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更新日: 2019年3月15日

中央区の概要


変遷

中央区の位置

 市の中心部に位置する中央区は、7世紀後半から11世紀にかけて、福岡と大陸との交流時に、大陸から訪れる人々の迎賓館の役割を果たしていた「鴻臚館(こうろかん)」が置かれ、歴史の表舞台に登場し、まちが発展する礎となりました。

 その後、徳川幕府の成立とあわせて黒田長政が「福岡城」を築城し、以後廃藩置県までの約270年の長きにわたり福岡藩の城下町として発展を遂げ、廃藩置県後の明治9年(1876年)に天神町(現在の中央区天神)に福岡県の新庁舎が完成し、明治22年(1889年)に福岡市が発足しました。

 また、明治43年(1910年)の第13回九州沖縄8県連合共進会の際には、肥前堀が埋め立てられ「官庁街」が形成され、九州一の商業地域として「天神」が発展する基礎となりました。

 その後も西日本における行政・経済・文化の中枢拠点として発展を続け、近年は、デパート・金融機関・商社などの商業・業務機能の集積が進んでいます。


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区の特徴


九州の中心としてのにぎわい

天神市街地  大名の街並み

 九州、福岡における屈指の商業集積地である天神を擁し、百貨店をはじめ専門店など数多くの商業施設が立地しており、こうした集積を背景に小売業は市内最大の販売額を誇っています。
 天神地区においては、鉄道やバス網の起点となる交通の要衝であり、九州はもとより国内外から訪れる人でにぎわっています。また、近年は外航クルーズ客船の寄港による来街者も増加するなど、“大陸との玄関口・福岡”の顔としての役割を担っています。



帯を成す緑と都市公園

西公園  大濠公園

 都心でありながら、西公園から大濠公園・舞鶴公園・動植物園のある南公園、鴻巣山と豊かな水と緑に恵まれ、貴重な歴史的文化遺産である国史跡の鴻臚館跡、福岡城跡や幕末の勤王歌人野村望東尼の平尾山荘など歴史にふれあえる場所も身近にあります。



海に面した街並みと水に親しむ景観

那珂川  福岡ヤフードームとシーホークホテル福岡

 区の西境と東境をそれぞれ南北に流れる樋井川と那珂川、北側に広がる博多湾など市民が身近に感じているところに川や海などの自然があります。

 また、全国一の取扱額を誇る博多漁港や全国に供給圏をもつ鮮魚市場を抱え、福岡ヤフードームやホテルなどのスポーツ・エンターテインメント施設などがあり、プロ野球などのスポーツやコンサートなどのイベントが数多く開催されています。



歴史、文化、史跡の宝庫


貝原益軒座像と金龍寺本堂  紺屋町子供御獅子祭り

 鴻臚館跡、福岡城跡、福岡市赤煉瓦文化館、福岡城を中心に城下町の面影を残す旧市街地の鍵型路地、江戸時代の儒学者・貝原益軒(えきけん)ゆかりの金龍寺、幕末の勤王歌人・野村望東尼(ぼうとうに)の平尾山荘など歴史にふれあえる場所が身近にあります。また、御獅子祭りや八兵衛地蔵さんまつりなど地域の努力により、伝統の祭りや文化が現代に鮮やかに息づいています。



さまざまな公共施設が集積し、利便性が高い

福岡市美術館  こども総合相談センター「えがお館」

 市美術館や市民会館、アクロス福岡などの文化施設が点在し、領事館や国連施設などの外国公館や国際機関、新聞社、放送局などの報道機関も区内に集中しています。また、スポーツに親しめる場所として、舞鶴公園内に平和台陸上競技場、球技場などがあり、中央市民プール、中央体育館とともに多くの市民に利用されています。

 保健福祉医療の関係では、九州の基幹国立病院及び災害拠点病院である国立病院九州医療センター、心も身体も含め総合的に市民の健康に取り組む健康づくりセンター、保健環境行政の科学技術中核施設である保健環境研究所、市民の福祉活動の拠点である市民福祉プラザ、子どもに関する相談機関の核となるこども総合相談センターがあります。



シンボルマーク

中央区のシンボルマーク

(昭和63年9月28日制定)


 区のシンボルマークは市制施行100周年を記念して、市民意識の高揚と親しまれる区役所づくりを図るために公募しました。

 作品は全国各地から寄せられ、中央区のシンボルマークには全部で298点の応募がありました。新しく決められたシンボルマークは、区旗やパンフレットなどに活用されています。

 マークの制作者は、神戸市北区に住む大野雄次さん。作品の意図は、中央区の『中』を、人と人とのふれあいや交流を中心に表し、文化、経済の発展の輪が周辺に好影響している様子を表現。色は、福岡市の中心としての情熱をイメージした赤です。