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更新日: 2016年10月1日

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【黒田孝高】

福岡藩祖といわれる知将・黒田孝高


御鷹屋敷跡に立つ碑の画像

御鷹屋敷跡に立つ碑
(ぼたん・しゃくやく園内)


 黒田孝高(よしたか)は天文15年(1546年)、職隆(もとたか)の子として姫路に生まれました。通称の官兵衛(かんべえ)という名でもよく知られています。官兵衛は織田信長や豊臣秀吉に仕え、竹中半兵衛とともに「両兵衛」と並び称されるなど、戦国時代を代表する知将でした。本能寺の変の後には秀吉に「中国大返し」を献策し、明智光秀を滅ぼしました。

 秀吉が天下を制し、豊前12万石を与えられた後、子の長政に家督を譲って隠居の身となり、如水軒(じょすいけん)と号します。関ヶ原の戦いの後に長政が福岡52万石を与えられると、如水は長政とともに福岡に移り、如水も福岡城の築城に関わったといいます。

 その後、如水は晩年を福岡城内で過ごし、慶長9年(1604年)、京都伏見で生涯の幕を閉じました。如水が城内で隠居生活を送った「三ノ丸御鷹(おたか)屋敷」は、舞鶴公園のぼたん・しゃくやく園内にありました。