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第3回福岡市史講演会レポート
「古代の対外交流と福岡―筑紫・那津官家・鴻臚館―」
平成19年8月25日(土曜日)午後2時~5時
福岡市博物館1階講堂

講演会当日会場の様子 シンポジウムより  今回の市史講演会は福岡市博物館から飛び出して、中央区市民センターで開催しました。会場を変えたことで、どのくらいの方々に参加していただけるか心配していましたが、開演時間には500席がすでに満席。
 編さん室一同、たくさんの来場者にうれしい悲鳴をあげた反面、ご入場できなかった方々には大変申し訳ない気持ちでいっぱいです。当日参加いただいた方々には心よりお礼を申し上げます。
 さて、今回は「御家騒動と家臣団─黒田武士の主従意識─」がテーマ。2つの講演とシンポジウムという構成です。



講演 「黒田騒動と家臣団の形成」
講師 九州産業大学教授 福田千鶴  最初の講演は九州産業大学教授の福田千鶴(ふくだちづる)先生です。先生は近世政治史をご専門とされ、黒田騒動(2代目福岡藩主黒田忠之(くろだただゆき)とその重臣栗山大膳(くりやまたいぜん)の対立による福岡藩の御家騒動)などを通じて幕藩体制の形成・発展を研究されています。福岡市史には近世専門部会専門委員として参加いただいています。
 講演では黒田騒動とその背景について、黒田氏の家臣団形成の面から説明していただきました。
 江戸時代に筑前一国の大名として、福岡に城をかまえた黒田氏ですが、もともとは上方の小さな武士(赤松氏一族の小寺氏の家臣)であったため、当初は譜代の家臣をもちませんでした。そのため、黒田孝高(くろだよしたか)(如水<じょすい>)・長政(ながまさ)は一国の大名となっていくなか、自分の子飼いの家臣を家老に取り立てることで、強固な家臣団を形成していったのだそうです。その一方で、長政のもとを去った後藤又兵衛(ごとうまたべえ)がそうであったように、能力主義の上方武士ゆえに、自分が評価されないと知ると主君から離れてしまうこともあったようです。これは黒田氏自身が小寺・織田・豊臣といくつかの主君を渡り歩いており、責められないところでしょう。

黒田忠之像(福岡市博物館所蔵)  長政のあとを継いだ忠之も先例にのっとって、自分の小姓であった倉八十太夫正俊(くらはちじゅうだゆうまさとし)を取り立てたのですが、世の中はすでに大きな戦乱がなくなったころ。武功もなく、周囲の納得は得られなかったようです。また一方で、すでに多くの知行地(ちぎょうち)を抱えていた家臣にとっては、自分の家臣や領地を守っていかねばなりませんでした。関ヶ原合戦から30年経ち、知行地が固定化した時代に、もし新しく取り立てられる家臣があれば、その家臣と限られた領地を分け合わざるを得ません。栗山大膳もこのような状況で、栗山家2万石の領地と家臣を守るために、忠之との対立を深めたと福田先生は分析されます。
 黒田流の家臣団の形成方法を検証することで、これまでの黒田の御家を守るためという黒田騒動の解釈に再考を迫ったご講演でした。

第4回市史講演会レポート その1/その2その3

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