第6回福岡市障害者差別解消推進会議 議 事 条例改正について 資料1に基づき、事務局から各委員へ確認したいことについて説明を行った後、意見交換を行った。 1 前文 委員:資料を見ると、障害者は、年齢18歳以上の障害者だと私は大体分かっているが、障害児のことも差別や合理的配慮を受けられないなどの実情がある。障害児、子どもという言葉も入れたほうがいいのではないか。 委員:資料2の1ページの最初に、「全ての人は」「障害の有無にかかわらず」ということで、ご指摘の障害児も全て入っているという理解。事務局としては前文のそもそもの趣旨等を踏まえ、委員意見の通りに前文を変更する必要があるのかどうかというところをお伺いしたいということではないかと思う。 委員:前文の中に障害者と入っており、条例の第2条ではそこに子どもがない。18歳以上の大人に対すると私は受け止めてしまう。子どもも人権はあり、障害のある子どもも差別などを受ける場合があるので、「障害児」という言葉も付けたほうが、全ての人に対応する、誰一人取り残さないSDGsの考え方があうのではないかと思った。 事務局:先ほどもご説明したように、そもそも前文は、条例制定の背景や理念、決意等を述べることが主旨になるので、主旨を踏まえ、変更するべきとお考えかお尋ねしているので、委員のご意見は第2条に関するご意見ということではないかと考える。 委員:前文の中には「全ての人、障害の有無」とある。子どもも大人も関係なく全てということで書いており、それはいいと思う。ただ、その後の条文では「障害者」になっている。先ほどの前文では「障害ある人」となっており、本文では「障害者」というように、相互性とかそういうのを考えると、前文は「全ての障害のある人」になっている。第2条の定義もやはり、子どもも含めた文章を書いていただいたほうが前文と第2条がしっかり結びつくのではないかと思う。 委員:今議題としているのは前文に関して資料2で頂いている意見に対して、例えば参議院のホームページで前文を改正するというのは非常にまれだということを踏まえて、前文の中身をどう改正していくかというお話だと思う。委員は、恐らく第2条の表現をどう変えるかということでの発言であり、今の議題とは異なるのではないかと思う。 委員:「尊重」と「尊厳」は、解釈の仕方が多種多様にあると思うが、私としては現行の「かけがえのない個人として尊重」と考える。「尊厳」となると、何か身近な問題から少し離れていってしまうような気がする。個人の尊厳が確保されるのは正しいことで悪いとは思わないが、この条例が皆さんに分かりやすいように身近な問題として捉えてほしいと思えば、「かけがえのない個人として尊重」という解釈のほうが、自分の心の中に入っていくような気がした。尊厳はもちろん大切な言葉だが、ものすごく重たすぎて身近な問題からかけ離れるような気がした。私としてはこの部分は、「かけがえのない個人として尊重される」。で、その次は「個性」と「能力」というよりも「可能性」という言葉が適切かなという感じがした。 委員:前文が参議院のホームページでは改正することは珍しいとされていることも知らず、この前文に対して意見を出したという経緯があるが、最初に制定された条例の背景やその時の思い、趣旨は変わらないようにしながらも、より適切な言葉があれば、修正することは悪くないと思う。 委員:私は差別の本質というのは個人の尊厳を傷つけることであると個人的には思っている。今回前文に「尊重」という言葉しかなかったので、やはり尊厳という言葉も尊重とともに大事な言葉であると思い、ぜひ入れてほしいということで意見を出した。表現が硬すぎるので「かけがえのない個人として尊重される」のほうがすっと入るというのは、非常に貴重なご意見だなと思う。ただ、障害者基本法の目的にも「尊厳」という言葉が入っているため、「尊重」だけでなく、重々しくなく身近に感じられるような言い回しの中で、「尊厳」という言葉をぜひ入れてほしいと思っている。また、お互いに尊重されるということは大事だが、どうしても「尊重され」という表現は受け身的であり、一方で主体的な表現である「尊厳」も非常に大事という思いであるため、尊厳という言葉をぜひ入れていただきたい。もう1点の「能力」ではなく「可能性」という意見は、そのとおりだと思う。以前だと、能力という言葉は、そこまで違和感がなかったが、私たちの理解や言葉の認知度ということに対して社会の理解が進んでいったこともあり、「可能性」がより適していると思う。最後に、私も確かに、前文をあまりいじくり回すということは不適切だろうと思う。だが、言葉の適切さの吟味や障害の概念、これは障害者権利条約でも、障害の概念は発展していくものであるということを明らかに謳っているため、趣旨を変えずに表現を変えていくということは当然あり得ることではないかと思う。 委員:前文とは条例制定の背景、理念、決意などを述べる文章のことを言うため、基本的にはあまり変えないという考え方は分かるが、障害者の差別解消という意味合いで言うと、障害の概念が変わってきたり、従前はこれが差別と考えられなかったり、問題意識されなかったことを踏まえ追加することは前文が反映されてなかったのであれば、アップデートするのは当然じゃないかと思う。「個性と能力」を「個性と可能性」と変えるということは、参議院のホームページに前文を改正するというのは非常にまれと記載されていたとしても、ふさわしいと思う。親なき後の現実の問題はそこまで深い理解がないが、従前は見過ごされていた問題だけれども非常に重要な課題だということであれば、前文に加えることはすごく当然のことと思う。 委員:前文はあまり変えないと言いつつも、必要なところは変えていいと思う。