本文へジャンプ
福岡市
字体大小
小标准大
高声朗读
LastUpDate: June 13, 2019
ここから本文

博多小知识 148

留传于福冈市内的万叶气息

Illustration image

日本的新年号“令和”时代已经开始。令和来自日本最古老的和歌集《万叶集》,与万叶集有关的太宰府,已有众多的人士前来探访。万叶集收集了各界人士的和歌,上至天皇,下至农民,身份范围很广。其中收集了许多福冈(筑紫)的和歌,不仅太宰府,而且以福冈市内为背景的和歌也丰富多


ちはやぶる 鐘の岬を過ぎぬとも 我は忘れじ志賀の皇神

(虽然渡过了可怕的险要海岬,但我不会忘记祈祷航海安全的志贺之神。)


志贺岛是多次出现在万叶集中的地名。这首和歌表达了渡过闻名的险关宗像市钟崎海岬时,在志贺海神社祈祷的心情。并且,在神社院内竖立着歌碑。


神さぶる 荒津の崎に寄する波 間なくや妹に恋ひ渡りなむ

(宛如涌到庄严肃穆的荒津崎的波浪,始终不断地眷恋着妻子啊。)


736年,一位被派遣到新罗的使节在出港时吟咏了这首和歌。荒津崎位于现在的西公园突出的前端,据说使节一行由此地出发。在西公园竖立着刻有此和歌的歌碑。


沖つ鳥 鴨とふ小舟の帰り来ば 也良の崎守早く告げこそ

(海上之鸟,名称为“鸭”的船若归来,也良的防守士兵啊,请快快转告!)


据说志贺的荒雄在海上遇难,成为无法归来的人。因此,与万叶集也有深厚因缘的山上忆良写下了这首和歌。也良是能古岛前端突出的海岬,此处驻守着防守的士兵。


据说福冈市内拥有将近20座万叶歌碑。巡游各处歌碑寻找您喜欢的和歌,也许会给您带来乐趣。




Hakata Culture also appears in

To FUKUOKA NOW Website

(c)  www.fukuoka-now.com All Right Reserved




福岡市内に残る万葉の香り

日本の新しい元号「令和」の時代が始まりました。令和は日本最古の和歌集とされる「万葉集」に由来し、その万葉集ゆかりの地である太宰府には多くの人が訪れています。万葉集は天皇から農民まで幅広い身分の人々の歌を集めたものです。福岡(筑紫)の歌たくさん収録されていますが、太宰府だけでなく福岡市内を舞台にした歌も多いのです。


ちはやぶる 鐘(かね)の岬を過ぎぬとも 我は忘れじ志賀の皇神(すめがみ)

〔恐ろしい難所の岬は過ぎたけれども、私は海路の無事を祈願した志賀の神様を忘れません〕


志賀島は万葉集にもよく登場する地名です。この歌は海の難所として知られた宗像市鐘崎の岬を超えるときに、志賀海神社に祈願した気持ちを歌ったもので、神社の境内に歌碑が立っています。


神(かむ)さぶる 荒津の崎に寄する波 間なくや妹(いも)に恋ひ渡りなむ

〔神々しい荒津の崎に寄せる波のように、絶え間なく妻を恋い慕い続けることであろうか〕


736年に新羅(しらぎ)に派遣された使節の一人が、出港するときに詠んだ歌です。荒津の崎は現在の西公園の突端にあり、ここから使節一行は出発したとされます。西公園に歌碑が立っています。


沖つ鳥 鴨とふ小舟の帰り来ば 也良(やら)の崎守(さきもり)早く告げこそ

〔沖にいる鳥、鴨という名前の船が帰って来たら、也良の防人よ早く伝えてくれ〕



海で遭難し、帰らぬ人となった志賀の荒雄にちなんで、万葉集にも関わりが深い山上憶良(やまのうえのおくら)が詠んだとされる歌です。也良は能古島の突端にある岬で、防人が置かれていました。


福岡市内には20近くの万葉歌碑があるとされます。お気に入りの歌を探して歌碑めぐりをするのも楽しいかもしれません。