福岡市史トップページに戻る
福岡市史への歩み
 ・第1回
 ・第2回
 ・第3回
 ・第4回
 ・第5回
 ・第6回
 ・第7回
 ・第8回
 ・第9回
 ・第10回
 ・第11回
 ・第12回
 ・第13回
 ・第14回
 ・第15回
 ・第16回
 ・第17回
 ・第18回
 ・第19回
 ・第20回
 ・第21回
歴史万華鏡
市史こぼれ話
福岡市史への歩み

 21  
福岡市博物館研究指導員 田坂 大藏

 前回は、現在編さんしている『新修 福岡市史』の出発点の一つとして、平成10(1998)年11月6日に開かれた「福岡市文化賞」の表彰式があったというエピソードをお話ししました。新しい「福岡市史」について、庁内での検討はそれなりに進んではいましたし、論議もあったのですが(このことについては、田鍋隆男「『新修 福岡市史』が刊行されるまで」『市史研究ふくおか』第6号、2011年、38ページに詳しい)、これまで何度かお話ししてきたように、昭和34(1959)年から刊行が始まった『福岡市史』の編さんがいつ終わるのか、はっきりしていなかったために、五里霧中というか、右顧左眄というか、明確な展望に欠けていたことは確かだったようです。そういう時に庁内の論議だけではなく、庁外および民間の研究者からの直接の一押しは、まことに時宜を得たものとなったように思えました。ただその頃、市史編さん室は市役所の総務局統計課に所属していましたので、教育委員会にいた筆者には、市長の具体的な指示内容についても、予算要求書の内容についても分かりようはなく、市長自らが必要性を確認し、具体的に指示しようといった、その言葉を信じるだけでした。信じるに足る理由はあったのです。それは次のような当時の状況を、筆者自身がよしとしていたからにほかなりません。
 まず文化面では、市制100周年記念の「アジア太平洋博覧会(よかトピア)」が成功裏に終わり、福岡市の知名度は海外にも広まりました。この延長として、福岡アジア文化賞の創設、アジア太平洋センターの設置についで、福岡アジア美術館を開館するなど、アジアの一員として、アジア文化の顕彰が進められていきました。一方、スポーツ面では、ユニバーシアード福岡大会をはじめとした大会を開催し、次代を担う世界の若人に福岡をアピールするとともに、福岡ダイエーホークスを誘致して、プロ野球への楽しみを再開させてもいました。さらには、アジア開発銀行福岡総会という金融関係の国際会議や、九州・沖縄サミット福岡蔵相会合を誘致するなど、多方面にわたって、福岡市の地盤の底上げがなされていました。この勢いで、地元福岡市の歴史・文化を集大成してくれる(この場合は「福岡市史」の編さんということですが)ものと期待していたわけです。
 しかしながら、何事も思うようには進まないものです。「福岡市文化賞」の表彰式から9日後には、4年ごとの福岡市長選挙が行われることになっていました。選挙に関しては、たいした争点もないように思われましたし、筆者としてはただ、市史が一歩前進するという事ばかりが頭にあって、市政に変更はないとの期待感がありました。ところが結果は、案に相違して市長の交代ということになったのです。正直な印象をいわせてもらえれば、この事態は市史編さん事業にとっては、とんでもない逆風になったと感じたものでした。

(この記事は2016年3月31日発行の『市史だより Fukuoka』第22号に掲載されたものです)

<<前の記事へ
▲上へ

福岡市生活情報文化・スポーツ・生涯学習>文化>文化財・歴史
Copyright(C)2007-2009 Fukuoka City All Rights Reserved.

福岡市博物館 市史編さん室
 住所 福岡市早良区百道浜3丁目1-1
 TEL: 092-845-5011/FAX: 092-845-5019
 E-mail: shishi.EPB@city.fukuoka.lg.jp