


日本と中国の交流を裏付ける国宝・金印が福岡で発見されたことが象徴するように、福岡の歴史は、日本とアジアとの交流の歴史そのものでもあります。田坂大藏さんも「福岡が他都市と大きく違うのは、常に対外交流を行なってきた場所だということ。交流があるところには必ず何かが起こります」と言います。「福岡では各時代、各政権が対外交流を行なってきましたが、そうすると何らかの痕跡が残るわけです。金印もそうですし、次には鴻臚館(こうろかん)があった。さらに元寇防塁(げんこうぼうるい)や、聖福寺(しょうふくじ)をはじめとした神社仏閣なども交流の証です」
鴻臚館は平安時代に設置された外交や交易のための施設で、外国使節を迎える迎賓館でした。その前身である筑紫館(つくしのむろつみ)は奈良時代に置かれていたことが知られています。鴻臚館と呼ばれる施設は平安京・難波・筑紫の3カ所にあったのですが、実際に遺構が発見されているのは筑紫の鴻臚館のみ。福岡城趾の一角から出土した遺構は、現在鴻臚館展示館として公開されています。また元寇防塁は、鎌倉時代に蒙古から襲来を受けた際に築かれた防衛線のあと。博多湾の海岸線に沿って約20キロにわたり続いていましたが、開発が進んだ市街地でもその跡を確認することができますし、西区の今津や生の松原ではほぼ完璧な形で保存されています。聖福寺は中国から帰国した栄西禅師が開いた日本最初の禅寺です。栄西は日本にお茶を伝えたことでも知られ、聖福寺境内にはお茶畑の跡も発見されています。このほか市内にはさまざまな由緒のある神社仏閣が数多く残されています。
「全国どの地域と比べても、これだけの歴史遺産が数多く残されている街はありません。たいへん素晴らしいことです。例えば鴻臚館や元寇防塁にしても、通常なら文献だけの考察で終わるところですが、福岡には現物が残っている。それを調査研究することで類推できることも、たくさんあります。現在、福岡市史を編纂していますが、こうした対外交流の歴史遺産を生かした、全国的にもめずらしい市史がつくれると自負しています」


田坂大藏さん
福岡市博物館顧問
1944年生まれ。1972年福岡市教育委員会文化課に入庁以来、福岡市に関する文化財調査に従事。旧薬王密寺東光院(博多区)、旧福岡藩主黒田家所蔵資料の調査を担当した。両者とも福岡市美術館・博物館に収蔵展示されている。