今宿五郎江遺跡は西区今宿町に所在する遺跡で、2002年からの伊都区画整理事業に伴い広範囲に調査され、弥生時代の後期には溝がめぐる大規模な環濠集落であったことがわかりました。遺跡からは朝鮮半島北部にあった楽浪郡の土器や南部の瓦質土器、瀬戸内・近畿・東海地域の土器などが出土し、海を介して他地域と活発に交流していたことが伺えます。銅戈の鋳型が出土しており、青銅器生産が行われていたようですし、西に隣接する大塚遺跡では製鉄を行っていた痕跡も見つかり、当時の最新技術を持った集落だったようです。一方、農耕具の鍬や漁労具の石錘・ヤスなどが多量に出土していることから、農業や漁業も盛んだったようです。 この中で、平鍬は身の部分に段がある特殊な形状をしています。何のために段があるのか不明ですが、この段を持つ鍬は今宿五郎江遺跡のみ多量に出土しており、集落内かその周辺で製作したものと思われます。
今宿五郎江遺跡の平鍬
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元岡・桑原遺跡群は九州大学伊都キャンパスに所在し、大学移転にともない、1996年から調査を行っています。第42・52次調査地点は約1万uの調査区から、弥生時代中期後葉から後期にかけての自然流路2条が発見され、大量の土器と木製品が出土しています。そのなかから祭祀に用いたと思われる特殊な木製品を紹介します。 琴は水辺の祭祀や葬送儀礼の時に演奏されたと考えられます。出土した琴板は欠損しており、弦をかける突起部が3つ残っています。側板を取り付けるためのほぞ穴や溝が掘ってあるので共鳴槽をもつ琴になります。もう一つは琴の共鳴槽の側板と見られる部材です。上部を欠損しています。中央に音を響かせるための孔が円形に開けられています。この孔の両側にはトリ、シカ、建物が刻まれています。 剣形木製品はイスノキという堅い木で作られています。刃部両側に鋸歯状の刻み目を入れています。先端部が欠損しており、本来は1mを超える長さであったと推定されます。儀礼や祭祀の場において首長が手にした物でしょうか。
琴板 |
絵が刻まれた琴側板 |
シカ |
建物 |
トリ |
徳永B遺跡第4次調査では、5世紀前半頃の円墳が発見されました。直径約10mの円墳の埋葬主体部は小さな石を敷き詰めた石室で、板状の石で左右に仕切られていました。石室内には鍛冶に使用する鉄鉗(火ばさみともいう)など、特徴的な鉄製品が副葬されていました。 今回出土した鉄鉗は長さ約50cmで、5世紀前半のものとしては最大級です。この墓の被葬者は鉄生産に携わった、あるいはそれを統括していた人物である可能性があります。鍛冶道具が副葬された福岡市内の古墳としては、ほかに桑原石ヶ元古墳群12号墳(西区桑原)、広石南古墳群A群4号墳(西区今宿青木)、クエゾノ5号墳(早良区梅林)があります。鍛冶道具の出土例は多くないため注目を浴びますが、いずれも意外と小規模な古墳です。 この古墳からは鉄鉗のほかにも鉄剣、鉄刀、タガネ、ヤリガンナ、刀子などが出土しており、中でも蕨手刀子の出土が目を引きます。福岡市内における蕨手刀子の出土は、老司古墳(南区老司)、鋤崎古墳(西区今宿青木)につづく3例目です。
▲鍛冶道具が出土した古墳 |
▲古墳の埋葬主体部 |
▲徳永B遺跡第4次調査出土の鉄製品 |
▲蕨手刀子 |
元岡古墳群G群の調査では3基の古墳(G1号墳、G3号墳、G6号墳)について発掘調査をしました。すでにG1号墳出土の装飾付圭頭(けいとう)大刀(たち)やG6号墳出土の庚寅銘大刀(こういんめいたち)・大型の銅鈴などの注目遺物を紹介しましたが、その他にも多くの金属製品について保存処理を行いました。
