| 名称 |
区分 |
説明 |
所在地 |
| 愛宕神社 | 寺社 | 愛宕山は昔,鷲尾山といわれ,鷲尾権現がまつられていた。その後寛永11年(1634年)筑前国二代目藩主黒田忠之が京都の愛宕権現をむかえたのが愛宕神社の始まりといわれている。正月大祭,愛宕桜祭り(4月),ほおずき夏祭り(7月),火祭り(12月)などの行事は多くの人でにぎわう。また,愛宕山には,昭和3年にケーブルカーがつくられたが,第2次対戦が激しくなり撤去された。 | 愛宕2丁目 7-1 map |
| 亀井南冥生誕地 | 歴史上の人物等 | 亀井南冥(1743年~1814年)は,志賀島から発見された金印を守る「金印弁」を著した人である。福岡藩西学問所「甘棠館」の館長となり,多くの門弟を育成した。能古博物館には,筑前亀井学派の資料が多く展示されている。 | 姪の浜3丁目 map |
| 住吉神社 | 寺社 | 奈良時代の,天平年間(729年~749年)に建てられ,室町時代に北側の海岸近くから現在地に移転した。 正月の玉せせり,夏の輪越し祭り,秋のおくんち等は,姪浜の風物詩である。 | 姪の浜3丁目5-5 map |
| 唐津街道と旧家 | 史跡・遺跡 等 | 唐津街道は,江戸時代の主な街道の一つ(小倉~唐津間)で,姪浜は宿場として栄えた。その面影は百年以上たつ町家造りの家などに残り,民家に入れば巨大な梁や大黒柱,漆塗りの大戸棚などが今も観られる。 | 姪の浜 3丁目,6丁目 map |
| 興徳寺 | 寺社 | 臨済宗の寺で,鎮西探題北条時貞が,文応元年(1260年)に建立した。開山は,南浦紹明(大応国師)で,元寇ひっ迫の時三年間住職として留まった。毎年11月29日の開山忌には,本堂に国指定文化財「絹本着色大応国師像」が掛けられる。 | 姪の浜5丁目23-1 map |
| 生の松原元寇防 | 史跡・遺跡 等 国指定史跡 | 鎌倉時代,元が1274年に来襲した文永の役の後,再度の来週に備えて,博多湾に沿った約20キロメートルの海岸に築かれた石築地が元寇防塁である。この防塁のお陰で2度目の蒙古襲来時(弘安の役1281年)には上陸を防いだ貴重な防衛施設である。元寇絵巻(蒙古襲来絵詞)には,肥後の国の御家人竹崎季長の活躍の中で生の松原元寇防塁の様子が描かれている。現在は,復元整備され,当時の姿でみることができる。 | 生の松原 map |
| 小戸大神宮 | 寺社 | 小戸公園の中ほどにある神社。日本書紀や古事記に記されている『筑紫の日向の橘の小戸のアワギ原』の「小戸」とは福岡市西区の小戸であるとの説があり,住吉神,志賀神,警固神をはじめとしたたくさんの神々や,アマテラスオオミカミ(天照皇大神),ツクヨミノミコト(月読命),スサノオノミコト(素戔鳴命)などの三貴神が誕生した聖地とも言い伝えられる。神功皇后の伝説にまつわる「安産石」,「鎧掛けの松」,「お膳立て」などもある。 | 小戸2丁目 map |
| 鷲尾城跡 | 史跡・遺跡 等 | 鎌倉幕府が元寇の後,九州の防衛拠点とするため,姪浜に奉行所(鎮西探題)を設け,鷲尾山に城を築いたもの。また,周辺からは土板に経文をほった瓦経が多数出土した。 | 愛宕2丁目 map |
| 探題塚 | 史跡・遺跡 等 | 元寇の折、鎌倉幕府は元軍の来襲に備え、姪浜に探題を置いた。ここは最後の探題渋川堯顕が討ち死にした場所と言い伝えられており、「鎮西将軍貫峰日大居士公位」と刻まれた墓碑が建てられている。 地元ではここを最後の九州探題の墓として守り続け、「探題さま」と呼び親しんでいる。 | 姪の浜2丁目 map |
