現在位置:福岡市ホームの中の中央区の中の魅力・観光の中の中央区みどころ情報発信館から護国神社の大鳥居
更新日: 2016年10月1日

 このページは、中央区の区民ボランティア「ちゅうおうPRサポーター(平成24年3月末をもって事業終了)」が取材を行い作成した記事をもとに掲載しています。随時記事の追加や修正を行っていますが、記載内容の誤り等、何かお気づきの点がございましたら総務課(092-718-1013)までお知らせください。
 なお、本記事を無断で転載・引用等することはご遠慮ください。


【福岡縣護国神社】

社名変遷の歴史と招魂社鳥居

 福岡縣護国神社の歴史は、明治元年県内六カ所に招魂社が創建された事に始まります。平野国臣、加藤司書、月形洗蔵など、幕末にたおれた勤王志士らが祀られました。
 
 明治36年、招魂社六社のうち「妙見招魂社」と「馬出招魂社」が合祀され、「妙見馬出招魂社」となりました。そして昭和13年に「福岡招魂社」と改称され、昭和14年の招魂社制度改正にともない、県内にあった招魂社は統合され「福岡縣護国神社」と再改称されました。

 昭和18年、元寇古戦場でもある福岡連隊練兵場に社殿が創建されましたが、残念ながら昭和20年6月の福岡大空襲で、大鳥居など鳥居を残し本殿の他すべての建造物を失いました。戦後はGHQの関係もあり「正中宮」と改称しましたが、昭和32年5月、「福岡県護国神社」に復しました。
  
 今も、創建当初の招魂社時代の鳥居が残されています。社殿に向かって右側の柵のところにある石造の鳥居がそうです。扁額に「招魂社」、柱には「明治三年」と刻まれています。まだ二つの招魂社があった時代の鳥居です。
 
 この招魂社鳥居、もともと妙見招魂社のものか、馬出招魂社のものか、明確ではありません。しかし、明治3年から約140年間に渡り、福岡の幕末維新期以降に国家のために命を落とした12万余柱の御魂を見守り続けています。


招魂社鳥居

歴史を残す招魂社鳥居(写真提供:福岡縣護国神社)



大鳥居

 福岡県護国神社の目印と言えば、やはり「大鳥居」が挙げられます。各神社でよく「大鳥居」という言葉が用いられますが、福岡縣護国神社の大鳥居は、高さ13メートル、柱の直径約160センチと本当に大きな木製鳥居です。
 
 この大鳥居にまつわる歴史があります。福岡縣護国神社が現在地に遷座したのは、戦時中の昭和18年のことです。新社殿建築にあたり、境内敷地が極めて広大であることに対して表参道の鳥居が小さいのでは、という意見がありました。そこで「さらに大きな鳥居を」とのことから材木として選ばれたのが、当時日本領だった台湾・阿里山の檜でした。
 
 台湾からは船で運搬されましたが、大きな檜の原木なので博多港到着後に六本松までの運搬が難しかったようです。大き過ぎるため車での運搬ができず、最終的には周辺の国民学校児童が綱引きとコロ方式で運んだとされています。やっと運んだ大檜、御遷座祭に間に合わせるため、大鳥居の柱は原木のまま建立されることになりました。むしろ、趣のあるたたずまいとなっています。
 
 同神社の宮司さんにお聞きしたところ、「子どもの頃、私もお手伝いさせてもらったよ!」と言う人が今でもたまにいらっしゃるとのことです。


護国神社の大鳥居

趣きのある大鳥居(写真提供:福岡縣護国神社)