このページは、中央区の区民ボランティア「ちゅうおうPRサポーター(平成24年3月末をもって事業終了)」が取材を行い作成した記事をもとに掲載しています。
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空誉上人を祀る空誉堂。
右奥に写るのが享保の大飢饉の餓死者供養塔
江戸時代に福岡藩や佐賀藩が参勤交代に使った唐津街道が東西に走っていた現在の大手門には、江戸時代初期からの由緒ある寺が4つ並びます。
そのうちの一つ、浄念寺では、ビル群の真ん中で遠い歴史に思いをはせることができます。
境内には、福岡藩重臣である後藤又兵衛の身代わりになって、2代藩主・黒田忠之によって処刑された空誉(くうよ)上人を祀る空誉堂や、享保の大飢饉(1732年)で亡くなった人たちを供養する石碑があります。
※空誉上人の処刑については諸説あります。「今泉天神通りの3か寺」の紹介記事もご覧ください。
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