G1号墳から鋲留めをした薄い板状の鉄片が、三葉形の突起のあるものも含めて、20数点出土しています。これらは胡ろく金具と呼ばれるものです。胡ろくは矢を入れる容器で、矢羽根を上にして収納し、腰に吊り下げて使用します。中国東北部から朝鮮半島を経由して騎馬文化とともに伝来したもので、騎上から矢を放つのに適しています。
胡ろくの本体は革や布、木材で製作されるため、土の中で腐食してしまい、出土資料として残ることはほとんどありません。しかし、金具に付着した有機質の分析や金具の位置が乱れずに良好に残っていた事例の検討から、近年その全体像が詳しくわかるようになってきました。大阪府高槻市今城塚古代歴史館では今城塚古墳出土の胡ろくが復元されています。
▲胡ろく金具 |
▲胡ろくの復元品(今城塚古代歴史館の図録より) |
藤崎遺跡では明治45年に箱式石棺から三角縁盤龍鏡(ばんりゅうきょう)と素環頭大刀(そかんとうたち)が出土(東京国立博物館所蔵)して以来、甕棺や石棺が発見され、古くから注目を集めていました。現在までに古墳時代前期の方形周溝墓が16基ほど発見されています。古墳時代前期、博多平野や糸島平野では前方後円墳が出現しますが、藤崎遺跡のある早良平野には前方後円墳が見られないという特徴があります。
昭和55年の第3次調査(現在の早良市民センター)では8基の方形周溝墓を発見。第6号方形周溝墓から三角縁二神二車馬鏡、素環頭大刀などが出土しました。
三角縁二神二車馬鏡は三角縁神獣鏡の一種で、内区に神像2体と4頭立ての馬車2台を描いています。化学分析(鉛同位体比分析)の結果、この鏡の原料の鉛は中国産であり、中国でつくられた舶載鏡であることがわかっています。この鏡は普段、福岡市博物館において常設展示されています。昨年の博物館リニューアルに合わせて、劣化が進行していないかの確認とさび止めの処理を行いました。
ちなみに福岡市内で出土した三角縁神獣鏡は、藤崎遺跡の2面、若八幡古墳、那珂八幡古墳、老司古墳など、合計9面あります。
▲三角縁二神二獣鏡 |
▲鏡のX線写真 |
2011年9月、福岡市西区元岡の元岡G6号墳から1本の刀が出土しました。X線写真を撮影したところ、この刀には19字の銘文が刻まれていることがわかり、福岡市埋蔵文化財センターで刀の保存処理作業をおこなっています。昨年度までに、象嵌線の材質が金であること、刀には木材の痕跡が付着しており鞘に収めて副葬されたことがわかりました。 今年度は象嵌文字の削り出しを行い、「作 刀」の2文字が現われました。文字の大きさは「作」字で約6mm四方。象嵌線の幅は1mmほどです。顕微鏡を覗きながら、慎重に作業を行いました。約1400年ぶりに姿を現した金の文字は、これまで知られているどの銘文刀剣の書体よりも、はるかに美しく、流麗なものでした。わずか1mm幅の線にも関わらず、筆の入りやはね、とめまで見事に表現しています。非常に高い象嵌技術と言えます。
▲現われた「作刀」の文字 |
▲銘文のX線写真 |
○参考文献
坂 靖 1992「胡ろくの系譜」『考古学と生活文化』(同志社大学考古学シリーズX)
鈴木一有2005「蕨手刀子の盛衰」『待兼山考古学論集』大阪大学考古学研究室
高槻市立今城塚古代歴史館2012『よみがえる古代の煌き』(平成24年度秋季特別展図録)
土屋隆史2011「古墳時代における胡ろく金具の変遷とその特質」『古文化談叢』66
西岡千絵2008「胡ろく資料集成U−竹並H-26号横穴墓・龍王崎1号墳例−」
『福岡大学考古資料集成2』
福岡市教育委員会1982『藤崎遺跡』市報告書第80集(藤崎3次調査)
福岡市教育委員会1998『野方岩名隈1 藤崎12』市報告書第573集(藤崎27次調査)
福岡市教育委員会2004『藤崎遺跡15』市報告書第824集(藤崎32次調査)