| 旦過だるま堂 | 史跡・遺跡 等 | 興徳寺の旦過寮(旅の僧を宿泊させてもてなしたところ)跡で,中国の禅宗の開祖,達磨大師をまつっている。 市指定文化財の銅造塔婆型厨子や室町時代姪浜石で造立した五重石塔がある。 | 姪の浜6丁目13-7 map |
| 壱岐神社 | 寺社 | 「日本書紀」に登場する壱岐真根子をまつる神社である。筑紫巡察使の武内宿禰が,陰謀により,応神天皇の刺客に殺されようとしたとき,壱岐真根子が身代わりとなった。 天井には珍しい絵馬がある。 | 生の松原 1丁目9 map |
| 熊野神社<拾六町> | 寺社 | 創建は不明だが,鎌倉時代からこの地に熊野信仰があったといわれている。 熊野神社に収納されている木造大日如来坐像は平安時代末期から鎌倉時代前期の作品とされ,福岡県文化財として指定されている。 | 拾六町5丁目4 map |
| 蛇岩 | 史跡・遺跡 等 | 砂岩が永い間浸食され,遠くから見ると大蛇が横たわっているように見えるので蛇岩と呼ばれている。これにまつわる悲しい恋愛物語が残っている。 | 愛宕2丁目 map |
| 野方遺跡 | 史跡・遺跡 等 国指定史跡 | 弥生時代後期から古墳時代前期の集落跡である。現在は史跡公園として整備されており,住居跡展示館では,当時の人達が生活していた竪穴式住居が発掘された状態で保存され,土器や生活用品などを見ることができる。 | 野方5丁目11 map |
| 羽根戸南古墳群 | 史跡・遺跡 等 | 古墳時代中期~後期の18基の古墳群。「位至三公鏡(いしさんこうきょう)」とよばれる中国製青銅鏡(せいどうぎょう)や鉄製小刀などが出土した。近くにある市水道局技術研修所の玄関横には箱式石棺の実物が,1階ロビーには資料の一部が展示されている。 | 大字羽根戸 map |
| 飯盛神社 | 寺社 市指定文化財 | 旧早良群総鎮守の一の宮で,平安初期の貞観元年(859年)の創建といわれている。本殿は,市指定文化財となっており,他にも「石造狛犬」(県指定文化財)などがある。 | 大字飯盛609 map |
| 吉武高木遺跡 | 史跡・遺跡 等 国指定史跡 | 弥生時代前期末から中期初めにかけての王墓といわれている。青銅の剣,矛,まが玉,朝鮮半島製の多鈕細文鏡(たちゅうさいもんきょう)などが出土しており,現在,これらの副葬品は国の重要文化財に指定され,市博物館に展示されている。 | 大字吉武 字高木180外 map |
| 橋本八幡宮 | 寺社 | 室町時代中期の文明14年(1482年)に,柴田蔵人佐(しばたくろうどのすけ)繁信と重信の父子により創建された。 境内には巨大な槙や楠が多く,槙と楠が幹の途中でつながった「きずなの木」がある。 | 橋本2丁目29 map |
| 夫婦塚古墳 | 史跡・遺跡 等 市指定史跡 | 6世紀後半に作られた古墳。かつては2つの方墳が寄り添うように並立していたことからこの名が付けられた。1号墳は消滅しているが,2号墳には巨石で築かれた横穴式石室がある。石室は,長さ11.5mもある大きなもので,中に入ることができる。石室からは,須恵器(すえき)のほか,珍しい五鈴鏡などが出土している。 | 大字金武 1666,1667 map |
羽根戸原地蔵堂と 羽根戸古墳群 | 史跡・遺跡 等 | 新四国霊場第35番礼所の地蔵堂で,境内には桜の木が多く,花見の季節には多くの人が訪れている。 地蔵堂周辺の羽根戸古墳群からは,明治13年(1880年)頃,高さ70.5センチメートルの「装飾付器台(そうしょくつききだい)・子持ちはそう」が欠損の少ないほぼ完全な形で出土した。現在は伊勢神宮宝物館に所蔵されており,飯盛神社にレプリカがある。国の重要文化財となっている。 | 大字羽根戸 map |
