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更新日: 2016年10月1日

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【少林寺】

黒田長政夫人の墓などがある少林寺


 慶長9年(1604年)、長誉恵順和尚を開山の僧とし、永長山昌林寺と号したのが始まりです。徳川家康の養女で、福岡藩初代藩主・黒田長政の夫人である栄姫が江戸で没され、遺髪を埋葬して菩提所となりました。山号も栄姫の法名である大涼院にちなんで大涼山と改められ、後に昌林寺も少林寺となりました。

 境内には栄姫の墓である五輪塔のほか、長政の二女の墓である笠付きの角柱塔、福岡藩3代藩主・黒田光之の子である黒田綱之の墓塔があります。また、山門を入って左側に月形家の墓石があり、幕末の福岡藩士・月形洗蔵もここに葬られています。なお、黒田綱之は光之の嫡男でありながら、突如として廃嫡され、屋形原(現在の南区)に幽閉されたといいます。

 綱之は死に臨み、「自分の願いは叶えられなかったが、私の墓に真心を込めて祈るならば、願い事を叶えてやる」と言い残して没したので、多くの人が綱之の墓に参詣して願い事をしました。その際に人々は墓石を削り取って、舐めたり煎じたりしたため、現在の墓石の高さは元の高さの4分の1程度になっているといいます。


栄姫の墓の画像 長政二女の墓の画像

栄姫の墓


長政二女の墓



黒田綱之の墓の画像

黒田綱之の墓