このページは、中央区の区民ボランティア「ちゅうおうPRサポーター(平成24年3月末をもって事業終了)」が取材を行い作成した記事をもとに掲載しています。
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福岡県出身者で初めての総理大臣・広田弘毅![]() 市美術館の敷地内に建つ広田弘毅銅像 広田弘毅(こうき)は、福岡県出身者で初めて総理大臣になった人物です。天神三丁目の細い路地に「廣田弘毅先生生誕之地」と書かれた石碑が建っていますが、弘毅はこの地で、働き者の石工・広田徳平とタケの長男として生まれました。この石碑は、出光石油の創業者・出光佐三(さぞう)氏の揮毫によるものです。 ![]() 聖福寺境内に建つ墓碑 昭和12年6月に発足した第1次近衛文麿内閣で、再び外務大臣に就任。同年7月7日、廬溝橋での一発の銃声により日中戦争となり、その後、昭和16年に第二次世界大戦に突入します。終戦後、極東国際軍事裁判で広田弘毅はA級戦犯として起訴されます。平和外交を希求してやまなかった広田弘毅ですが、一切自己弁明をすることなく、昭和23年12月23日、巣鴨刑場の露と消えたのです。 |