旧三瀬街道と 金武宿 | 史跡・遺跡 等 | 早良平野には,江戸時代中期頃から明治時代にかけて,佐賀と福岡とを結ぶ「三瀬街道(みつせかいどう)」が通っており,三瀬街道の要所にあたる金武には「金武宿(かなたけしゅく)」とよばれる宿場があった。漆喰壁(しっくいかべ)の蔵などが当時の面影を偲ばせる。 | 大字金武 map |
| 丸隈山古墳 | 史跡・遺跡 等 国指定史跡 | 5世紀前半の横穴式石室を持つ前方後円墳で墳長85メートル。今宿平野だけでなく,糸島平野全体を掌握した首長の墓と考えられる。古墳発見は江戸時代で,貝原益軒の「筑前国風土記」には,発掘時の様子が書かれている。 | 大字周船寺 map |
| 宮崎安貞の書斎・墓 | 歴史上の人物等 県指定史跡 | 安貞は安芸の広島で生まれ,25歳で福岡藩に仕え,30歳で藩を退き,各地を歩き農業技術を学んだ。その後,女原村に住み,農業の実践・研究・指導に専念した。安貞の「農業全書10巻」は,この書斎で書かれ元禄10年(1697年)完成した。 | 大字女原 215 map |
| 今山遺跡 | 史跡・遺跡 等 国指定史跡 | 今山は高さ約80メートル。山頂や山麓部の玄武岩を用いた弥生時代の初期から中期の大型石斧製作所跡である。製作された石斧は,北部九州で広く発掘されている。また,海側では古墳時代,製塩が行われ,平安時代には港湾施設があったといわれている。 | 横浜2丁目 1435-2 外 map |
今宿古墳群 (今宿大塚古墳) | 史跡・遺跡 等 国指定史跡 | 6世紀前半の前方後円墳で,墳長は64メートル。墳丘,周濠,外堤の規模と整然としたその姿は,前方後円墳の形をはっきりと見ることが出来る,北部九州屈指のものである。 | 今宿町大塚 map |
鍬崎古墳 (今宿古墳群) | 史跡・遺跡 等 国指定史跡 | 4世紀末から5世紀初頭の前方後円墳で,墳長は62メートル。今宿古墳群の首長墓に位置づけられ,横穴式石室を持つ初期の古墳である。未盗掘のままで発見された石室や出土品のレプリカが福岡市博物館に展示されている。 | 今宿青木鍬崎 424-5 424-6 map |
山の鼻1号古墳 (今宿古墳群) | 史跡・遺跡 等 国指定史跡 | 4世紀前半台の前方後円墳で墳長44メートル。 今宿平野の首長墓の系譜で最古に位置づけられる。 | 大字徳永 265-1外map |
若八幡宮古墳 (今宿古墳群) | 史跡・遺跡 等 国指定史跡 | 4世紀後半の前方後円墳で墳長は47メートル。 神社背後の丘陵上に公園部を中心とした墳丘が残っている。 | 大字徳永 字引地280-2 map |
兜塚古墳 (今宿古墳群) | 史跡・遺跡 等 国指定史跡 | 5世紀代の前方後円墳で墳長は54メートル。 前方部は削られ,ほとんど残っていない。内部主体は横穴式石室である。 | 大字飯氏 map |
飯氏二塚古墳 (今宿古墳群) | 史跡・遺跡 等 国指定史跡 | 6世紀初めの前方後円墳で墳長は48メートル。 内部主体は横穴式石室である。 | 大字飯氏 map |
| 伊覩神社 | 寺社 | もとは主船司神社という。創建の時期は不明。江戸時代前期の神社名は,松の木天子社で,その後松木天神となり,伊覩神社となったといわれる。なお,周船寺という地名は,一説によると,奈良時代大宰府政庁の時代に船を司る役所(主船司)があったことに由来するといわれている。 | 周船寺2丁目10 map |