ただ、文言として委員意見のような文言がいいのかどうかというのは、事務局にしっかり見ていただく必要があると思う。「個性と可能性」について、「可能性を発揮し」というと、日本語としてどうかと感じる。可能性という言い方をするなら、ほかの言い方にしないといけないと思う。あと、「深刻さを増している」という言い方にすると、何に対して増しているというのかが分かりにくい。修正するに当たって、文言の確認というのは必要かなと思う。 事務局:今、個別の前文をどう変えるか、どう思われるかというご意見を頂いているが、ここでご意見を頂きたいのは、元々条例を作った時に背景や決意があって作った前文を変えるということについてのご意見を頂いている。必要なら変えたほうがいいのではないかというご意見を承っている。ほかにご意見があれば承りたい。 会長:前文を変えるかどうか、確認したほうがいいのか、細かいことを聞くよりも、意見を募るだけにとどめておくほうがいいのか。 事務局:今後、内部でたたき台の作成について検討を進める必要があり、今回いただいたご意見を踏まえて、たたき台をご提示させていただきたいと思っている。この場で方向性を決めず、ご意見を頂戴したい。 委員:条例の最後の附則「検討」で、「条例の施行後3年を経過した場合において、条例の施行状況を勘案し」という規定があるが、これに基づいて今回、条例の見直しをするということで、確かに確認事項に書いてあるように、前文は背景だったり理念だったり決意等と書いてあるように、その当時作られた前文を考えられた方たちの思いが盛り込まれていると思うが、時代の流れにおいて大きな背景や思いを大きく変えるのではなく、さきほどの可能性や能力などは少しずつ見直す必要があると思っている。 2 市の責務 委員:法律に同様の記載があり、福岡市は政令指定都市であるため、他の小規模な市町村よりは事例は多いと思ったこと、推進会議でも皆さんが取り組まれた好事例も含めての事例の収集、そしてそれをこの会議で共有したことがとても参考になったため、この条例改正の機会に文言を追加してはどうかと思った。もしこの条文を入れることで不都合があるのであれば再考が必要だろうが、規定を追加してはどうかと思う。 委員:確かに、内閣府の報告書でも、小さな自治体では事例の収集等に関して、事例自体が極めて少ないとの調査が出ている。ただ、福岡市は政令指定都市でもあり、九州の中でも福岡市はどの自治体も1つのモデルとして参考にする核となる自治体でもあるため、福岡市はアジアのリーダー都市としての牽引役として、差別のない誰もが暮らしやすい共生社会のまちづくりのロールモデルとして、情報を発信していくという意義は非常にあるのではないかと思う。また、差別の事例だけではなくて、むしろ好事例も情報として出すことで、住みよい社会が広がっていくという意味でも、ぜひ文言として入れてほしいと思う。 委員:確認だが、今回確認事項に含まれていない修正意見に関しては、新規追加という方向で動いていると認識していいのか。 事務局:確認事項としてお尋ねしていない意見は全て条例に盛り込むということではない。 委員:「情報の収集、整理、提供」の追加については「提供」が特に書く意味があると思っている。従前この推進会議の中でも具体例や事例を出すというところで非常に困難な事情があって、なかなかこの推進会議の中でも共有ができない。また、われわれで共有できなかった情報が多々あり、今後この提供を意識した上で、国のデータベースからでも結構だが、情報を提供することを意識するのは非常にいいことだと思う。 3 「何人も」障害を理由とする差別を行ってはならない規定の追加 委員:現在、福岡市の条例の中では、「市民」は先ほど出た「市民の役割」という形で規定されている。いわば理念規定にとどまっている。そういう意味では市民にとって具体性がない。令和2年の調査では市民の7割以上の方が条例の存在そのものをご存じない。障害者差別解消条例は何を目的としているのかといったことから、当然、市民の方に理解していただかなければ条例を制定した目的も果たせないし、意味もないと思う。そういう意味で、市民に差別に関する強いメッセージを送ることができると思う。それは、啓発の強化につながることだと考えている。単なる文言や条例、法律、条約等との整合性にとどまらず、この条例の趣旨や、障害のある当事者、家族、支援者の思いを知っていただくための大きな手段になると思っている。障害者権利条約においては、元々個人も当然条約の対象にしている。もちろん障害者基本法や障害者差別解消法の中でどうかということはあるが、条約は法律の上にあるもので、そういう体系から言っても市民に対する規定を入れることは法的には何ら問題がないと言っている。併せて、先般、国連の障害者権利委員会の中で、わが国に対して総括所見が出された。この中でもわが国に対しては、私的療育を含め生活のあらゆる分野において、全ての障害者に合理的な配慮が提供されることを確保するために必要な措置を講じることという指摘がある。そういうことを踏まえると、福岡市の条例の中にも市民を対象に入れる必要があると思っている。それから、身近で考えると、福岡県障害者差別解消条例においては、既に「県民は何人も障害を理由とする差別を行ってはならない」という条文が規定されている。私ももちろん福岡市民でもあるが、県民でもある。県条例が運用されている中で、特段の支障があるということは聞いていない。資料2の7ページに記載されたように、差別を行ってはならない、ただし罰則規定はなし。さっきおっしゃった差別的な取扱いや合理的配慮の提供は、市民は対象としない。いわば福岡県の条例と同じように改正できないかという提案をしている。