^ 福岡市政だより No.1315 平成17年 (2005年) 4月15日号 1面 3月20日福岡県西方沖地震 東・中央区震度6弱を観測 市内に甚大な被害 市、復旧に全力で取り組む 3月20日午前10時53分頃、福岡市の北西約20キロの玄界灘を震源とする大地震 が発生、九州北部を中心に大きな被害をもたらしました。地震の規模はマグニチュード7、震度は福岡市東区・中央区、前原市などで6弱、そのほか九州から関東地方の一部にかけて1~5強が観測されました。福岡管区気象台が観測を開始した1890年以降、県内で観測された震度は4が最大でしたが、今回はそれを上回り、観測史上最大のものとなりました。 市は、同日午前十一時二十分に、災害対策本部を設置し、情報収集や自衛隊、海上保安庁への協力を得て玄界島住民の救出などに取りかかりました。 祝日で休業だった職員は、災害時のマニュアルに則し各職場へ自主登庁。鉄道の運休など交通網が遮断される中、地震発生から四時間半後には、全職員の約三割にあたる三千百七十二人が到着し、被害への対応に奔走しました。 大地震の発生から数週間が経ち、市内の交通やライフラインは正常に戻っていますが、今なお被 害に苦しむ多くの被災者がいます。現在、市は、見舞金や市税の減免、市営住宅への一時入居、各種相談窓口の開設などの被災者支援策の実施や、港湾・道路・下水道などのインフラ復旧に向けて、全力で取り組んでいます。 震源地に近い福岡市では、4月5日時点で死者一人、負傷者635人の人的被害が発生。住家 被害は2138棟に上り、中でも西区玄界島では、全225棟の家屋の約8割が全半壊する など被害は甚大で、すべての島民が市九電記念体育館などへ避難しました。 市長からのメッセージ 3月20日の福岡県西方沖地震で被害を受けられた市民の皆さんに、心からお見舞いを申し上げます。 一瞬にして市民生活に深いつめ跡を残したこの震災も、市民や企業の皆さんの努力のかいがあって、交通やライフラインなどはいち早く通常の状態に戻ることができました。 しかし、一方でいまだに多くの被災者の皆さんがご自宅に戻ることもできず、避難所で不安な日々を送っておられます。 被災者の皆さんのご苦労を思うとき、1日でも早く復旧しなければならないと決意を新たにする次第です。 玄界島の皆さんのための仮設住宅建設は今月末の完成を目指して着々と進んでおり、さらに被災者の皆さんの生活再建に向けた施策実施に全力を挙げて取り組んでいます。 引き続き、安全で安心できる生活の回復に最大瞑努力してまいります。市民の皆さんのご協力をお願いいたします。 福岡市長 山崎 広太郎 ^ 福岡市政だより No.1315 平成17年 (2005年) 4月15日号 2面 経験ない規模の地震 突然の災害に一時時混乱も 福岡市は、これまで大きな地震を経験したことがほとんどありませんでした。その福岡市を突然襲った地震で、市内は一時混乱に陥りました。都市の機能は比較的速やかに回復したものの、西区の玄界島と西浦地区、宮浦地区、東区の志賀島では被害が非常に大きく、余震が続く中、住民の皆さんは、避難所での生活を余儀なくされました。市は、災害対策本部を中心に、次々に入ってくる被害に関する情報の確認と対応に追われました。 震度6弱を記録した都心・中央区では、プロック塀が倒れる、建物の壁の一部がはがれ落ちるなどの被害が多発しました。天神1丁目では、地上十階建てのビルのガラス400枚以上が割れて歩道に落下し、通行人がけがをする事態が発生しました。 また大名1丁目では、雑居ビルが倒壊する恐れが出たため、市が避難勧告を出し、ビルの補強工事が終わるまで付近の住民が大名小学校に避難する騒ぎもありました。 最も被害が大きかった玄界島と西浦地区、宮浦地区、志賀島では、2172戸の建物のうち343戸が、市の「被災建築物応急危険度判定」により立ち入りが「危険」と判定されました。西浦地区では、がけ崩れの恐れにより避難勧告も出されるなど、深刻な事態となっています。今回の地震で市が出した避難勧告は6件です。 このうち建築物倒壊の恐れによるものは中央区2件、博多区2件。がけ崩れの恐れによるものは東区1件、西区1件で、勧告を受けた人の数は123人となっています。 また避難所に避難した人の数は、最も多かった3月20日夜の時点で2759人、立ち入りが「危険」と判定された建物の数は、全市では453戸に上っています。(数字はすべて4月5日現在) 都市の機能は速やかに回復 地震発生の直後、地下鉄とJR、西鉄電車はいったん運行を停止しましたが、夕方には線路の点検を終え、全線で運行を再開しました。