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更新日: 2016年10月1日

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【俳人・吉岡禅寺洞の句碑】


口語俳句の先駆者

「こがねむしが 眠っている 雲たちは パントマイム」

 定形からはるかに離れたこの俳句は、今泉公園にある吉岡禅寺洞(ぜんじどう)の句碑に刻まれている、彼の代表的な俳句です。句碑には、禅寺洞の肖像もはめ込まれています。

 禅寺洞は明治22年(1889年)に東区の箱崎で生まれ、本名は善次郎。のちに父母とともに今泉に移住しました。

 善次郎は高等小学校卒業後、俳句に魅せられ、高浜虚子に心酔し、禅寺洞と号して俳句雑誌「ホトトギス」に投稿を続けて虚子に認められました。

 大正7年(1918年)に禅寺洞宅を発行所として「天の川」が創刊されます。禅寺洞は花鳥風月を好まず、無季・口語の俳句を提唱し、次第にこの無季・非定型の傾向が強くなったために、昭和11年(1936年)、禅寺洞は「ホトトギス派」から除名されます。

 戦時中、「天の川」は新興俳句からの転向を宣言しますが、戦後は再び口語俳句を主張し、新興俳句に大きな足跡を残しました。

 昭和36年(1961年)3月1日、禅寺洞は今泉の自宅で病死します。


「季節の歯車を 早くまわせ スイートピーを まいてくれ」


 これが禅寺洞の辞世の句です。


吉岡禅寺洞の句碑の画像

吉岡禅寺洞の句碑