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LastUpDate: March 1, 2011
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博多小知识 50

福冈的路面电车“庆庆电车”

福冈的路面电车“庆庆电车”画像

直到1979年,福冈市内马路上行使的都还是由西铁运营的路面电车,通称“庆庆电车”(音译)。据说这“庆庆电车”第一次在福冈街头露面是在1910年(明治43年)的3月9日。这一天为开通典礼,正式投入使用是在第二天,也就是10日。电车是由福博电气轨道公司运营,其创始人是创建庆应义塾大学的福泽谕吉的养子福泽桃介,以及后来被称为电力大王或电力鬼的松永安左卫门。当时为了能赶上同年3月在现天神地区举办的“第13届九州冲绳八县联合共进会”博览会的召开而赶工建成。开通了从博多停车场前(当时的博多站)到吴服町、箱崎的九州大学前到西公园之间全长5.6公里的路线。车费是1区1钱,加上通行税1钱总共2钱。顺提一句,九州帝国大学创设于1911年,而日本第一支业余管弦乐队-九大管弦乐团也是在同一年创设。

1911年从博多站前经天神町(天神的旧名)到交易所前,1914年从千代町到博多站前的路线相继开通,完成了被叫做循环线的路面电车网。因电车的开通,天神地区得以迅速发展。那时商业的中心是吴服町和川端町。市政府虽设在天神地区,但商业活动并不活跃。可以说由于博览会的召开和路面电车的开通,令福冈市朝现代化迈出了一大步。交通网络的完善促进了城市的发展,无论古今似乎皆是如此。

往日庆庆电车行使过的痕迹直到今日依然可寻。那距今正好是100年前的电车站遗迹就在现在的九州大学箱崎校园附近的“马出路”巴士站。作为巴士站仍在发挥着作用。在车站可见到铺设着的长方形花岗岩。如果您有事刚好要到马出路(没事兴许也可以特意前去),站在车站前,您眼前或许会浮现出100年前从马出电车站出发的庆庆电车擦过民居屋檐叮当驶过的画面。

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九州新幹線が全線開通する3月 路面電車も産声をあげていました

 福岡市の町には1979年まで、西鉄が運営する路面電車、通称・チンチン電車が走っていました。このチンチン電車、福岡市内を初めて走ったのが、1910年(明治43年)3月9日といわれています。この日は開通式で、翌日の10日から営業運転したようです。電車を走らせたのは、福博電気軌道。創設者は慶應義塾大学をつくった福沢諭吉の養子であった福沢桃介と、後に電力王や電力の鬼と呼ばれた松永安左エ門(やすざえもん)。同年3月、現在の天神で行われた「第13回九州沖縄八県連合共進会」という博覧会の開催に間に合うようにと急いだのです。博多停車場前(当時の博多駅)から呉服町、箱崎の九州大学前から西公園間、全長5.6キロの路線で開業しました。当時の運賃は1区1銭、それに通行税が1銭で計2銭でした。ちなみに、九州帝国大学が発足したのは1911年のことです。我が国初めてのアマチュアオーケストラ・九大フィルハーモニーが創立されたのも同年というのは驚きです。

 1911年には、博多駅前から天神町(昔の天神は「てんじんのちょう」と呼ばれていました)を経由して取引所前が開通し、1914年に千代町から博多駅前が開通して、循環線と呼ばれた路面電車網が完成しました。この電車が開業したからこそ、天神の町は発展していったのです。それまでの商売の中心は呉服町と川端町。天神には市役所はありましたが、商売とはほど遠い場所だったようです。博覧会と路面電車開通で、福岡市も近代化に大きく踏み出した激動の時期だといえるでしょう。交通ネットワークが街を大きく変えるのは、昔も今も同じですね。

 さて、チンチン電車と呼ばれた路面電車が走っていた証拠が現在も残っています。ちょうど今から100年前の電停跡です。それは、九州大学箱崎キャンパスに近い「馬出(まいだし)通り」バス停です。なんと今もバスの停留所として現役で活躍中。バス停に降り立つと長方形の御影石が並んで敷かれているのが分かります。馬出通りに行くことがあったら(なくてもわざわざ出かけてください)、100年前に馬出電停を出発したチンチン電車が、民家の軒先をかすめながら走っていた光景を想像することができるかも・・・です。