LastUpDate: April 1, 2013

博多小知识 74

自古人们往来的交通要道——“唐津街道”

唐津街道 图片

江户时代,为了“大名参勤交代”(诸侯往返于领地和江户之间轮流居住)和一般游客,在全国各地修建了“街道”(大道)。在九州,“长崎街道”颇为有名,但也有穿越福冈市内的大道,这就是“唐津街道”。以北九州为起点,经由博多,到达佐贺县唐津市。福冈藩和唐津藩的“参勤交代”也曾利用这条大道。现在的福冈市内有箱崎、博多、福冈、姪浜、今宿5个驿站城镇。


这条大道不仅在江户时代,而且自古以来就为人们的往来发挥了作用。在古代,往来于大陆的人们通过这条路,将多种多样的大陆文化传入日本各地。在中世纪,这条路还成为防止元(蒙古)军侵入日本的重要防卫据点。并且,据传为了向朝鲜派兵,丰臣秀吉也走过这条路。


很遗憾,现在福冈市内几乎没有留下往昔大道的痕迹。尽管如此,旧大道沿线仍留下了许多由来已久的史迹和寺院、神社、佛阁。此外,福冈市内还有一些地区留下了寥寥无几的“町家”(古代城镇民居),这就是箱崎和马出的商店街、石堂桥前面的博多地区以及黑门、唐人町、西新的商店街等。


其中, 姪浜地区以“唐津街道”为主题,积极进行城市建设。该地区设立了“唐津街道姪浜城市建设协议会”,旨在保存“町家”,珍惜历史,同时促进地区活性化。活动据点为“舞鹤豆酱店”,这是江户末期的“町家”,现在还用作画廊和音乐会场。此外,姪浜地区的两处“町家”被指定为2013年新设的福冈市登录文物。并且举办地区游览等多种活动,因此,敬请自由参加。

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古代から人々の往来を支えた唐津街道

 大名の参勤交代や一般の旅行者のために、江戸時代に整備された全国各地の街道。九州では長崎街道が有名ですが、福岡市内を通る街道もあります。それが唐津街道です。北九州を起点に博多を経由して佐賀県唐津市に至る街道で、福岡藩や唐津藩の参勤交代にも利用されました。現在の福岡市内には箱崎・博多・福岡・姪浜・今宿の5つの宿場町がありました。

 この街道は江戸時代だけでなく、かなり昔から人々の往来に使われていたと考えられています。古代には大陸と行き来する人々が利用し、この道を通じてさまざまな大陸文化が日本各地へもたらされました。中世には日本へ攻め入る元(蒙古)の大軍を防衛するための重要な拠点でもありました。また朝鮮出兵のため、豊臣秀吉もこの道を通ったとされています。

 残念ながら現在の福岡市内には、昔の街道の面影がある場所はあまり残っていません。それでも旧街道沿いには由緒ある史跡や寺社仏閣が多く残されています。また、福岡市内では数少なくなった町家が残っている地域もあります。箱崎や馬出の商店街、石堂橋を渡った先の博多のエリア、黒門や唐人町、西新の商店街などです。

 中でも、唐津街道をテーマに積極的にまちづくりを行っているのが姪浜。「唐津街道姪浜まちづくり協議会」を設立し、町家を保存し、歴史を大切にしながら地域の活性化をめざしています。拠点となっている「マイヅル味噌」は江戸末期の町家で、ギャラリーやコンサートの会場としても使われています。また姪浜地区の町家2軒が、2013年に新設された福岡市の登録文化財に指定されています。地域のガイドツアーなどイベントも多数開催されているので、気軽に参加してみてください。