西に樋井川が流れ、東は丘陵地となっていて、油山観光道路が南北に、筑肥新道(旧国鉄筑肥線)が東西に校区を貫いています。梅光園団地をはじめとして、住宅地区の性格が濃い地域です。
校区内の笹丘1~3丁目は旧西区に属し、昭和57年から中央区に編入されました。戦前からの居住者はごくわずかで、転入者が大部分を占めるこのまちの課題は地域の和ですが、それに一役買っているのが笹丘一丁目の通称「おにぎり地蔵」。享保年間の大飢饉の際、餓死した人々を供養した飢人(うえにん)地蔵が、昭和6年にこの地に移されました。年1回の供養祭も盛んになり、地域の人たちに安らぎを与えています。
面積 | 1.16平方キロ |
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世帯数 | 5,867世帯 |
人口総数 | 12,104人 |
人口密度 | 10,434人/平方キロ |
平成26年12月末現在の住民基本台帳人口による