もちろん、罰則がない条例でいいのかという疑問があると思うが、まずこの条例の存在、障害者差別をなくさないといけないということを、まず啓発として市民の方に十分に知っていただきたい。逆に条例ができたことによる効果は、そういう意味では大変大きなものがあると思っている。 委員:第7条の前にご提案の条文を規定すると仮定した場合に、その前に第6条第2号で、基本理念として「何人も障害を理由とする差別により障害者の権利利益を侵害してはならない」という規定も残すというご意見かどうかお尋ねしたい。もう1点は、この条文を入れた場合に私人同士での争いに対して、全てに公的な調整・あっせんをやるべきだというご意見と承ってよろしいか。 委員:資料2の7ページに書いてあるが、第3章「障害を理由とする差別の禁止」という実体規定として、第7条の前に記載がある。しかし、先ほども申し上げたように、例えば、不当な差別的取扱いや合理的配慮の提供の規定の対象からは市民を外す。ということは調整・あっせんの対象とはならないと考える。新たに追加する規定を新第7条とすると、当該規定の対象には市民も入る。次の新第8条、新第9条、それ以下の調整・あっせんなどについては対象としない。まず、条例の目的や、障害者差別の現状があるということを市民に認識していただかないと、一歩も前に進まないと思う。 委員:発達障害の親だが、発達障害は目に見えない障害のためわかりにくく、親戚や近隣住民からの「親の育て方が悪い」など心ない言葉で、嫌な思いをしたり精神的に参ってしまうということを耳にする。まだまだ私人間での差別がなくならない現状があり、現行の第7条の前に、実体規定として、「何人も障害者に対して差別をしてはならない」という言葉是非を入れていただきたい。 委員:2点ほど確認したい点がある。一つは、福岡市として、具体的に調整や斡旋を行う際の、その具体的な内容について教えていただきたい。2つ目に福岡県では既に「何人も」という規定があり、私人間を含めて対象となっているとのことだが、実際には福岡県はどう対応しているのか。調整・あっせんまで行っているのかどうか教えていただきたい。 事務局:調整・あっせんに関しては、お手持ちの参考資料になるが、第14条に「障害者あるいはその家族、関係者などは、市に対して障害を理由とする差別に関する相談をすることができる」となっている。障害を理由とする差別という文言は、条例の第2条の定義で、「不当な差別的な取扱い、あるいは合理的配慮をしないこと」という定義がある。本人などが障害を理由とする差別に関して相談をした時に、市は個別相談を受けた場合は、必要に応じてではあるが、当該事案について、関係者間の調整またはあっせんを行うことになっている。冒頭でもご説明したように、私人間の調整・あっせんは行っておらず、現行条例の考え方では、現行の第7条、あるいは第8条に関する、市あるいは事業者から不当な差別的取扱いを受けたという相談、または市あるいは事業所から合理的配慮の提供を受けられなかったという相談があった際に、相談窓口で相談をお受けして、それぞれに事情を確認する。そのうえで、不当な差別的取扱いに関しては、正当な理由がなく障害のある方とない方で異なる取扱いをしたといった不当な差別的取扱いを行った事実があるのであれば、趣旨を説明して何らかの改善を図っていただくという調整・あっせんをするということになる。合理的配慮の不提供に関しては、求められている配慮が、負担が重すぎてそのままできない場合であっても、建設的対話や合理的配慮の提供の趣旨に沿うように代替手段などで障害のある方の本来の申出の趣旨が果たせるように、調整・あっせんを行っている。今は、不当な差別的取扱いや合理的配慮の不提供は、市や事業者に関しては、第7条や第8条で「事務事業に関して」という規定があるため、本来の市の事業事務、あるいは事業者の事業の中で不当な差別的取扱いと合理的配慮の不提供があった時に、調整・あっせんに入ることになる。県はどうしているのかということについては、県に正式に確認をしているわけではないが、市障害者110番のように行政又は事業者と、利用者の間に入って調整・あっせんをしているかというと、そうではなく、相談があった時に間に入っているというよりは、考え方の説明など行っていると記憶している。 委員: 調整・あっせんをしないとなると、結局、私人間で何か差別事例じゃないかという相談があった場合、障害者110番には相談としては別に受け付けられないというという理解でよろしいか。条例の考え方に関する情報提供まではあるが、実際相談があった際に、建設的な対話や正当な理由といったことについて関わるという相談体制のスキームにもっていくことはないという理解でよろしいか。 事務局:私人間に関する相談について、 基本的な条例の考え方などの説明や情報提供は当然行ってはいるが、調整・あっせんは行っていない。 委員:そうなると、なくす会が主張しているように、実体規定で「何人も」と規定してもその後の調整・あっせんまでは考えてないということになると、現実的には条例の運用の現状は大きくは変わらないと理解した。 委員:ご説明いただいた「何人も障害を理由に差別をしてはならない」について、私の勉強不足かもしれないが、障害のある人は分かるが、障害がある人の家族、きょうだいや親など、そういう方は含まないのか。もう1点が資料2の9ページの「障害者の年齢及び能力に応じ、かつその特性を踏まえた十分な教育、療育又は保育が受けられるようにするために必要な指導又は支援を行わないこと」の部分について、障害者の特性を踏まえて、教育療育を受けられるために必要な教育支援を行わないこととあるが、どういう意味なのかと疑問に思っており、説明してほしい。 委員:「何人も差別をしてはならない」ということについては、家族の方も含む。