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更新日: 2018年8月10日

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【稲光弥平】

住吉橋を洪水から守った稲光弥平

住吉橋の画像

那珂川に架かる住吉橋


 住吉橋那珂川に架かる住吉神社の参宮橋は、天保から弘化のころ、洪水があるたびに再三流されていました。春吉の篤農家・稲光弥平はこれを憂い、研究の結果、川の真ん中に人工島を造って流水を二分すれば水流が弱くなると考え、安政2年(1855年)に全て私財で人工島を造り、住吉と春吉の両岸より人工島に橋を架けました。これ以後、橋が流されることはなくなりました。その功績により、福岡藩11代藩主・黒田長溥公から苗字帯刀(名刀を与えられ、苗字を付けること)が許されました。

 昭和5年、鉄筋コンクリートの住吉橋に架け替えられましたが、その工事の際に偶然、顕彰の碑が人工島に埋まっているのが発見されました。現在その碑は、住吉橋西岸の春吉側に建てられています。


顕彰碑の画像

住吉橋の西岸にある顕彰碑

「天保弘化之間 頻有洪水損橋再三 稲光弥平憂之 安政二年仲春 築此中嶋也」と碑文にあります。

 弥平は、万延元年(1860年)2月半ばから4月半ばまで東北地方を旅しています。俳句仲間の遅流(ちりゅう)と福岡を旅立ちましたが、途中で遅流が病に倒れたので、「陸奥ひとり旅」となりました。その旅日記「松嶋道の記」を著し、日記の最後に「若葉して かえれぬ花の 旅衣」と結んでいます。

 福岡に戻ってから弥平は、洪水でも流されなかった住吉橋を渡って住吉神社にお礼参りをしますが、感慨一入であったことでしょう。弥平は明治6年(1873年)享年71歳で没しています。