福冈市开始成为九州枢纽城市是在1976年左右。当时在天神,受福冈市营地铁开通的影响,天神地下街、天神CORE大楼以及现在的VIVRE大楼相继开业,因而被人们称做为“第一次流通战争”。这里顺提一句,我以前曾经工作过的“福冈城市信息”杂志也是在1976年创刊。也就是刚开始叫嚷“信息时代”的时期。由于天神地下街的开业,市中心人群的流向也从东西向(明治通)转变为南北向(渡边通)。
从那以后过了10年,也就是1987年,正逢日本泡沫经济时代,福冈市民们向市政府提出了要让福冈不仅具备城市的功能与效率,还要拥有“轻松与情调”。为此福冈市政府制定了“福冈市都市景观条例”, 并创设了“福冈市都市景观奖”,以表彰对景观建设做出贡献的人们,加深市民们对景观的认识和理解。
到了2006年,福冈市都市景观奖迎来了创设20周年。每年都从众多应征的照片中精选出20几张,由全体评委一起到各个现场实地观察和评审。这项奖有一个特别之处,那就是表彰的对象并不局限于建筑物、工程物和纪念碑,还包括了企划与活动。第一届获奖的有海中道饭店和福冈银行总行等。至今为止福冈市内的主要建筑物基本上都得过奖。不但大型建筑物,如位于博多区的石藏酿酒的“博多百年藏”以及大名的“ 上久酱油”也获得了表彰。除此之外,还有警固小学的街道树、将“把天神变作美术馆”的创意具体化的“博物馆•城市•工程”活动、把博多区装点得美丽浪漫的 “博多长明灯观赏会”,甚至连“福冈城市信息”杂志和西铁百元巴士都得了奖呢。
由上可知,福冈市都市景观奖不仅针对大规模开发的建筑物和景观,还着眼于为福冈增添活力的媒体以及通过景观展现福冈•博多历史的活动。一座城市的景观反映了这座城市的历史和民风。时尚与传统、自然与人工共存的福冈,希望今后她一直都是一座多元文化和谐共处的城市。
广告科长 佐佐木喜美代
福岡市が今のような九州の中枢都市としての機能を果たすようになる始まりは、1976年頃からでした。天神に福岡市営地下鉄の駅と連動する天神地下街が開業すると同時に、天神コアビルや現在のビブレがオープンした第1次流通戦争といわれた時代です。ちなみに、私の元の職場でもある『シティ情報ふくおか』の創刊も1976年でした。「情報の時代」と言われ始めた頃です。都心部の人の流れが東西軸(明治通り)から天神地下街ができたことにより、南北軸(渡辺通り)に大きく変わりました。
それから10年後、バブル景気の1987年、福岡市は機能性や効率性だけの都市ではなく「ゆとりや潤い」を求める市民の声を基に「福岡市都市景観条例」を制定しました。また景観形成に貢献した人たちを表彰し、市民の皆さんにも景観に対する認識を深めていただくために「福岡市都市景観賞」を創設しました。
そして2006年、福岡市都市景観賞は20周年を迎えました。毎年、多数の応募写真から20数件に絞って、審査委員全員で現地を一つずつ見て回って審査しています。特徴的なのは建築物や工作物、モニュメントだけではなく、企画や活動なども表彰の対象になっていることです。第1回の受賞はホテル海の中道や福岡銀行本店など。これまでに福岡市内の主立った建築物はほとんど受賞していますが、大きな建築物だけではなく、博多区にある石蔵酒造の「博多百年蔵」や大名の「ジョーキュウ醤油」も受賞しています。そして警固小学校の並木や、天神を美術館に!という思いを具現化した「ミュージアム・シティ・プロジェクト」、博多部を美しく彩る「博多灯明ウォッチング」、それになんと『シティ情報ふくおか』や西鉄100円バスも表彰されました。
つまり、福岡市都市景観賞は大規模な開発の建築物や景観だけではなく、福岡の街を元気にしてきたメディアや、景観を通して福岡・博多の歴史を楽しむ活動にも注目しているのです。景観はその都市の歴史や市民性を映し出すものです。新しいものと伝統、自然と人工物、福岡の街のおもしろさや楽しさは多様な表情をもっているところ。これからも、一元的ではなく、様々な要素がからみあってバランスを保っている都市でありたいものです。
福岡市広報課長 佐々木 喜美代