これは私の意見ではあるが、もし何人も差別をしてはならないという条文が入れば、現行基本理念の6条第2号の「何人も障害を理由とする差別により障害者の権利利益を侵害してはならない」は、尊重していいと思う。今回なぜこの何人も差別をしてはならないという条文にこだわるかということについては理由がある。実はこの条例自体がなぜできたのかというと、マイノリティーという障害のある方に対して、ずっと昔から陰で見えない形で風土として差別をするという意識が蔓延していた。今でこそこういった議論ができるが、前は議論さえできない状態があった。そういった前提があって、資料に書いてあるが、根っこから偏見を行わないよう、心のバリアをなくすということがこの条例の本旨である。事業者・行政は差別を行ってはならないが、市民は差別していいかどうか、規定がないから、障害のある人に対して合理的配慮の提供をしないことや、不当な差別的取扱いをすることが任意だ、お互いの行動でやっていることは明らかに差別とは違うとなるが、あえてこの条例というのはそうじゃないだろうと。一歩踏み込んで差別をなくす、マイノリティーの方々、弱い立場に立つための条文だと思っている。実際に合理的配慮の提供、不当な差別的取扱いの対象は事業者、行政となっている。実質、私人間に対する行政の効力は、実質、今の建付けではないと思う。千葉県条例、新潟市の差別解消条例にも同じ規定があり、逐条解説にも県民共通、市民共通のルール、規範性を担保するためにあえてこれを置いていると記載がある。それがないと、市民は自分の判断で差別してもいい、あるいは合理的配慮の提供をしなくていいという変な状況をかもし出すかも分からない。それを抑えるという意味で、あえて規定している。実際、行政側も行政法等で、民法というか、私的事に関与しないという原則があり、その建て付けとして実際効力がないとなっている。そういった論法を多分福岡県の条例も踏襲していると思うし、私が先ほど言ったように、市民の共通のルール、規範性を担保するためにあえて入れていただきたい。理念では足りないと思う。差別としてはならないという強力なメッセージを行うことによって、この条例が1歩も2歩も進む。そうじゃないと、今の認知度から言っても、恐らく条例は若い人たちにも浸透しないと思う。事業者の方々にも今回、合理的配慮の義務化がなされることを期待しているが、それだけでは足りない。もっと根っこの部分、事業所の職員であろうと、行政の職員であろうと、一個人としてこういったことをしないという意識をしっかり担保するルール性ということで、ここに書いていただきたい。事例についても、近隣住民のクレームで引っ越す方はいる。自閉症の方とか行動障害の方とか。事業所じゃなく、近隣住民のことで引っ越している。それから心ない冠婚葬祭を断られた、肉親同士の心ない言葉で別居したり、あるいは離婚する方も多い。こういったデータを集めると、「私人間は、行政はかかわりません。お互いの話し合いで」というのは、自分は承服しかねるということで、「何人も障害を理由とした差別をしてはならない」という条文を入れてほしい。また、「障害者の年齢及び能力に応じ、かつその特性を踏まえた十分な教育、療育又は保育が受けられるようにするために必要な指導又は支援を行わないこと」について、必要な指導または支援を行わないことというのは、これはよく読んでいただくと、不当な差別的取扱いをしないことの事例として挙がっており、こういった支援を行わないことは不当な差別取扱いになりますよという条文であり、「支援を行わないこと」という表現でいいと思う。 委員:先ほど県条例を調べたところ、県の条例は建付けとしては基本理念が第3条にあり、そのあと「市町村の役割」「事業者の役割」というあとに、第7条に「県民の役割」として、「県民は基本理念にのっとり、障害および障害のある人への理解を深めるように努めるとともに、障害のある人およびその家族、その関係者が障害による生活での困難を軽減するための支援を周囲に求めることができる社会環境の実現に寄与するように努めなければならない」と「県民は県および市町村が実施する障害を理由とする差別の解消の推進に関する施策に協力するよう努めるものとする」と規定されている。さらに、第2章の第8条に「何人も、障害のある人に対し、あらゆる分野において不当な差別的取扱いを行ってはならない。何人も、合理的配慮の提供を誠実に行うことにより、社会的障壁の除去に可能な限り努めなければならない」と規定されている。従って、第6条第2号に加えて、新たな条文を入れることは、県の条例に近い文言になると思う。あと、あっせん・調整については先ほど事務局が説明したような相談対象とか助言の対象にはなりそうだが、あっせんの対象になりそうにないような条文の建付けになっている。 委員:基本理念の第6条第2号に「何人も、障害を理由とする差別により障害者の権利利益を侵害してはならないこと」と規定されているのに、資料1の3「何人も障害を理由とする差別を行ってはならない」というのは同じ文言と考える。どこに規定するかというところで、今、第7条の前にも規定してほしいということを言われていると思う。条例の第1章の総則の目的には、「基本理念を定め、市の責務、それから事業所」と規定されており、どうしても「何人も」という規定を第7条の前に入れる必要があるのか、総則の目的が全部この条例にかかっているのではないかと考えていた。わざわざ1つずつ規定するのであれば、全ての章の前にこの文言を入れなければならないような感じになってくるのではないか。基本理念の中に規定されているので、それが全てにかかっているのだから、わざわざ入れる必要がないのではないか。 