また路線バスの運行には、特に支障は出ませんでした。 電話は一時つながりにくくなったものの、その日のうちにほぼ回復。 水、電気、ガスについても、一部で短時間の停電や漏水、ガス漏れのほか、ガスの安全装置が作動して使えなくなるなどのケースはあったものの、各家庭への供給ができなくなるような重大な問題は発生しませんでした。 地震後、営業を停止していた百貨店や天神地下街のほか、多くの商業施設は、翌日には営業を再開しました。 連休明けの翌々日からは、企業の活動もおおむね通常通りに行われ、福岡市の都市としての機能は、速やかに回復しました。 市も対応に全力 市の災害対策本部は、地震発生から27分後に、本庁舎の七階にある災害対策本部室に設置されました。 一方、区役所をはじめとした市の各所属では、登庁してきた職員が、水道、住宅、道路、学校、港湾、福祉施設、市場、こみ処理施設など、あらゆる分野で被害状況の確認を急ぎました。現場を回ったり、関係団体に連絡を取ったりして情報を収集すると同時に、市民から寄せられてくる通報を集約、全力で対応にあたりました。 各所属が把握した情報は、随時、電話やファクスで災害対策本部に報告されました。同本部は、これの情報や、震度・余震・津波など地震に関する情報を総括。県や国などの各機関と連絡を取り合いながら、迅速に全市的な方針を決定していきました。 午後零時四十分には、被害が甚大であることが明らかになった玄界島の救援のため、自衛隊への派遣要請と海上保安庁への協力要請を実施。 午後5時に島からの避難を開始しました。市九電記念体育館での避難者の受け入れが完了したのは、午前零時のことでした。 復旧支援を本格化 市は今後、被害への対応状況や、新たな被害の発生状況を見ながら、市民の皆さんの生活再建のための支援に本格的に取り組んでいきます。復旧支援の状況などは、随時市政だよりでもお知らせしますので、ご覧ください。 住民に不自由な日々続く 市九電記念体育館に設けられた避難所で界島の住民の皆さんが、今も避難生活を続けています。高齢者や子どももおり、体育館の床に敷いた畳の上で、被害を受けた自宅を心配しながらの不自由な生活です。 玄界校区の自治会長で、避難所の住民代表を務める寺田至さん(69)は「負けてはいられない」と言います。 元の生活に戻るまでには、住む場所のことや子どもの教育のことなど、住民と行政が一緒に取り組んでいかなければならない課題が山積みしています。また住民の多くは漁業を営んでおり、春は稼ぎ時であるにもかかわらず漁に出ることができないため生計にも不安があると言います。 「島を復興するために、住民が心を一つにしてがんばらなくては」と寺田さんは言葉に力を込めます。また避難所には、市民をはじめ多くの皆さんから救援物資が寄せられています。寺田さんは「涙が出るほどうれしかった。住民を代表してお礼を言いたい」と話していました。 仮設住宅の建設始まる 3月29日、県は仮設住宅の建設に着手しました。「島に帰りたい」との声は大きいものの島内だけでは必要な土地を確保できないため、住民と市、県で話し合い、玄界島と中央区港の「かもめ広場」にそれぞれ百戸を建設することになりました。 仮設住宅は、4月30日に完成する予定です。住民の生活再建に向けた一歩をようやく踏み出しました。 震源は未知の断層 九州大学地震火山観測研究センター 清水洋教授 これまでにない規模の地震でしたが、その仕組みは次のとおりです。 地球の表面には「プレート」と呼ばれる岩盤がジグソーパズルのように敷き詰められており、プレート同士は互いに押し合いをしています。そのためプレートの境目に近い場所では頻繁に地震が起こります。九州付近では日向灘にこの境目があり、福岡らは離れているため、福岡は本来地震が起きにくい場所だと言えます。 しかし福岡でも長い間にひずみは少しずつたまっていき、限界を超えると「断層」と呼ばれる割れ目が動いて地震が起きます。一つの断層が動く周期は数千~1万年です。 今回の地震の震源となかったのは、今まで知られていなかった海底の断層です。志賀島の北から北西方向に、約25キロの長さで60センチから1メートルほど横ずれしました。 福岡市の直下に「警固断層」と呼ばれる断層があることはよく知られています。 今回の地震の影響で警固断層が動く確率は低いと思いますが、市民も行政も災害への心構えは必要です。私たちも早めに警告できるよう調査を進めていきます。 ^ 編集・発行/福岡市広報課 〒810-8620 福岡市中央区天神一丁目8-1 電話 092-711-4016 FAX 092-732-1358 毎月1日・15日発行(1月15日は休刊)