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更新日: 2018年8月10日

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【西学問所甘棠館跡碑】


唐人町にあった甘棠館


甘棠館跡に建つ石碑の画像

甘棠館跡に建つ石碑


 福岡藩藩校・西学問所甘棠館(かんとうかん)も、東学問所修猷館と同じ天明4年(1784年)に開校しました。初代館長は有名な亀井南冥で、南冥の屋敷があった唐人町に開設されました。現在、唐人町商店街より1つ北の通りに「甘棠館跡地」の石碑があります。南冥の高名により、聴講生は学館に溢れていたといわれています。

 甘棠館では主に徂徠(そらい)学が講じられました。ほかにも「独看」という、生徒自身による自主・自発の学習を重んじる科目がありました。この甘棠館からも多くの俊才が出ました。ところが寛政10年(1798年)、近くから出た火が大火となり甘棠館も南冥の屋敷も類焼してしまいました。当時、幕府より学問統制を目指した「寛政異学の禁」の政策が出され、朱子学が本流となったこともあって、甘棠館は残念ながら再建されませんでした。

 館名「甘棠」の由来は、中国最古の詩集「詩経」の『蔽ふつ甘棠勿剪勿伐』(蔽ふつたる甘棠は剪る勿れ伐る勿れ・へいふつたるかんとうはきるなかれきるなかれ)からの出典です。甘棠とは「やま梨の木」のことで、この木を福岡藩7代藩主・黒田治之(はるゆき)から頂戴したことや、善政を称える意味もあったようです。

 初代館長の亀井南冥は儒学者で医師でした。早良郡姪浜村で生まれ、20才の時に上方へ遊学し医学を修めました。甘棠館館長になった天明4年、志賀島で発見された「漢委奴国王」金印が本物であり、歴史的にも重要なものであることをいち早く見抜き、「金印弁」を著して金印を保護したことでも有名です。なお、南冥の墓は浄満寺にあります。