委員:条文の作り方、構成として、第1章は総則、第2章は基本理念となっている。1章と2章は、まさに総則と基本理念であるため、この条例33条全てに対してかかってくる、これは当然のことだと思う。第3章から第6章までは、実体規定と言っており、理念とは違って具体的なことについて決めている部分だという解釈である。 委員:基本理念に基づいて決まっていることなのでは。 委員:基本理念に基づいて決まっているが、第3章の「障害を理由とする差別の禁止」の中には市民は入ってないし、逆に行政と事業者のみしか入ってない。どうして市民が入らないのかなという疑問がある。 委員:市民は啓発の規定に入っているのでは。 委員:もちろん啓発の部分には入っているが、啓発には行政も事業者も入っていると思う。具体的にしてはいけないことなど、条例でいえば第3章以降の実体規定で定めている。なくす会の考え方としては、今の条例からいえば第3章の第7条は市と事業者、第8条も市と事業者。どうしてここに市民が入らないのという疑問がある。 委員:先ほど意見があったように、その分を追加すればいいということになるが、ここで確認事項として、第3章に規定を入れた場合は、一般市民間に対しても調整・あっせん等をしていかなければならないのではないかと書いてあるのかなと思った。前に話し合いがあった時に、そこまで一市民に責任を負わせる必要があるのかという話が、条例をつくる会の時にあったと思う。だから第3章の冒頭には、規定しないでおこうとスタートしたのではないかと思っていた。 委員:実際に第3章を読んでいただくと、じゃあ不当な差別的取扱いの禁止は、市民はしていいのかとなる。 委員:そういうふうには受け取らないのではないか。 委員:でも条文にはきちんとそう書き込んである。「何人も」を規定しているならまだ分かるが、「市と事業者はしてはいけない」と規定されている。 委員:それぞれの貴重なご意見でいらっしゃるので、それぞれを頂戴して、一度事務局のほうでたたき台を作るようにする。その上で、次の会議でお示しさせていただいた時に、議論をさせていただくような形でいかがか。 ※提案について委員了承。 4 意思表示が明確でない障害者への合理的配慮の提供 委員:客観的に認識し得る場合、その場合の基準はどうかというのは非常に分かりやすいように思うが、逆に合理的配慮というのは客観的に基準を設けられるものかどうかということ。合理的配慮の提供は、あくまでも個々のケースによる。だから、該当する、あるいは該当しないといった基準が果たして合理的配慮の提供に可能か。逆に言うと、どのような基準であれば合理的配慮の提供について基準ができるのかと考えた時に、合理的配慮の本来の特質、極めて個別的なその場に応じた、そのケースに応じたということから言えば、難しいのではないかと思っている。ただ、そうは言っても、新潟市の条例に「障害のある人が、社会的障壁の除去を必要としている場合であって、そのことを認識し得る時」。認識するというのは、障害のある人以外の人が認識し得る時。新潟市の条例の逐条解説の中では「障害のある人から何らかの配慮を求める意思の表明がない場合で、周囲の人が、障害のある人に対して合理的配慮が必要なことを認識できる時」とされている。事例として、例えば車いすを利用している方が高い所にある商品を取ることができずに困っている場合で、意思の表明はないが、周囲の人が何らかの配慮が必要なことを認識できる状況がある。こういう事例を新潟市の逐条解説の中では挙げている。そういう考え方は福岡市の場合でもできるのではないか。もちろん具体的な判断基準というのを考えることも非常に必要なことだと思う。ただ、具体的な合理的配慮の提供のあり方について、様々な場面で、建設的な対話を通じていろんなことを進めていくという、みんなで考えていくことが重要であって、そうしないと自らの意思を表明できない。障害のある方の存在とか、差別の存在が埋もれていってしまうことになるのではないか。もちろん、本人が意思を表明できるという大前提で考えることは大事だが、実はそうできない人がいる。そこにどうアプローチしていくのかと、そういう考え方から考える必要があるのではないか。 事務局:先ほどのご説明の中で合理的配慮が極めて個別的というところはおっしゃるとおりかと思うが、ここでお尋ねしているのは意思の表明がないけれども社会的障壁の除去について必要としていることが客観的に認識し得るという点についてである。意思の表明がないけど、それを必要としているということを、周囲も含めて客観的に認識すると提案されているので、その意味で客観的というのは何か基準があるのかというお尋ねをしている。先ほどの新潟市の事例など、車いすの方が高い所の物が取れないというのは、そういうこともあるとは思うが、客観的に認識し得る基準は具体的にはない、現状では意思の表明をどう客観的に認識し得るかということについては難しいということか。 委員:合理的配慮の提供の本質を深く突き詰めていくならば、そこにいろんなパターンの合理的配慮が、100人おれば100人のパターンがあるのに、そこに合理的配慮の提供の基準、客観的基準というのが果たして設けられるか。あくまでもその場その場での建設的な双方のやりとり、そういうことになると思っている。 委員:今、委員が言っていることと事務局が言っていることがかみ合ってないと思う。合理的配慮が個別的かどうかという話ではなく、困っていることが客観的に明らかというのは、どういうことで判断するのかという話ではないかと思う。逆に事務局にお聞きしたいのは、この基本方針の改定案に書いてある「当該障害者が社会的障壁の除去を必要としていることが明白である場合」と、委員が提案している客観的認識し得る場合とは違うとお考えなのか。 