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現在位置:HOMEの中の南区の中の南区の魅力・イベントの中の校区の魅力から【西花畑校区】桧原・皿山 歴史散歩
更新日: 2009年12月2日

【西花畑校区】
桧原・皿山 歴史散歩


 「早良郡樋井川村」。この地名はどこだか分かりますか?

 昭和4年に福岡市と合併するまでの桧原一帯の地名です。

 樋井川に桧(ひのき)で作った樋(とい)を掛けて、川向かいに水を送っていたという記録が残っていることから、桧原という土地には樋井川が深くかかわっていることがうかがえます。

 中世の時代には、早良郡の通商・行政の中心として繁栄していたと伝えられています。明治8年の記録によると、戸数63戸、人口254人、牛5頭、馬28頭、田畑は65町で、豊かな田園地帯だったようです。現在の桧原の人口は約7500人で、昭和初期の約30倍に増加しています。

昔の桧原小学校
昔の樋井川
昔の桧原小学校
昔の樋井川


桧原のある地域の昔
桧原のある地域の今
桧原のある地域の昔と今



 それでは、「筑紫郡八幡村」はどこでしょうか?

 タイトルに桧原・皿山とありますので、皆さんも予想されたかもしれませんが、現在の皿山一帯のことです。大正15年4月1日に福岡市と合併しました。

 小高い山の上に皿焼きの窯や工場があったことから、「皿山」と呼ばれるようになったようです。皿山一帯はかつて陶器が有名で、黒田藩の御用窯が皿山一丁目の山王神社のあたりにありましたが、今では住宅地となり、窯跡も見ることはできません。昭和初期のころは、小学校の社会科見学コースで、当時の児童は陶器作りの様子を見学し、素焼きの銭瓶(貯金箱)をもらったとのこと。どんな貯金箱だったのか、想像してみるのも楽しいですね。

当時の窯の写真や道具、作品を紹介!
窯の看板
窯
窯の看板(個人所蔵)


陶器をつくる道具
皿山の窯の作品
陶器を作るときの道具(個人所蔵)
皿山の窯で作られた作品

 昭和初期までは、郡も特色も違う2つの集落だった「桧原」と「皿山」ですが、現在では福岡市南区西花畑校区を構成する町として協力し、支え合っています。


 このページに掲載している記事は「みなみ情報発信隊」隊員が取材し、作成したものです。


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