現在位置:福岡市ホームの中の健康・医療・福祉の中の福祉・障がい者の中の戦没者遺族・戦傷病者等への援護から博多港引揚記念碑(那の津往還)
更新日: 2017年1月4日

博多港引揚記念碑(那の津往還)

博多港は、昭和20年(1945年)の終戦直後、引揚援護港としての指定を受け、約1年5ヶ月にわたり中国東北部や朝鮮半島などから、一般邦人・旧軍人など139万人の人々が博多港に引き揚げてきました。また、当時在日の朝鮮や中国の人々約50万人が、博多港から故国に帰っていきました。
「博多港引揚記念碑」は、博多港が引揚の港として果たした役割を忘れることなく、戦争の悲惨な体験を二度と繰り返さないよう次の世代の人々に語り継ぐため、永久の平和を願って建設されました。

博多港引揚

豊福知徳氏作「那の津往還」
 ◆材質 (耐候性)鋼
 ◆高さ 15m
 ◆長さ 17m  
 ◆竣工 平成8年3月28日
 《1996年福岡市都市景観賞受賞(D部門)》

敗戦直後の失意とその後に湧き興ってきた生への希望を永遠に記念するモニュメントとして制作しました。
船の上の本体(人間)の朱は、古代から愛されてきた色であり、那の津と呼ばれてきた博多港の希望を表現したものです。


【碑文】
 
博多港は、今日、海に開かれたアジアの交流拠点都市福岡市の玄関口として、また、世界の主要港と結ばれた国際港湾として大きく発展しつつある。
思えば、この博多港は昭和20年(1945年)の終戦直後、引揚援護港として指定を受け、約1年5ヶ月にわたり中国東北地区や朝鮮半島などから一般邦人・旧軍人など139万人の人々がこの港に引揚げ、また、当時在日の朝鮮人や中国人など50万人の人々がここから故国へ帰っていったのである。
戦後50周年の節目の年にあたり、私たちはかつて博多港が国内最大の引揚港として果たした役割を忘れることなく、アジア・太平洋の多くの人々に多大な苦痛を与えた戦争という歴史の教訓に学び、このような悲惨な体験を二度と繰り返さないよう次の世代の人々に語り継ぎ、永久の平和を願って、この記念碑を建設するものである。
平成8年(1996年)3月   福岡市長 桑原敬一

 

 -引揚(ひきあげ)とは-

昭和20年(1945年)8月15日、第二次世界大戦終戦を迎えた時、多くの日本人が海外(特にアジア)に残されていました。その数は軍人・軍属が約330万、一般の人々が約330万人、合計すると660万人を数えます。
その後約1年半、昭和21(1946)年までに約500万人、全体の76%の日本人が、海外から戻ってきました。軍人・軍属が日本に戻り、その役を解かれる「復員」(ふくいん)をはじめ、組織を持たない一般の人々が、遠い海外から日本へたどり着くことは、長い苦難の道のりでした。
このいまだかつてない民族大移動 -第二次世界大戦後、海外から日本人が帰国してきたこと- を「引揚」(ひきあげ)といいます。


 【博多港引揚記念碑の所在地

 福岡市博多区沖浜町(中央埠頭)
 (西鉄バスで天神から約13分,博多駅から約18分,「マリンメッセ前」下車すぐ)

 
地図