LastUpDate: February 1, 2012

博多小知识 60

关于鸿胪馆的新发现接连不断

关于鸿胪馆的新发现接连不断 图片

 福冈自古以来就与海外进行交流,证实这一点的遗迹就是鸿胪馆。鸿胪馆是从7世纪到11世纪接待海外使节和商人的迎宾馆。并且,前往中国和朝鲜的日本外交使节团也曾在鸿胪馆逗留。大量的陶瓷器从遗迹中出土,据说还有来自遥远的伊斯兰和波斯的器皿。由此可见福冈与世界的交流多么广泛。

 1987年在福冈城遗址大濠公园的一角发现了鸿胪馆遗迹。实际上,不仅福冈,而且京都和大阪也有鸿胪馆,一共有3处。虽然已查明此事,但实际上发现遗迹的只有福冈。鸿胪馆非常宽阔,发现后虽然已经过了25年,但至今仍然一点一点逐步进行发掘调查。若去现场,可以隔着围栏,参观发掘调查的情形,并可免费进入展览馆。在该展览馆,遗迹按原样保存并公开展出。

 去年,关于鸿胪馆有了许多新的发现,证实了鸿胪馆屋顶的瓦是在福冈市西区的瓦窑遗址烧制的,并发现了有关东门(在古代可能有大路从此地通往太宰府)的门柱遗迹。鸿胪馆虽然是远古时代的建筑物,但是在我们的近处每天都有新的发现。

 以前人们认为鸿胪馆位于完全不同的地点,但是,九州大学医学部教授中山平次郎推测鸿胪馆就在福冈城附近。他查阅了在鸿胪馆逗留的人创作的诗歌,从中受到启发,认为“只有在离海近并且稍高的福冈城才能看到这样的景色!”他去世后,遗迹终于被发现了,以此雄辩地证明了他的推论是正确的。

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新しい発見が相次ぐ鴻臚館

 福岡が古代から海外と交流してきたことを裏付ける遺跡が鴻臚館(こうろかん)です。鴻臚館は7世紀から11世紀にかけて存在した、海外からの使節や商人を受け入れる迎賓館でした。また中国や朝鮮へ向かう日本の外交使節団の滞在にも利用されました。遺跡からは大量の陶磁器が出土していて、遠くはイスラムやペルシャの器もあるそうです。いかに世界中と交流していたかが分かります。

 1987年、鴻臚館の遺跡は福岡城があった大濠公園の一角から発見されました。実は、鴻臚館は福岡にだけあったのではなく、京都と大阪の合計3ヶ所にあったことがわかっていますが、実際の遺跡が発見されたのは福岡だけなのです。鴻臚館はとても広大で、発見から25年たった今も少しずつ発掘調査が進められています。現地に行ってみると、フェンス越しに発掘調査の様子が見学でき、また遺跡をそのまま保存公開している展示館にも無料で入場できます。

 昨年は鴻臚館についての新しい発見がいくつもありました。鴻臚館の屋根瓦が福岡市西区の瓦窯跡で焼かれていたことが裏付けられたり、東門(ここから太宰府まで古代の大きな道が続いていたと考えられています)に関連する柱の跡が見つかりました。鴻臚館は遠い昔の建物ですが、私たちの近くで日々新たな発見があっているのです。

 以前はまったく別な場所にあると考えられていた鴻臚館。それを福岡城の付近だと推察したのは中山平次郎という九州大学医学部の教授でした。彼は鴻臚館に滞在した人々が詠んだ歌をヒントに、「こういう景色が見えるのは、海に近くて小高い福岡城のあたりしかない!」と考えたのです。彼の死後、遺跡の発見によってその推理が正しかったことが見事に立証されました。