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更新日: 2018年8月15日

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【歌人・大隈言道の歌碑】


日々の生活を自分の言葉で歌う


 大隈言道(ことみち)は寛政10年(1798年)、薬院の安学橋ほとり(現在の中央児童会館辺り)の質屋に生まれました。幼少の頃より、国学者の二川相近(ふたがわすけちか)から書と和歌を学びました。

 長じるに及び、言道は「今の時代の今の言葉による歌を詠むべきだ」と論じ、35歳頃から、従来の歌風を破った歌を詠み始めました。

 39歳の時、和歌に専念するために家業を弟に譲り、今泉の「池萍堂(ちひょうどう)」または「ささのや」と呼ばれる住まいに移りました。「ささのや」は現在の今泉公園の東隣にあたります。

 その後、弟子を積極的に取るようになり、幕末の女流歌人・野村望東尼(ぼうとうに)も言道の弟子の一人でした。60歳の時には大坂に行き、歌集「草径集」を刊行。10年間大坂に滞在し、帰郷しました。

 慶応4年(1868年)に71歳で没しますが、没後30年経った頃に、高名な文学者で歌人でもある佐々木信綱に見いだされます。信綱が言道を「卓越した歌人」と絶賛したことにより、注目を浴びるようになりました。

 現在、今泉公園の一角は「ささのやの園」として整備され、言道の歌碑などが立っています。歌碑には次の二首が刻まれています。

  • 植ゑをきて 旅には行かん 桜花 帰らんときに 咲きてあるやと
  • なにをする 暇のなしと 年ごとに 日の短さを 侘ぶるころかな

 なお、言道の墓所は、警固一丁目の香正寺にあります。


今泉公園に立つ歌碑の画像

今泉公園に立つ歌碑