| 三所神社<千里> | 寺社 | 高祖宮,飯石宮,馬場宮をあわせて三所とされる。神社の裏には,千里の飛び石がある。「高麗より千里の遠きを経て来たりしにより,この名あり」「除夜のおり,空中鳴動し,この石現る」と記録に残っており,千里も遠くから飛んできたので地名も千里になったといわれている。 | 大字千里 map |
| 舟つなぎ石 | 史跡・遺跡 等 | 夫婦石ともいわれる2本の石柱。この石があるので,ここを立石原という。太古は,この石に船をつないだといわれている。 | 大字飯氏 map |
| 今津元寇防塁 | 史跡・遺跡 等 国指定史跡 | 鎌倉時代,元が来襲した文永の役(1274年)の後,再度の来襲に備えて,博多湾に沿った約20キロメートルの海岸に築かれた石築地が元寇防塁である。築造当時は約3メートルの高さに積み上げられていた。広場には休憩展示施設がある。 | 今津 map |
| 登志神社 | 寺社 | 今津は,古代「登志郷」と呼ばれ,その湊鎮守のために祀られた神社である。成人の日には,この神社を氏神として「今津の十一日松囃子」が催され,山笠や山車が町内を走る。 | 今津1570 map |
| 勝福寺 | 寺社 | 大覚禅師が開山し,鎌倉幕府5代執権,北条時頼を檀越として建長元年(1249年)に創建された。延文5年(1360年)には,朝廷の勅願寺となった。国指定文化財「絹本着色大覚禅師像」や数々の中世の文書が伝わる。 | 今津1722 map |
| 誓願寺 | 寺社 | 筑前怡土・志摩両郡の豪族,中原氏の娘の発願で,安元元年(1175年)に,臨済宗の開祖である栄西を招いて創建された。栄西直筆の書である国宝「誓願寺盂蘭盆縁起」や海外交流を裏付ける「銭弘俶八万四千塔」,「孔雀文沈金経箱」(ともに国重要文化財)が伝えられている。 | 今津851 map |
| 元岡瓜尾貝塚 | 史跡・遺跡 等 県指定史跡 | 昭和31年(1956年)に発見された。縄文時代後期後半を主としたもので,縄文土器や黒曜石を使った石器,鹿や猪の骨,人骨などが出土している。昭和43年に県の史跡に指定された。 | 大字元岡 字池の浦 map |
| 八大龍王 | 寺社 | 創立は1168年~1187年で,祭神は法華経第一序品にも出ている八種の大竜王。栄西が中国から帰ってくるとき暴風雨に遭ったが,八大龍王の加護により九死に一生を得て無事に帰国したことへの報恩の意味で祀られている。 | 今津 map |
| 四所神社<今津> | 寺社 | 祭神は,天照大神,住吉大神,八幡大神,春日大神4つの大御神である。 筑前風土記によれば,ここは異国船が出入りしたところであったので,その鎮守の為に勧請されたと伝えられている。 | 今津 map |
| 八坂神社 | 寺社 | 大己貴命など村内数社の祭神を大正時代に元岡村村社の八坂神社に合祀したもの。 毎年7月14・15日に祇園祭が催され,「元岡祇園ばやし」,「元岡獅子舞」(ともに市指定無形民俗文化財)が奉納される。 | 元岡 map |
| 千人塚・万人塚 | 史跡・遺跡 等 | 今津には二つの蒙古塚があり,元寇の時の戦死者や元の捕虜を死刑にした者を火葬にした場所といわれている。蒙古塚は,元寇で死んだ元軍兵士らを慰霊するためにつくられたものです。 | 今津 map |
| くじら石 | 史跡・遺跡 等 | 江戸時代に「筑前五ヶ浦廻船」の千石船をつないだ碇石である。捕れた鯨もつないだ事から「くじら石」の名がついた。 | 大字宮浦 map |
| 東林寺と万葉歌碑 | 寺社 | 建久2年(1191年)に禅宗の始祖である栄西が,中国(宋)からの帰国後,宋の東林寺の立地に似ていることから「唐泊山東林寺」と名付けて建立した。寺内には,「万葉歌碑」,「栄西禅師像」,「座禅石」がある。 | 大字宮浦 map |