事務局:基本方針に書いてある「明白である場合」が、客観的に認識し得る場合とは違うかどうかは、分からないが、基本方針に書いてある内容と提案で違うのは、基本方針が「自主的な取り組みに努めるのが望ましい」とあるのに対し、提案では「合理的配慮をしなければならない」となっているところである。ただし書きが書いてあるので条件付きではあるとは思うが、客観的に認識し得る場合に合理的配慮をしなければならないという場合、差別を受けた、合理的配慮の適用を受けなかったとなった時に、客観的に明らかな場合に合理的配慮をしなければならないと書いてあるにもかかわらず、合理的配慮がなされなかったという相談になると思う。では、客観的に認識し得る場合の基準について、共通認識がないとお互いのすれ違いになり、差別を受けた、客観的に認識し得るだろうという主張に対し、客観的に認識し得る場合とはどのような場合をいうのかという問い合わせになるのではないか。基本方針も建設的対話が重要ということが今回新たに盛り込まれており、基本方針と提案が違うところではないかと考える。客観的に認識し得る場合に合理的配慮をしなければならないという規定が、相談を受けて調整・あっせんをする立場から、どんな影響があるかというところについてご意見をお聞きしたかったということである。 委員:内閣の基本方針案では、明白である場合、結局そのあとの効果が自主的なのか、しなければならないのかという結果が違うので、そこを懸念されていると思うが、そもそも明白である場合という場合は、どういうことを内閣府の基本方針案に明示されているのかをお聞きしたい。先ほども他の委員からも発言があったように、建設的な対話を行うこと自体については皆さん共通だが、根本的なところで、そのアプローチが違うのだと思う。一つに、あるべき共通の基準や考え方があってそこにお互いに近づけて行こう、理解していこうという考え方と、もう一つに、多様な認識や基準があって、私たちが当たり前と思っていることが当たり前じゃない人たちがたくさんいる中でどうお互いに歩み寄っていくのかという考え方もある。今はむしろ後者のように、一見同じように見えているが、バックグラウンド、背景、いろんな多様なものがある中でいかにお互いに歩み寄って理解をしていくかということが必要とされている。そういうような後者の建設的な対話が必要なのかなと思った時に、恐らく普遍的な基準よりも事例集積の中で「こういうことがやっぱり必要だ」ということを積み上げていくしかないかなと個人的には思っている。ある程度事例集積の中で、一定確率としてこういうことが必要だということは、さまざまな事例で今でも積み上がってきている。例えば、大学受験での合理的配慮も、以前は何もないところから事例を一つずつ積み上げていって、こういうことが必要、妥当だとか、その後の研究・調査や欧米との比較の中で必要性などが積み上げられている。そのため、意思表示についてもALSの方や脳性まひの方など様々な事由によって意思表示ができない方にとって、この条文が逆に不利に働かないためにはどうしたらいいかと考えたときに、まずは必要性がある人に立った条文にしてその先を建設的対話による事例集積に委ねてもいいのではないかと思う。最後にもし内閣府の基本方針で、明白な場合というのはどういうことを事例として挙げられているのかが分かったら、教えていただきたい。 事務局:明白な場合の事例についてはこちらでは持ち合わせていない。 委員:今、結論を出されたような感じだと受け取ったが、やっぱり合理的配慮で「するようにしなければならない」と「しなければならない」っていうのは、強制力があるからやっぱり役所系では大変なのかなとはあるが、合理的配慮を必要とする人たちのためにこの条例があるのであれば、「しなければならない」という文言を使って頂きたいと思った。必要とするからできた条例であれば、「するようにしなければ」と柔らかく言うことも大事なことかもしれないが、必要とする人たちは、私たちはみんなで助け合っていきましょう、合理的配慮で守っていきましょう、やっていきましょうということであれば、「しなければならない」という表現を使ってもいいと思った。あともう1点。この議題ではないが資料2の3ページで、現行に「自らの意思で社会のあらゆる分野における活動に、「参画し」」とあるところを、改正案として「参加し」という言葉に変わっている。私としては、いかに参加よりも参画が大事かということを一生懸命やっており、参加と参画の違いを私たちがしっかり認識をしていなければならない。参画とは、この場のように、同じテーブルで一緒に話をする、企画・運営に加わること。一緒にするということである。参加は、決められた活動に加わるということになるので、参加よりも参画という言葉を残していただきたい。 5 啓発活動等 委員:資料1の2ページに書いてあるが、大きく分けて「障害福祉計画について」と「保健福祉総合計画について」ということだと思う。確かに、障害福祉計画の内容についてはここに書いてあるとおりだと思う。ただ、そもそも提案したのは、啓発促進に具体性を持たせたいという趣旨であり、障害福祉計画は資料1に書いてある障害者総合支援法に基づく障害福祉サービス等に関する数値目標や見込み量を定めることとされており、なじみにくいというのは理解できるが、おおもとの障害者総合支援法に戻ると、障害者総合支援法の基本理念の中では「障害者および障害児が日常生活または社会生活を営むための支援は、総合的かつ計画的に行わなければならない」と総合支援法に書いてある。「支援は計画的、総合的に行われなければならない」という部分で、支援の中に研修とか啓発活動は含めて解釈できないのか。