュールを示されたが、次回の協議が終わったあと、この会の報告書、取りまとめはどうされるのか。 事務局:報告書などを作る予定はない。前回、条例を制定した際は、特に条例を検討する場がなく、条例検討会議を新たに立ち上げて、そこでいろいろ検討いただいたものを1つの報告書にまとめた上で、さらに翌年度、保健福祉審議会に諮問をして手続きを踏んでいったかと思う。今回は既に条例の規定の見直しについては推進会議で行うこととしているので、そういった意味で推進会議としての報告書などを作る予定は今のところない。 委員:報告書はないということだが、具体的にどういった形でこれだけ長い期間、意見交換したものが取りまとめられたかという、最初の意見集約のたたき台がずっと変遷していたと思う。何らかの、こういったものでまとまったというフィードバックというか、そういったものは頂きたい。じゃないと、これだけ議論したものがどんな形で出るのか分からないままスルーしていくのは解せないと思う。 事務局:基本的には、まだ公開しきれてない部分もあるが、会議資料や議事要旨は全て公表するものであり、過程が全く分からないということはないかと思う。 委員:私も一委員として入っているが、結構揺れているので、いろんな議論が。最終的なこんなふうになったとか全体像とかは何か分かりやすく、報告書でなくてもいいが、確認する機会はいただきたいと思う。次回でもいいので、そういったことを何らかの形で反映していただければ。