| 蒙古山記念碑 | 史跡・遺跡 等 | 元寇時に見張り台があったとされる蒙古山の山頂にある。現在は福岡西方沖地震によって倒壊しているが,当時をしのぶ遺物として歴史的な価値があると考えられる。 | 大字西浦 map |
| 柑子岳城址 | 史跡・遺跡 等 | 草場地区の柑子岳にあったとされる山城跡。現在はハイキングコースが整備され福岡市内を一望できる展望台がある。特にここから見る初日の出は絶景である。 | 大字草場 map |
光明寺 (小田観音堂) | 寺社 | 神亀5年(728年)に聖武天皇の勅願寺として報穏禅師が開山となり建立した。ご本尊は千手観音(写真)で,清賀上人の作と伝えられ,高さ2メートルを越える立像である。「雷山観音」,「油山観音」とならび「福岡三観音」と言われている。 | 大字小田 map |
| 三所神社<宮浦> | 寺社 | 社伝によると神亀5年(728年)聖武天皇の頃に勧請され,航海の守護神の宗像三神が祀られている。 「板絵著色武者絵馬」は葛飾北斎の弟子柳々居祭神の作で航海の安全を祈願して奉納されたものであり,市の有形民俗文化財の指定を受けている。 | 大字宮浦 map |
| 能許万葉歌碑 | 史跡・遺跡 等 | 能許(のこ)という地名が文献に初めて出た歌で,荒津から出航した遣新羅使が能許の泊(現在の唐泊)で風待ちをしている時の気持ちが読まれている。 | 能古字寺脇 506-2 map |
| 能古焼古窯跡 | 史跡・遺跡 等 市指定文化財 | 能古博物館の敷地内にある登窯の窯跡である。江戸時代中期頃(18世紀後半)の約20年間操業した。 | 能古字寺脇 506-1 506-5map |
| 也良崎万葉歌碑 | 史跡・遺跡 等 | 也良崎は防人が置かれていたことが分かっている全国唯一の場所である。この歌は防人を詠んだ歌の一首で,船出して帰らぬ人となった夫を恋い慕う妻子の悲しみを詠んだものである。 | 能古邯鄲 1624-5 map |
能古博物館 ※自然の宝と重複 | その他の施設 | 大型廻船模型,古地図など能古の島の歴史・民俗資料や儒学の筑前亀井学資料を展示している島の博物館である。別棟の現代郷土美術館には能古出身の画家多々羅義雄の絵画なども展示している。 | 能古522-2 map |
| 鹿垣 | 史跡・遺跡 等 | 江戸時代,能古島は藩の鹿の猟場で最盛期には約600頭の鹿がいた。鹿垣は鹿が田畑を荒らさないように東西2キロメートルにわたって築かれた石垣で,今も一部が残っている。 | 能古字早田 1081-4 map |
| 永福寺 | 寺社 | 禅宗の寺で明治の初め頃まで神宮寺と呼ばれていた。 境内には地元出身の洋画家多々羅義雄の歌碑や,戦後すぐに遭難し28人の犠牲者を出した能古渡海船の慰霊碑,二八観音などがある。 | 能古字寺脇 481 map |
| 檀一雄文学碑 | 歴史上の人物等 | 作家檀一雄の絶筆「モガリ笛 いく夜もがらせ 花二逢はん」を刻んだ文学碑。碑の場所から「リツ子その愛・その死」の舞台となった糸島半島の小田の浜が望める。 | 能古 map |
| 白鬚神社 | 寺社 | 能古島の産土神(うぶすながみ)。奈良時代の創建といわれ,祭神は住吉大神,神功皇后,志賀明神など。本殿の飛天の彫刻が見事である。 | 能古字東732 map |
| 飯盛文殊堂 | 寺社 | 鎌倉時代には奈良西大寺の末寺であり,この地方の真言律宗の中心として栄えた。堂内には,仏師堪幸作の文殊菩薩騎獅像(市指定文化財)が安置されている。 | |