このページは、中央区の区民ボランティア「ちゅうおうPRサポーター(平成24年3月末をもって事業終了)」が取材を行い作成した記事をもとに掲載しています。
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【光雲神社】
黒田如水と長政を祀る光雲神社
 光雲神社の大鳥居
桜の名所として有名な西公園の52段の石段を上ると光雲(てるも)神社があります。
光雲神社には福岡藩祖・黒田如水と福岡藩初代藩主・長政が祀られています。神社の名前は、2人の龍光院殿(如水)、興雲院殿(長政)という法名から一字ずつ取って名付けられました。
かつて西公園は荒戸山(荒津山)といわれ、金龍寺という禅寺がありました。福岡藩2代藩主・忠之のとき、この山に徳川家康を祀る東照宮を建立。金龍寺は鳥飼(現在の今川二丁目)に移されました。
徳川幕府が倒れ明治維新を迎えると、東照宮の意義も薄れ参詣者も絶えました。そして、明治40年(1907年)、東照宮跡に光雲神社が建立されました。
 母里太兵衛の銅像
社殿は昭和20年6月19日の福岡大空襲で全焼しましたが、昭和41年に再建されています。拝殿の天井画は、舞鶴の地名にちなんだめでたい丹頂鶴で、木原信画伯が描いています。お賽銭をあげて参拝すると鶴の声が聞こえます。
境内には、福岡藩士で黒田二十四騎の一人・母里太兵衛(ぼりたへえ)の銅像が威風堂々と立っています。右手に持つのは名槍日本号。像の下部には、太兵衛をモデルとした民謡「黒田節」の歌詞が刻まれています。また、長政が愛用した水牛の兜の像もあります。
宮司代務者の石津美智子さんは「鎮座100年を経て、本殿や外壁なども修復されたので、ぜひお参りください。如水の祖父である重隆は、目薬の製造・販売をしていたので「眼」のため、そして、これからの人生にも御利益があると思います」と話しています。
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