このページは、中央区の区民ボランティア「ちゅうおうPRサポーター(平成24年3月末をもって事業終了)」が取材を行い作成した記事をもとに掲載しています。
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民謡「黒田節」のモデルになった母里太兵衛 |
![]() 旧母里太兵衛邸長屋門 母里太兵衛(ぼり たへえ)は黒田家の重臣で、黒田家家臣精鋭部隊である「黒田二十四騎」の一人です。福岡藩藩祖・黒田如水および初代藩主・黒田長政に従い、各戦陣にて功名をたてました。 ![]() 母里太兵衛の銅像 さて、太兵衛の姓は「ぼり」か「もり」かということですが、もともと太兵衛は播磨国加古郡母里(ぼり)出身(現在の兵庫県)なので、母里(ぼり)姓を名乗っていました。しかし、慶長11年(1606年)に江戸城の石垣修理を命じられたとき、見事に修復工事を成し遂げ、将軍家から頂いた感謝状が「毛利」となっていたので、以後「毛利」姓を名乗ったといわれています。その「毛利」が訛って「もり」という呼び方もされるようになりましたが、ご子孫の方は「母里(ぼり)」姓を名乗っていらっしゃるそうです。 |