保健福祉総合計画については、数値目標を記載していると書かれてあるが、保健福祉総合計画の第3章にある成果指標の中には、啓発や研修に関する成果目標は上がっていないので、第3章の「成果指標」に挙げていただきたい。それから、福岡市基本計画の中には「ユニバーサルデザインの理念によるまちづくり」という項があり、市民向け講座の開催回数が具体的に書いてある。令和2年は82回実施しており、これを令和5年には120回やりますという具体的な開催目標、数値が書いてある。そういう事例もあるので、差別解消や合理的配慮への理解度などの市民の理解度を上げていくという目標を掲げて、目標達成に向かっての研修・啓発の取組みということでマスタープランの中に挙げられないだろうかと考えている。 委員:啓発については現状においても福岡市がすごく努力されており、動画も作られるなど頑張っていると思う。私が所属しているNPOやボランティア、ほかの委員会でもそうだが、やはり啓発を普及していくにあたっては、継続して行っているが結果としてなかなかうまくいっていない時に、数値目標を立てるのが効果的であると思う。例えば5年計画や10年計画によって何%を目標にするということがあると、常に啓発を行うにしても、どのように目標につなげていくかということがより明確になっていくと思う。福岡市のアンケート結果で7割以上の市民が条例の名前や内容も知らないという現状を考えた時に、何らかの形で数値目標を立てながら計画的に行っていくことは非常に大切かなと思う。条文上で文言をどうするかや、どのように入れるかというのはいろいろあるかと思うが、一緒に共生社会を作り上げていくという一体性を高めていくためにも、数値目標を掲げ計画性を啓発の中に盛り込んでいただけるといいと思う。 委員:私は、逆に条例には細かい計画などは記載せず、別途、実行計画書みたいなものを設けて、そちらのほうで具体的な実行案や年間の数値目標を立てるべきではないかと思う。 6 相談体制の充実における規定の追加 委員:相談体制の充実における規定の追加というところで、対象条文の第11条「相談体制の充実」の第2項に規定を追加していただきたい。これまで、一貫して相談体制の充実について、いろいろ要望、提案してきている中で、今までの推進会議の中で条例施行がなされて3年間の状況を見ると、障害者基幹相談支援センターに相談に来るということが、非常に皆無に近い。現行条例の第11条第2項で、「市は現行の体制を整理するに当たっては、当該体制が次のいずれにも該当するように考慮するものとする」ということで、第1号で「相談をする人にとって身近に相談窓口があること」、第2号に「障害および障害者に関し、専門的知識を有する者が相談を受けること」がある。しかしながら実際は、身近に福岡市に14カ所ある障害者基幹相談支援センターに、ほとんどこの3年間の中で3回程度だったと思う。それも全部障害者110番が対応した相談だと思う。ということは、身近にある相談窓口が機能してないということが伺えたため、「何故障害者基幹相談支援センターに相談がないか」ということも調べてみると、相談員の専門性があまりない。差別に関する専門性の研修を受けたこともないし、そういう話が来てもどう対応すればいいかが非常に難しいという話も聞いている。そこで、地域の中で身近なところで相談が気軽に受けられるような体制づくりをぜひやっていただきたい。第3号に「相談員は専門知識を高めるために」、そして「福岡市が定める」という文言を入れるか入れないかは別として、「研修教育を受けること」と入れていただきたい。文言はいい文言に直したいと思うが、とにかく研修を受け、専門性を高めることが本当に必要じゃないかと実感している。やはり相談を受けてからいろんなことが始まっていくので、相談をしてもなかなかうまく相談にのってくれない、また自分が納得するような話も聞いてくれないということになると、もうそこで終わってしまう。相談窓口というのは非常に大切なことなので、ぜひこの1項目を第3号に「研修を受ける」という項目を付けていただけたらと思っている。 委員:今回いただいた確認事項の内容は、「第6条の基本理念にのっとり」と既に第11条に規定してあるので、あえて必要ないのではないかという趣旨だと思う。確かに基本理念である第6条にはそのような規定があるが、相談体制という差別事例・事象が起こった時に、一番重要な入り口の話であり、そのことを規定しているのが第14条の「相談」、あるいは第11条の「相談体制の充実」である。そういう意味で、全体的にはもちろん理念というのは分かるが、実際に一番入り口である相談という重要な部分で、障害者に対する人権について、相談に対応する方も認識していただきたいという趣旨であり、規定を追加してほしい。 委員:区の障害者基幹相談支援センターから差別解消に関する相談を数的には受けてないこと、会議で研修の実施についてご意見があったため、今年度は、ご意見を頂いたあとに、区の障害者基幹相談支援センターに差別解消にかかわる研修会を、障害者110番を講師に招いて実施している。今年度から新たな法人が区の基幹センターに加わっており、今年度は1回やっているが、職員の入れ替わり等もあると思うので、定期的にやっていかないといけない研修だろうと思っている。 7 審査会への諮問の規定の修正(特定事業者の追加) 委員:現在の条例では第2条第6号に事業者の定義があり、市内で事業を行う者、ただし国や独立行政法人等は除くということになっている。確かに福岡市という行政体として差別を起こさないし、万が一起こった場合でも市の取組みの中で解決するということが当然と考えられると資料に書いてある。国の省庁や地方公共団体も職員対応要領などを決めてあり、逆に言うと、国を含めて公共団体、行政が差別を起こさないと、差別事象を起こさないことはないというのが前提で、職員対応要領などを定めてあるのではないか。今、この条例の中で国や県の取扱いがはっきり分からないというところがあって、今回こういう提案というか要望を出している。 8 審査会への諮問の規定等の修正(できる規定の修正) 委員:意見を出させていただいた意図としては、必ず市長が対応しなければいけないことを規定すべきだというよりは、差別を受けられて相談があった、申し出があった分については、何らかの是正措置を積極的に取ってほしいという気持ちがあって、今の「することができる」という表現では少し消極的な印象を受け、違和感があり案を出した。事務局からの確認事項のように、さまざまな事情で、申し出があったら必ず「何々を行わなければならない」ということになると、また支障が出てくる場面もあるだろうなと思った。ここについては私も条例に精通しているわけではないが、例えば現行どおりの表現がいいのか、もしくはよく法律などで目にする例外規定みたいな形で、申し出をした者から取り下げがあった場合だとか、そういった事情があった場合にはその限りではないというような文言で逃げ道というか、そういう方法が取れるような表現があるのであれば、検討してはどうかと思っている。 9 推進会議委員の公募 委員:ここで「障害の状況の多様性に配慮することに留意し」ということで付け加えたのは、基本的に社会は多様な人間で構成されているということで、その社会の中で差別が起きている。そのためにさまざまな人が関われる窓口を実現できる手段として、公募を考える必要があるのではないか。われわれが考えているような分野などではないところで差別が起こっているかも分からない。だから公募が必要ではないかという意見である。さっきの事例でもあったが、意見を自分で言えない、意思表示ができない人、そういう人がおられる。そういうところの人も差別に関してかかわっておるのであれば、そこを拾い上げるというのは失礼だが、そういう事例をみんなで共有して差別をなくす取組みをしなければならないのではないか。そういう意味で公募が有効でないかという考え方である。 委員:資料2の23ページに「権利の擁護はアドボカシー活動を表現」と書いてあるが、アドボカシーという言葉の意味を教えていただきたい。 会長:アドボカシーは一般的に権利擁護の意味で使う。 10 相談部会の規定の条例化 委員:相談部会は、現在の条例ではなく、福岡市障害者差別解消推進会議運営要領に規定してある。第14条第2項は市が相談を受けた場合、調整・あっせんや支援などの対応を行うという規定であり、相談部会は、こういった対応に対する分析・助言をするということである。今回特に重要視しているのが、条例第21条第1項、第2項、第3項であり、第1項は解消に関し必要と認められる事項について調査審議すること。第2号は、「法第18条第1項」という規定があり、それから第3号は「第16条の規定に基づき」という文言がある。第16条を見ると、これは指導助言をするかしないかの意見を聞くのは推進会議となっているが、実質この業務が相談部会の役割になっている。差別解消の伝家の宝刀というか、普通は行わないが、重要な業務を相談部会が実際は行うように運営要領ではなっている。私も相談部会にいたが、部会に入った時にこういった重い責任があることは分からず、推進会議の仕事だと思っていたが、これは相談部会の業務だと分かった。こういった重要な役割を条例に相談部会という名称を位置付けて、なおかつこの業務について位置付けるべきだろうと考えている。運営要領には、定員や部会長、副部会長は委員の互選をするなどの規定があるが、これらは別に条例に盛り込む必要はないと思う。随時定員も変わるわけであるため、運営要領に定めればいいと思うが、基本的な相談の解決の仕組み、根幹となる機関がどこなのか、その手続きがどうなのかというところは条例に、相談部会でやるのであれば位置付けるべきだということで提案をしている。提案した第1項の第1号から第4号は運営要領で変えるべきものではなく、一般的な相談体制の助言体制、あるいは解決の手続き等を定めるべきであるため、条例で定めるべきだというのが提案の趣旨である。 委員:今日、さまざまなご意見を委員の皆さま方から頂戴して、市としてこの改正はOKだ、この改正はNOだという判断は正直できかねる。その中で、今度われわれが提示するたたき台の1つの考え方として、例えば意見が分かれたものは現行の規定を出させていただき、改めてご意見を頂戴して変更するべきものは変更していくなど、事務局として改正の白黒に明確な理由がなく、いろいろ思いもくみ、判断ができないものは、また現行のものを出させていただいて個々にご意見を頂くなどを考えたい。一方では、例えば啓発について、障害福祉計画に記載するという提案があるが、そもそも障害福祉計画は障害者総合支援法に定める福祉サービスの供給量を計画するものであるため、明確に置けないようなものがある時は、例えば何々計画に載せるということをもしかすると計画的にやるなどのまとめ方を案にさせていただくかもしれない。特に「何人も障害を理由に差別してはならない」といった意味合いの条文が複数出てくるような案が出ているが、市民がご覧になった時に同じような意味合いの条文が複数出てくるのが、全体の違和感としてどうなのか。こういったところも含めたところで、あくまで各委員がこれからご協議いただくもののたたき台として、事務局の判断というよりも、これを基にさまざま変えていただくことを含めてたたき台ということで、案を次にご呈示させていただければと思っている。決して次に出す案が事務局の意向そのものだということではない。委員の皆さま方に頂戴したご意見に基づいて決めていただくことは確約したい。